第3回目です。
今回は親の成長を助けるために、神から子どもを託される。
それに親は気づかなければいけない。
親が育てるのではなく、親が育てられるのです。
それが得られるのは、心を開き、我が子の育つ力を信じ、子どもの育ちを支えることです。
それさえ出来れば何もいらない。
頭やマニュアルで子育てをしようなどという「愚かな」ことをするな。
今回の文ではそれを感じて欲しい。
書いてくれてありがとう。
おかげさまで助かりました。
*****************
こうして私は特に、妊娠・出産ごとに、子どもから様々なことを教えられながら、優しくたくましい母となれるよう、少しずつ成長しているんだ・・・と感じます。
一心同体の妊娠・出産時だからこそ、より強く子どもからのメッセージを感じとることができるのでしょうか。
そのことを一番痛感したのは、今2歳になる次男の時かもしれません。
この子の妊娠が判明したのは、次女が3歳になり、ある程度子育てにも余裕ができ、私の夢である助産師の資格取得を目指しての猛勉強中のときでした。
憧れであり人生の目標である永原さんに近づきたくて、家族を犠牲にしてまでも必死になっていた気がします。
その無茶な行動に「stop」の警笛を鳴らしてくれたのがお腹に宿った小さな存在の次男でした。
ただ当時はそのことに全く気付かず、私が夢をつかもうとしているこの大事な時期になぜ宿ったのか?
この子の宿った意味っていったい何???とそればかり考えていました。
夫は経済的に無理と子どもの堕胎を強要してきました。ただ、一度流産し摘出手術で辛い経験した私の中には堕胎という選択肢は全くなく、
「大丈夫~パパはあんなこと言ってるけど本気ちゃうで~何が何でもママが守ってあげるから安心しとき~」と赤ちゃんに語りかける余裕すらありました。
このときはまだ、出産後、保育所に預けて夢に向かって再チャレンジしようと浅はかな考えでいました。
VBAC出来る病院探しや、自分の体調管理に細心の注意をはかり、無我夢中でした。今思えば、VBACに執着しすぎていた気がします。
いつもそうですが、私は熱中するものがあると、自己中、我がまま、自分勝手なところが表にで、周りが見えなくなるようです。
このときも次女は必死になっている私に付き添い、振り回され寂しい思いをしていたのだと思います。
そのことは次男出産後、何ヶ月か経っての彼女の言動にハッキリと現れました。わずか3歳の娘はかなりの我慢が積もりに積もっていたようです。
それを吐き出すかの如く、夜中に突然、人が変わったかのように怒鳴る、喚く、泣き叫ぶ。
まるで悪霊か何かがのり移ったのかと疑うほどでした。その現象は数日間続きました。
彼女最優先で接する、いっぱい抱っこすることで、夜中の状況は落ち着いていきました。
彼女はこうして私の自分の身勝手さを悔い改めさせてくれるきっかけを与えてくれました。
この時期に出会ったのがひげ爺さまです。娘の異変をいち早くキャッチし救いの手を差し伸べてくださいました。
私は初め、ひげ爺さまの忠告の意味が理解できず、「娘はただ人見知りの激しいおとなしい子だけなのに・・・」と自分の今までの子育てを
正面から否定されたようで、落ち込みました。しかし、ひげ爺さまは娘の奥底に潜んでいた心の叫びを見抜いていらっしゃったのです。
ひげ爺さまに出会わなければ、私たち親子はどうなっていたことでしょう。このご時世、実の親でさえ、「言っても無駄・・・」とばかり注意するのを
避ける人達が多い中、ひげ爺さまにとって何の利益がないのにもかかわらず、身内でもない私たち未熟な親たちに、
あえて手厳しい諭しを投げかけ、方向性を軌道修正してくださいます。
私たちにとって、なくてはならない大切な存在です。本当にいつもありがとうございます。
