相模原市南区麻溝台に「アジサイ」と「クレマチス」では市内随一の規模(本数)を誇る「相模原麻溝公園」はある。ふれあい動物広場前の東家のある「アジサイ」園一画に珍しい「カラタネオガタマ」(唐種招霊)が数輪開花し始めている。中国原産、モクレン科モクレン属、常緑樹である。別名は「トウオガタマ」(唐招霊)。オガタマノキ属に分類されていたが2022年現在ではふつうモクレン属に分類される。花にはバナナに似た強い香りがある。日本などでも庭や神社に植栽されている。4〜5月に開花、花色は黄、クリーム、紫、ワインレッドと種類があるが、当園はワインレッドのようである。(2305)
小田原市栄町に聳える塔がひときわ美しい「小田原ハリストス正教会」の聖白亜の木造の「聖堂神降臨聖堂」がある。日本ハリストス正教会はキリスト教の教会で自治独立が認められている正教会所属教会の一つである。千代田区神田駿河台の「ニコライ堂」が府主教座である。東方正教会とも呼ばれキリスト教が生まれた中近東を中心にギリシャ、東欧から、ロシアへ広がった。日本へは江戸時代末期、函館のロシア領事館付きの司祭として来日した「ニコライ」によって伝道された。「小田原教会」は1877年に聖ニコライ大主教が神父であった時に洗礼を受けた「イオナ友田清兄」と「イオシフ峰義準兄」が始めた教会である。2年後には信徒たちの聖堂を建てたいという思いから始めた募金活動によって1887年には白亜の木造の聖堂が建立された。最初の聖堂は関東大震災のときに焼失後、塔ノ沢にあった小聖堂が1937年購入した土地(栄町)に小田原教会は移築された。1969年には現在の「聖堂」が建てられ1983年には「信徒会館」と「司祭館」が新築され、現在の美しい白亜の聖堂となった。(2305)
小田原市浜町、先に訪れた「蓮上院」の右奥に江戸時代には京都東六条真宗大谷派本願寺の末寺「華英山善照寺」は鎮座している。寺伝によると正式には華英山善照寺と称し平家物語にその活躍が記されている。また能「実盛」の題材になった長井之齋藤別当実盛の次男の長井之齋藤六実正が開基。創建は不詳であるが、親鸞が国府津で布教をしていた時の弟子「善照坊光栄」(正中元年=1324没)が古新宿町に草庵を結び「善照庵」と称したのが興りのようである。10世・宗栄(江戸・善福寺の行宗の弟)は浅草に堂宇を建立して「善照寺」と号し江戸へ移住した。浜町の「善照寺」はその子の泰栄に譲ったとある。関東大震災ですべて焼失、昭和6年(1931)再建し現在に至る。本尊は阿弥陀如来。「山門」(寺号標)より真直ぐ続く参道の正面に銅板丸瓦棒葺きで入母屋造り屋根の「本堂」があり龍の立体的な彫刻がされている。本聳え、右に小さな「庫裏」が構えられている。(2305)