津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

江戸証人・沼田与次郎

2005-10-27 13:59:01 | 歴史
 慶長五年正月、徳川家康から証人を要求された忠興は、三男忠利(十五歳)を江戸へ送る。松井康之は嫡男興長以外に男子がなかったため、妻の甥沼田与次郎光次に松井政之の名を与え証人とした。この人の其の後が気になっていたのだが、「於豊前小倉御侍帳并軽輩末々共ニ」にある「長岡主膳(本名松井)五百石」の記載に気付いた。その後の侍帳を見ると、「慶安元年真源院様御代御侍免撫帳」に「佐渡守証人領千石 長岡主膳」とある。間違いない。沼田与次郎光次は松井政之となり、豊前に帰り長岡主膳と名乗り、千石の大身になっていた。忠利と同年代の人と思われるが、慶安元年(1648)の侍帳に名前があるところをみると、当時は64・5歳だろうか。今のところ他の史料にその名前を見出すことが出来ないのだが、ご子孫は居られないのだろうか。
コメント (1)
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