この頃から、次男を授かった意味はひげ爺さまとの出会いをもたらすことだったんだと、自分の中で勝手に解釈するようになっていました。
しかし、本当の意味はまだ隠されていました。
息子が生後1か月を過ぎると、地域の子育てサークルや行政の行う集いの場へ参加する機会が増していきました。
まだ月齢浅い息子を抱えて、自分の夢をどうれば実現へと近づけることができるのか、今後の生き方を模索するために、
毎日のように色々な場所へ出かけていたように思います。そんな生活が半年ほど続きました。
多くの人と出会い、様々な意見を聞くことはできましたが、結局それらはすべて、私にとってあまり意味のあることではありませんでした。
それに気付かされたのが息子のアトピー性皮膚炎発症でした。
生後6か月を過ぎる頃から、息子の発疹はどんどん悪化していきました。
顔中血まみれ、掻き毟りぐずる息子を集いの場に連れ出すことは、次第にできなくなりました。
息子が己の身体を犠牲にして、出かけ過ぎの私にブレーキをかけてくれたのだと思います。
そうなると、今度は親子だけの閉鎖された空間でのストレスいっぱいの毎日の繰り返しです。
かゆさで掻き毟り夜泣きする息子に付き合い睡眠不足やイライラが募り、日中は常に抱っこ・おんぶ・おっぱいを要求してくる日々。
私も息子も心身ともに疲れ切り、限界まできていました。
この時に助けていただいたのもひげ爺さまでした。
「彼の瞳は心が病んでいる」 「かゆみを通り越した痛みは人を拒絶している」 「そこから救いだせるのは親しかいない」 と諭され、
それまで愛知県までは・・・となかなか踏ん切りがつかなかった、紹介して頂いたいそべクリニックを受診しました。
磯辺先生は重度のアトピーの息子を診ても、「アトピーは必ず治る。大丈夫。」とおっしゃいました。
その言葉を聞き、すべてをこの先生に委ねようと思えました。
あれほどまでに血まみれだった息子は、診察後、わずか数日で掻き毟る回数が激減し、日に日にきれいな肌へと変わっていきました。
磯部先生の適切な治療と、精神面においてまでの極め細やかなフォローのおかげで快方へと向かいました。
そして先生とひげ爺さま教えて頂いたように「子どもの心の声を聴き、今この子には何が必要か」を常に意識して行動しました。
すると2ヶ月後には先生の言葉通り、アトピーは完治していました。
我が家の子ども達は「大切なものは何か」を親である私に気づかせる為、小さな身体と心を痛めつけ、犠牲にしてまでも教えてくれました。
喉元すぎれば熱さを忘れ、同じような失敗を繰り返す愚かな私に、その度ごとに、己を見つめなおす機会を与えて、
子ども(家族)を思いやる心の必要性を突きつけてくれたのです。
~最後に~
「どうしてあの時期に次男が授かったのか」今なら理由は納得できます。
もしあのまま家族を犠牲にして、仮に助産師の資格を取得し、職業についていたとしても、自分で収入を得ることにより
知らず知らずに夫に対し、尊敬や感謝の気持ちが薄れ、傲慢な態度で接するようになっていたと思います。
そしていずれは、家族の輪が乱れ、バラバラになるというシナリオも考えられます。
そういう結末を回避する為に、
「ママ、自分の夢や憧ればかり追いかけないで、僕の事ちゃんと育てて~!」
「パパやお姉ちゃん・お兄ちゃんのこと、しっかり見て!お話を聴いてあげて~!」とお腹に宿ったのでしょう・・・
きっとパパがいくら説得したところで、私が夢を貫ぬこうと意地になる事が分かっていたのでしょう。
「パパに無理なら僕が・・・」と私たち家族の危機を救うべく、来てくれたのだと思います。
それが証拠に彼が誕生してから、数々の苦労を乗り越え、家族の絆はより強いものになっています。
