新緑に五月の雨があたり木々が喜んでいます。
山も静かな刻を迎えています。
山里でしか感じることができません。
都会の公園の緑とは全く違います。
木々の喜び方が違っています。
木々のオーケストラです。
都会の緑はソロの演奏のようです。
昔の私たちの暮らしは「生と死」がありました。
家で「産婆」の力をかりたり、時には家族だけでお産を迎えたりしました。
また「死」も家でした。
家の中に「生と死」があるからこそ「命」の大切さを身をもって感じたのです。
爺の小さい頃は、何処の家でも「家畜」を飼っていました。
それは何のためだか皆さんおわかりですか?
食料にするためです。
豚や馬、牛、羊、山羊、鶏、ウサギ等々、多くの動物を育て、食べました。
ここにも「命」をいただくという食育が自然になされていました。
誕生や死を自分たちで迎えることはとても大切です。
生や死を「アウトソーシング」するのはよくありません。
核家族化は、その大切な「命を考える」ことを奪ってしまいました。
三世代同居だからこそ死も身近でした。
子ども達が生と死を身近に体験できる家族を、取り戻しませんか。
心豊かな生活をするために。