京都府京都市下京区烏丸七条に「お東」、「お東さん」 と呼ばれている真宗大谷派の本山「東本願寺」(山号はない)はある。西本願寺の本派対し当寺は大谷派となる。徳川幕府の真宗分断政策により西本願寺の東に寺地を与えられ末寺を二分させられて現在に至る。創建は慶長7年(1602)。本尊は阿弥陀如来である。約28,000坪の広さ境内には明治期に再建の世界でも最大級の木造建築物「御影堂」(間口76m、奥行き58m、高さ38m、面積は4400㎡、927畳敷)、「阿弥陀堂」、「大寝殿」、「大玄関」、「鐘楼」、「造合廊下」、「二筋廊下」、「御影堂門」、「阿弥陀堂門」など豪壮な伽藍が建ち並ぶ。その伽藍を囲むように「築地塀」が張り巡らさらている。当寺は世界文化遺産にとはなっていないが境内は参拝者や国内外の観光客でいっぱいである。門前の噴水や花壇の美しさ、伽藍の壮大さ威容に見惚れ、圧倒されるばかりである。今日は西本願寺と東本願寺の二つの本山の寺歴を学ぶ機会を得た。境内から遠く「京都タワー」を臨むことができる。(1704)
京都市下京区に周囲が築地塀で囲まれまるでお城のような大寺院、浄土真宗の本願寺派本山「龍谷山西本願寺」はある。お西さんとの別称がある。慶長7年(1602年)、後陽成天皇の勅許を背景に徳川家康から、豊臣秀吉の命により本願寺の寺内で隠居所を設けて北方に隠居させられていた教如へ烏丸七条に寺領が寄進され本願寺が正式に西(本願寺派)と東(大谷派)に分立し今日に至る。大谷本願寺は元亨元年(1321)、西本願寺は天正19年(1591)に創建 。本尊は阿弥陀如来。 99,000 ㎡という広大な境内には華麗な桃山文化を今に伝える国宝や重要文化財クラスの堂宇で形成されその全てが世界遺文化産となっている。伽藍の中心はなんといっても正面中央に建つ「御影堂」である。ここには親鸞聖人の荼毘の灰を漆にまぜて塗ったと伝わる坐像を安置されている。江戸時代の初期、中期を代表する建築で大改修も終了し金箔を貼りなおし創建当時の輝きを取り戻した。東西48m、南北62m、高さ29mという規模を誇る大建造物の御影堂は内陣と外陣に分れ外陣441畳で一度に千人以上を収容の広さである。また御影堂の奥には東西42m、南北45m、高さ25mの「阿弥陀堂」がある。御影堂や阿弥陀堂のこの二つの堂前に立つと大きさや偉容に目を見張る圧倒される。また豪華な彫刻を施した「唐門」(日暮門)、「高麗門」と呼ばれる形式で虹梁に大柄な二組の蟇股を配した「総門」、天井や障壁画の絢爛な装飾など桃山文化の粋を集めた国宝の「書院」、「能舞台」、伏見城内の庭を移した「虎溪の庭」と見どころがふんだんにある。(1704)