京都市東山区祇園町北側に二十二社(下八社)の一社「八坂神社」はある。全国に2,300社ある八坂神社や関連神社の総本社である。元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であることから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれ慶応4年=明治元年(1868)の神仏分離令により「八坂神社」と改められた。創建(伝)は斉明天皇2年(656)、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神である。四条通正面突き当たりに聳え建ち祇園界隈の華やかさの象徴といわれる切妻造の2階建て朱塗りの「西楼門」はあまりにも美しすぎる。また社殿は「本殿」と「拝殿」を一つの屋根で覆う祇園造りと呼ばれる独特の建築様式で建てられている。特に7月に行われる「祇園祭」ここ八坂神社の「祭礼」でありこの期間は多くの人で賑わう様がテレビで放映される。地元の氏神として信仰を集め、祇園を京都を代表する観光地である。
「相模原麻溝公園」の「花の谷」にいま数十本の「シャクヤク」が大輪を広げ咲いている。シャクヤクは「立てばシャクヤク、座ればボタン歩く姿は百合の花」と詠われているように、ボタンと並んで高貴な美しさをもつ、豪華でエレガントな花である。華やかな大輪の花を咲かせる牡丹とシャクヤク、一見するとかなり似ているが、花の大きさも、葉の形状も違う。樹高は1m くらいで、赤,ピンク,白,黄,複色がある。花の谷はピンクと白が多くアクセントとなって、バラのような甘く爽やかな香りを漂わせている。(1705)
京都市右京区太秦に山城最古の寺院で聖徳太子建立の日本七大寺の一つ真言宗系単立「蜂岡山広隆寺」はある。広隆寺には「蜂岡寺」、「秦公寺」、「太秦寺」、地名を冠して「太秦広隆寺」などの別称がある。帰化人系の氏族である「秦氏の氏寺」であり平安京遷都以前から存在した山城最古の寺院で、創建は推古天皇11年(603)。本尊は聖徳太子(上宮王院本尊)。重厚な「楼門」を抜けると石畳が敷かれた静寂な広い境内にはまず左手に木造薬師如来立像(重要文化財)を祀る「薬師堂」と「能楽堂」、「地蔵堂」(腹帯地蔵尊)、正面の緑の木立の奥に京洛最古の建物で赤堂いわれる木造阿弥陀如来坐像(国宝)、虚空蔵菩薩坐像を祀る「講堂」、その横に鐘楼(重要文化財)、参拝受付前に「大秦殿」と「上宮王院太子殿」、裏に「書院」と「桂野宮院本堂」がある。弁天社と神池の先に「旧霊宝殿」、そしてその右側に「新霊宝殿」がある。この新霊宝殿には飛鳥時代の国宝の「木造弥勒菩薩半跏像」など天平・弘仁・貞観・藤原・鎌倉と各時代の50数体の仏像を祀っている。暗い館内に光の当った弥勒菩薩が登場する。頬に触れたしなやかな指、見るものを包み込むような微笑み、その包容力に抱かれているような感覚となる。聖徳太子信仰の寺ということもあり崇高さが伝わってくるようである。当寺は聖徳太子霊跡24番札所であり、毎年10月に行われる「牛祭」は京都三大奇祭の一つである。京都最古の寺院としての威厳に溢れている。(1704)