鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

「正しい学び方」9~祈りと医療は併存してよい~

2020年09月25日 | キリスト教の正しい学び方

 

 前回にみた輸血拒否事件は、単一化性向が極端に働いた事例だ。
 だが、「ひとつ病」はそこまで極端に行かない状況においても働いている。信仰と医療行為との関係一般にも、この心理は働いているのだ。
 
+++
 
 たとえば、信心を持って祈ったら、医者にかかるべきでないのか、薬を飲んでもいいのか、という問題がある。
クリスチャンの人々は、ほとんどがこの問題に直面しながら生きている。
 
 そして、多くの場合、こういう意識を持つ~。
 
 創造神の力は万能だから、薬を飲む必要は無いはずだ。
なのに飲むのは信仰が完全でない証拠ではないか。そんな信仰で祈るから癒されないのだ・・・と。
 
 この種の思いを、明白な考えとしてでなくても、多少とも抱いて日本のクリスチャンは生きている。
 
 クリスチャンでなくとも、似たようなものだ。「苦しいときの神頼み」をしたときに、同様な思いが心の底からお反射的にわいてくるのだ。
 クリスチャンか一般人かにかかららず、人間とはそういうもののようだ。
 
 
<聖書の思想はどうか>
 
 そこで、この機会に、主にクリスチャンの人々のために、この問題に関する聖書(福音)の思想をみておくことは、意味がありそうだ。
 
+++
 
 新約聖書のなかにこんな聖句がある。少し長いが掲示する~。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「12年の間、長血をわずらっている女がいた。
この女は多くの医者からひどい目に会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
『お着物にさわることでもできれば、きっと治る』と考えていたからである。
 
 するとすぐに血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、『誰がわたしの着物にさわったのですか』といわれた。
 
 そこで弟子たちはイエスに言った。『群衆があなたに押し迫っているせまっている』のをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。
 
 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。
女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
 
 そこで、イエスは彼女にこう言われた。
『娘よ、あなたの信心があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。』
 
 (マルコによる福音書、6章25-34節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 ここでイエスの着物から流れ出たのは「いのちの波動」だ。
この理解について詳しくは後述する。が、とにかく「いのち」というエネルギー波動がこの女に流れ込んだのである。
 
 長血にくるしんだ彼女は、それまで医者にかかってきている。聖句は「彼女は数多くに医者にかかってきている」といっている。
 
 だがここで注目すべきは、それにかまうことなく、いのち波動は注入されている、ということだ。
「医学に頼ってきたから流してあげな~い」などと、狭量なことを創造神は言わないのだ。
 
 
<祈りによる癒しを薬は促進>
 
 このケースでは、イエスからの力で彼女は即座に癒されている。
だが、癒しには宣教者などの祈りに応答されてなされるものもある。この場合の癒しには、即座でなく、徐々に癒されていくものも多い。
 
 そうした信心と祈りによる癒しにおいても、医者や薬は直るのを促進し、回復を早める働きをする。医学と信心の併用を禁じる言葉は聖書にはない。
 
+++
 
 聖句をもうひとつあげよう~。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量の葡萄酒を用いなさい」
 (『テモテへの第一の手紙』5章23節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 これは使徒パウロの言葉だ。
彼も「アルコールなど不謹慎なものは断って、ひたすら祈りなさい」などといっていない。
回復を祈るのはもちろんだが、少量の葡萄酒を用いてそれを促進せよ、とすすめている。
 
 「祈りと医療は並行して行ってよい」が聖書の思想である。
 
(「学び方」9・・・完)
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「正しい学び方」8~~単一化性向が産んだ事件~