家庭にこもり、家事・育児に日々追われていると、「私って何???」という気持ちになることがあります。
家事や育児には、外で働くように終了時間はないし、報酬もありません。
これといった結果がすぐに確認できるものでもなく、イマイチ満足感や達成感を得ることができません。
夫や子どもが常に「ママ~ありがとう~!」と言ってくれれば幸せですが、そういうことは稀で、一般的には
誰からも評価されません。そんな日常から抜け出したくて、私は家庭の外へと目が向いてしまったのだと思います。
「今、資格を取っていればいずれ生活費が補える、贅沢もできるかも・・・」当時はそう考えていました。
私の愚かなその行動を悔い改めさそうと、子ども達はそれぞれに身を呈して私に教えてくれました。
「子どもは宝」といいますが、私にとっても我が家の子ども達は、まさしくその言葉通りのかけがいのない宝です。
磨けば磨くほどにひとりひとり違った輝きを放ち、各々にかたちを変えて 成長していくことでしょう。
このことに気づいてからは、いつの頃からか、見せかけだけの煌びやかな宝(ブランド品・海外旅行・高級エステ・豪邸・外車・豪華フルコース・資格取得)
を手に入れるために子どもや家族を犠牲にしてがむしゃらになることに魅力を感じなくなりました。
溢れんばかりの可能性を秘めている子宝を育む為に時間を費やすことの方が、よっぽど楽しく意義のあることだとわかったからです。
子宝の「心の根っこ」をどうすれば強くて丈夫なものになるのか、試行錯誤しながら毎日が送れるって素敵なことです。幸せです。
一日に幾度かは「この子たち、ホンマに宝か~???石ころかガラクタやろ~!!!」と思うことも多々ありますが、子宝磨きに生きがいを感じる今日この頃です。
子宝の輝きがどんどん増して、私たちのもとから巣立っていった後の人生は~
たとえ助産師という資格がなくとも、赤ちゃんや妊婦さんママさんに寄り添いながら、
これまでの経験が悩みを抱えた人たちの助けになれればいいな・・・と思います。
そして、お世話になった方々にご恩返しの旅に出かけられば最高です。
* **************
ありがとうございます。
素晴らしい文章がお母さんの心に響いたと思います。
お願いしてよかった。
引っ越しの片付けもできました。
田舎にお子さんたちと来てください。
思いっきり遊びましょう。
感謝!!!感謝!!!
今回は親の成長を助けるために、神から子どもを託される。
それに親は気づかなければいけない。
親が育てるのではなく、親が育てられるのです。
それが得られるのは、心を開き、我が子の育つ力を信じ、子どもの育ちを支えることです。
それさえ出来れば何もいらない。
頭やマニュアルで子育てをしようなどという「愚かな」ことをするな。
今回の文ではそれを感じて欲しい。
書いてくれてありがとう。
おかげさまで助かりました。
*****************
こうして私は特に、妊娠・出産ごとに、子どもから様々なことを教えられながら、優しくたくましい母となれるよう、少しずつ成長しているんだ・・・と感じます。
一心同体の妊娠・出産時だからこそ、より強く子どもからのメッセージを感じとることができるのでしょうか。
そのことを一番痛感したのは、今2歳になる次男の時かもしれません。
この子の妊娠が判明したのは、次女が3歳になり、ある程度子育てにも余裕ができ、私の夢である助産師の資格取得を目指しての猛勉強中のときでした。
憧れであり人生の目標である永原さんに近づきたくて、家族を犠牲にしてまでも必死になっていた気がします。
その無茶な行動に「stop」の警笛を鳴らしてくれたのがお腹に宿った小さな存在の次男でした。
ただ当時はそのことに全く気付かず、私が夢をつかもうとしているこの大事な時期になぜ宿ったのか?
