
この國の親をダメにしたのは何だろう?
道徳観や倫理観、人間としての王道を教えてきたのは「仏教」であった。
寺の日曜学校、寺の行事に子どもが参加し様々なことを教えてきた。
寺の境内は子ども達の遊び場。
坊主は、親や子どもに様々な相談にのったり説法をした。
仏の教えを通して人としての生き方を示唆した。
「真理」の道を求めて僧は修行し、それを人々に教えた。
「僧」は自ら実践し生き様を示した。
街頭に立って人々を救ってきた。
今の「僧」は「僧」とは言えない。
「銭」と「欲」に心を奪われ「行」を忘れ銭勘定に走っている。
腐れ坊主ばかりなり。
「葬式坊主」に成り下がり下手な経を読み、高額の金を恥もなくふんだくる。
だから爺は、葬式をあげない。
くそ坊主に大切な金をやらない。もったいない。
爺の死体は、大学に「献体」する。
死んでも役に立ちたい。
いらなかったら、火葬して散骨してもらう。
「墓」は、金がかかるし、子ども達に迷惑をかけるからいらない。
「戒名」もいらない。
戒名は「ランク」をつけ、金をふんだくるからいらない。
戒名が無い宗派でも葬式やなんやかんやで金をとる。
この日本に尊敬される「僧」はいるのだろうか?
ある「女坊主」は、ベンツに運転手付きでのり、シートにふんぞり返りたばこを吹かしている。
その姿を見てしまって幻滅した。
駐車場の料金は「祈祷料」テレビの撮影も「祈祷料」税金逃れの「悪智恵」
本気でこの国を救うことを仏教界は考えよ。
昔のように、日曜学校や親のための学びの場を提供し、よき日本人を育てて欲しい。
それが引いては、仏教が暮らしの中に根付くことにつながるのではないだろうか。