「道頓堀商店街」は大阪を代表する観光地といっても過言ではない。道頓堀川に沿って大阪ならではのあのド派手な看板の飲食店が並ぶ中に代表的なのはお馴染みの「グリコの看板」や「くいだおれ太郎人形」、巨大なカニの足が動く看板の「かに道楽」もここ道頓堀商店街にある。商店街には大阪名物のたこ焼き屋、お好み焼き屋、串カツ屋などが多く建ち並び、大阪の食を満喫できる。中心地の「なんば」からも近く大阪市民にとってもシンボル的な場所なのである。阪神が優勝するとよく道頓堀川に飛び込む映像も見るところだ。この商店街は1612年に安井道頓が私財を投げ打って南堀河の開削に着手したことから始まる。大坂夏の陣で亡くなった道頓の跡を継いで大坂城主松平忠明の命で従弟の「道ト」が工事を引き継ぎ1615年に運河が完成した。開削者・道頓の功績を後世に伝えるため「道頓堀」と名付けられた。その後、江戸幕府が大坂を直轄領とし市街地の拡張策をとった時から道頓堀の町づくりが始まった。10年後、道頓堀南岸には芝居小屋が公認され17世紀後半には中座、角座、浪花座など劇場の他、人形浄瑠璃の竹本座や豊竹座もオープンし歌舞伎、義太夫、見世物など五座の櫓が立って賑わい「櫓町」と称される「芝居町」になった。そして芝居の切符の手配や飲食の提供で見物客をもてなす芝居茶屋が軒を連ね「いろは茶屋」が誕生した道頓堀である。難波駅前には大阪新歌舞伎座もあり、お笑いのメッカでもある。昔から東京は「履き倒れ」、京都は「着倒れ」、そして大阪は「食い倒れ」といわれる。「食い倒れ」は「飲み食いに贅沢して貧乏になること」であり、大阪の人は食べることにとても熱心で、食材に凝り、捨てず無駄を出さない料理をする気質。 昔の大阪湾は潮の流れが急でそれを象徴して「難しい波」=「難波」と書き、「難波」は「なんば」と読むほかに「なにわ」とも読み「魚庭」とも書かれるようである。束の間ではあったが大阪の一面を巡撮してみた。(1911)
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