この子の宿った意味っていったい何???とそればかり考えていました。
夫は経済的に無理と子どもの堕胎を強要してきました。ただ、一度流産し摘出手術で辛い経験した私の中には堕胎という選択肢は全くなく、
「大丈夫~パパはあんなこと言ってるけど本気ちゃうで~何が何でもママが守ってあげるから安心しとき~」と赤ちゃんに語りかける余裕すらありました。
このときはまだ、出産後、保育所に預けて夢に向かって再チャレンジしようと浅はかな考えでいました。
VBAC出来る病院探しや、自分の体調管理に細心の注意をはかり、無我夢中でした。今思えば、VBACに執着しすぎていた気がします。
いつもそうですが、私は熱中するものがあると、自己中、我がまま、自分勝手なところが表にで、周りが見えなくなるようです。
このときも次女は必死になっている私に付き添い、振り回され寂しい思いをしていたのだと思います。
そのことは次男出産後、何ヶ月か経っての彼女の言動にハッキリと現れました。わずか3歳の娘はかなりの我慢が積もりに積もっていたようです。
それを吐き出すかの如く、夜中に突然、人が変わったかのように怒鳴る、喚く、泣き叫ぶ。
まるで悪霊か何かがのり移ったのかと疑うほどでした。その現象は数日間続きました。
彼女最優先で接する、いっぱい抱っこすることで、夜中の状況は落ち着いていきました。
彼女はこうして私の自分の身勝手さを悔い改めさせてくれるきっかけを与えてくれました。
この時期に出会ったのがひげ爺さまです。娘の異変をいち早くキャッチし救いの手を差し伸べてくださいました。
私は初め、ひげ爺さまの忠告の意味が理解できず、「娘はただ人見知りの激しいおとなしい子だけなのに・・・」と自分の今までの子育てを
正面から否定されたようで、落ち込みました。しかし、ひげ爺さまは娘の奥底に潜んでいた心の叫びを見抜いていらっしゃったのです。
ひげ爺さまに出会わなければ、私たち親子はどうなっていたことでしょう。このご時世、実の親でさえ、「言っても無駄・・・」とばかり注意するのを
避ける人達が多い中、ひげ爺さまにとって何の利益がないのにもかかわらず、身内でもない私たち未熟な親たちに、
あえて手厳しい諭しを投げかけ、方向性を軌道修正してくださいます。
私たちにとって、なくてはならない大切な存在です。本当にいつもありがとうございます。
この頃から、次男を授かった意味はひげ爺さまとの出会いをもたらすことだったんだと、自分の中で勝手に解釈するようになっていました。
しかし、本当の意味はまだ隠されていました。
息子が生後1か月を過ぎると、地域の子育てサークルや行政の行う集いの場へ参加する機会が増していきました。
まだ月齢浅い息子を抱えて、自分の夢をどうれば実現へと近づけることができるのか、今後の生き方を模索するために、
毎日のように色々な場所へ出かけていたように思います。そんな生活が半年ほど続きました。
多くの人と出会い、様々な意見を聞くことはできましたが、結局それらはすべて、私にとってあまり意味のあることではありませんでした。
それに気付かされたのが息子のアトピー性皮膚炎発症でした。
生後6か月を過ぎる頃から、息子の発疹はどんどん悪化していきました。
顔中血まみれ、掻き毟りぐずる息子を集いの場に連れ出すことは、次第にできなくなりました。
息子が己の身体を犠牲にして、出かけ過ぎの私にブレーキをかけてくれたのだと思います。
そうなると、今度は親子だけの閉鎖された空間でのストレスいっぱいの毎日の繰り返しです。
かゆさで掻き毟り夜泣きする息子に付き合い睡眠不足やイライラが募り、日中は常に抱っこ・おんぶ・おっぱいを要求してくる日々。
私も息子も心身ともに疲れ切り、限界まできていました。
この時に助けていただいたのもひげ爺さまでした。
「彼の瞳は心が病んでいる」 「かゆみを通り越した痛みは人を拒絶している」 「そこから救いだせるのは親しかいない」 と諭され、
それまで愛知県までは・・・となかなか踏ん切りがつかなかった、紹介して頂いたいそべクリニックを受診しました。
磯辺先生は重度のアトピーの息子を診ても、「アトピーは必ず治る。大丈夫。」とおっしゃいました。
その言葉を聞き、すべてをこの先生に委ねようと思えました。
