お腹の赤ちゃんの心は、自分の意思を現すことが出来るまで育っているのです。
昔は、数え年でお腹に宿った時を一歳と数えていました。
仏教でもお腹にる時を大切にしていました。
無事に出産ができることが少なかった時代ほど子どもを慈しんでいました。
お産は「二つの死」を意味していました。
「赤ちゃんの死」「母親の死」です。
命懸けでお産をしました。
知り合いの産婆は、三つの命を懸けてお産に望んでいます。
その三つとは「赤ちゃん」「産婦」「産婆=産婆生命」を懸けて望んでいるのである。
今の妊婦は、お産を安易に人任せにしすぎます。
医師や助産婦が産むのではありません。
お腹の赤ちゃんと共に命を懸けて産むから、生まれた我が子が「愛しく可愛い」のである。
お腹の中から「愛着」が育まれ、出生後6週までに絶対的信頼関係を構築しなければいけません。
信頼関係によって母子一体感が築かれます。
早期の母子分離は後の母子関係に大きな歪みを生みます。
そのためには、産後すぐの母子のハネムーンをすることなく、
新生児室に運ばれるのはある意味で「虐待」である。
新生児は悲しいから泣くのである。
母子の体調によっては、無理がありますが、正常な分娩ができたらカンガルーケアを行う。
その際に医療従事者は、母子を常に見守る責務がある。
以上を発見したら適切な医療処置をとる。
産後の病院への見舞いなどはいかない方がいい。
母子の邪魔をすることになるからである。
退院してからお祝いに行くくらいの配慮が必要である。
流れ作業のような検診に嫌な思いをしましたが、
自分が主体的に関わっていかなければならないと
思い、勉強しました。
なので、自分が産むんだという自覚は妊娠の初期段階から
意識の中にありました。
初めてだったので、あれはあれでいいのだろうと思ってはいましたが、
やはり、違和感はあり、どうしても病院は嫌でした。
なので、二人目はもっと主体的にと思い、爺さまのおっしゃる3つの命をかけている助産師さんに運よく巡り合え、寄り添っていただき、満足のいく妊娠期間とお産を迎えられました。
学校での教育にお産のことは取り入れないのでしょうか。
性教育じゃなくて、育まれる命の教育。
女性にしか体験できない、あんな素晴らしい瞬間を人任せにしてしまうなんて…
もったいない。