津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

安岡正篤は・・・

2005-05-21 10:39:10 | 歴史
明治九年熊本県令安岡良亮は、大田黒伴雄配下吉村義節率いる兇徒によって襲撃され、数日後に死亡する。いわゆる「神風連の乱」である。
熊本鎮台司令官種田政明は首を落とされた。愛妾小勝が打った電報「ダンナハイケナイワタシハテキズ」は余りにも有名である。翌年西南戦争が勃発する。

歴代総理が教えを乞い、元号「平成」の発案者と噂される安岡正篤は、この安岡良亮の孫(養子)に当たるらしい。旧姓堀田、その先祖は楠木正行の下で南朝のために戦って死んだ、堀田弥五郎正泰だといい、その故をもって四条畷中学にまなび、菊水の紋が描かれた黒胴をつけて剣道に汗を流したという。

世の中「内平らかに外なる」状況ではない。
あの細木数子もまた、安岡正篤の信奉者である。嗚呼・・・


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