あれほどまでに血まみれだった息子は、診察後、わずか数日で掻き毟る回数が激減し、日に日にきれいな肌へと変わっていきました。
磯部先生の適切な治療と、精神面においてまでの極め細やかなフォローのおかげで快方へと向かいました。
そして先生とひげ爺さま教えて頂いたように「子どもの心の声を聴き、今この子には何が必要か」を常に意識して行動しました。
すると2ヶ月後には先生の言葉通り、アトピーは完治していました。
我が家の子ども達は「大切なものは何か」を親である私に気づかせる為、小さな身体と心を痛めつけ、犠牲にしてまでも教えてくれました。
喉元すぎれば熱さを忘れ、同じような失敗を繰り返す愚かな私に、その度ごとに、己を見つめなおす機会を与えて、
子ども(家族)を思いやる心の必要性を突きつけてくれたのです。
~最後に~
「どうしてあの時期に次男が授かったのか」今なら理由は納得できます。
もしあのまま家族を犠牲にして、仮に助産師の資格を取得し、職業についていたとしても、自分で収入を得ることにより
知らず知らずに夫に対し、尊敬や感謝の気持ちが薄れ、傲慢な態度で接するようになっていたと思います。
そしていずれは、家族の輪が乱れ、バラバラになるというシナリオも考えられます。
そういう結末を回避する為に、
「ママ、自分の夢や憧ればかり追いかけないで、僕の事ちゃんと育てて~!」
「パパやお姉ちゃん・お兄ちゃんのこと、しっかり見て!お話を聴いてあげて~!」とお腹に宿ったのでしょう・・・
きっとパパがいくら説得したところで、私が夢を貫ぬこうと意地になる事が分かっていたのでしょう。
「パパに無理なら僕が・・・」と私たち家族の危機を救うべく、来てくれたのだと思います。
それが証拠に彼が誕生してから、数々の苦労を乗り越え、家族の絆はより強いものになっています。
家庭にこもり、家事・育児に日々追われていると、「私って何???」という気持ちになることがあります。
家事や育児には、外で働くように終了時間はないし、報酬もありません。
これといった結果がすぐに確認できるものでもなく、イマイチ満足感や達成感を得ることができません。
夫や子どもが常に「ママ~ありがとう~!」と言ってくれれば幸せですが、そういうことは稀で、一般的には
誰からも評価されません。そんな日常から抜け出したくて、私は家庭の外へと目が向いてしまったのだと思います。
「今、資格を取っていればいずれ生活費が補える、贅沢もできるかも・・・」当時はそう考えていました。
私の愚かなその行動を悔い改めさそうと、子ども達はそれぞれに身を呈して私に教えてくれました。
「子どもは宝」といいますが、私にとっても我が家の子ども達は、まさしくその言葉通りのかけがいのない宝です。
磨けば磨くほどにひとりひとり違った輝きを放ち、各々にかたちを変えて 成長していくことでしょう。
このことに気づいてからは、いつの頃からか、見せかけだけの煌びやかな宝(ブランド品・海外旅行・高級エステ・豪邸・外車・豪華フルコース・資格取得)
を手に入れるために子どもや家族を犠牲にしてがむしゃらになることに魅力を感じなくなりました。
溢れんばかりの可能性を秘めている子宝を育む為に時間を費やすことの方が、よっぽど楽しく意義のあることだとわかったからです。
子宝の「心の根っこ」をどうすれば強くて丈夫なものになるのか、試行錯誤しながら毎日が送れるって素敵なことです。幸せです。
一日に幾度かは「この子たち、ホンマに宝か~???石ころかガラクタやろ~!!!」と思うことも多々ありますが、子宝磨きに生きがいを感じる今日この頃です。
子宝の輝きがどんどん増して、私たちのもとから巣立っていった後の人生は~
たとえ助産師という資格がなくとも、赤ちゃんや妊婦さんママさんに寄り添いながら、
これまでの経験が悩みを抱えた人たちの助けになれればいいな・・・と思います。
そして、お世話になった方々にご恩返しの旅に出かけられば最高です。
* **************
ありがとうございます。
素晴らしい文章がお母さんの心に響いたと思います。
お願いしてよかった。
引っ越しの片付けもできました。
田舎にお子さんたちと来てください。
思いっきり遊びましょう。
感謝!!!感謝!!!