2020年09月23日 | キリスト教の正しい学び方
 
「世界観は一つにせねば」という単一化性向が強烈に働いて、社会的に話題になった事件がある。
 
 キリスト教のある教派(エホバの証人)の一信徒さんが、我が子への輸血をかたくなに拒否して死なせた事件。
記憶されている人もいるだろうが、事態はこうだ~。
 
 
<動物の血を食してはならない>
 
  旧約聖書に「動物の血は飲んではいけない」いう律法が記されている。律法とは(りっぽう)と読む。創造神より人間に与えられた「守るべき戒め」という意味だ。
 
 聖句をあげておこう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「・・・あなたはエホバが与えられた牛と羊をほふり、あなたの町囲みのうちで、食べたいだけ食べてよい。
かもしかや、鹿を食べるようにそれを食べてよい。汚れた人もきよい人もいっしょにそれを食べることができる。
ただ、血は絶対に食べてはならない。血はいのちだからである。肉とともにいのちを食べてはならない。
それを水のように地面に注ぎ出さねばならない。」
               (『申命記』12章21-24節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 この教派は旧約聖書の律法をとても重視する傾向を持つ。そこにも単一化心理がうかがわれるが、親御さんはそれに止まらなかった。「動物の血を食べる」を輸血を受けることを含むと解釈し、「これは神様が禁じておられることだ」と我が子への輸血を拒否したのだ。
 
 
<聖書には福音の世界観も>
 
 聖書全体を鳥瞰してみると、そもそも聖書の持つ世界観は一つだけではない。旧約聖書の律法の世界観もあれば、新約聖書の福音の世界観もある。
 
 律法は「それに違反したら(これを「罪を犯す」という)罰則と呪いを受ける」という思想をベースにした世界観だ。
 
 福音は「罪は悔い改めたら、創造神の御子イエスの十字架死を代償にして許される」という思想をベースにした世界観だ。
 
+++
 
 そして、キリスト教のキリストは、イエス・キリストのキリストだ。この名が示唆するように、この教えの中核はイエスの教えを記した新約聖書のほうにある。
 
 これからすると、そもそもこの教派にはすでに、強い単一化性向がみられる。旧約聖書の律法を優先的に持ち出すのだから。
 
 そして、この親御さんの場合、出発点からのそういう性向が加速して、「動物の血を食すること」が「人間の血を輸血する」が同じに見えてきた。そういう風景だ。
 
+++
 
<併存化の一案>
 
 では、単一化性向に影響されなかったらどうなるのか?
律法重視は認めるとして、そのなかで律法と輸血を併存させる道があるとしたらどうなるか。
 筆者の一案はつぎのようになる。
 
  ・・・律法には「動物の血を食べるな」とまでは書いてある。それを輸血までに延長したのは、まあ、私(この親)の個人的な解釈だ。そこで、それはそれとして心に留め、ここは創造神に祈りつつ、輸血もしたらどうかなぁ、~と。
 こう考えて輸血もする。
 
 
<左右両者からボコボコにされる>
 
 だけどこの案はやばいヨ。公言したらクリスチャンからも一般人からもこぞって、異議が唱えられるだろう。
 
  クリスチャンはたとえばこうだろう~。
 
「二つの世界観を併存させて輸血を受けろ、なんていい加減なことよくいうよ。この論者には信仰的誠実さがない。 私はこの著者鹿嶋をクリスチャンとは、絶対に信じないからね!」
 
 一般日本人はこうだろう~。
 
 「著者はなぜこんな呑気なこと言えるのか。そもそも宗教は狂信的なもので、キリスト教も同じだ。そんな世界観を心に存在させることがそもそも問題だ。こんなのは"君子危うきに近寄らず”と敬遠するのが正解なのだ。この著者は全然わかってない!」と。
 
 もう、右を向いても左をみても敵ばかり。鶴田浩二『傷だらけの人生』の世界・・・。
 
(「学び方」8・・・完)
 
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「正しい学び方」7 ~世界観の併存を阻害するもの~

2020年09月18日 | キリスト教の正しい学び方
 
  先回、在物神ベースの世界観と創造神ベースの世界観とを述べた。
 在物神ベースの世界観は実質的に五感(認識)ベースのものになる、とも言った。
 
 今回は、この二つをわれわれは心でどう処理したらいいかを考えよう。
 
+++
 
<結婚式は牧師さん、葬式はお坊さん>
 
「日本では結婚式は教会で牧師さんにしてもらい、葬式はお坊さんを呼んで行う例が多い」~この言葉がよく聞かれるようになって久しい。
 我々は聞き流してきているが、この事態が示唆するところは、結構意味深い。
 
+++
 
 牧師さんもお坊さんも、明確ではないにせよ、独自の世界観を持っている。
 教会やホテルの式場での司式を引き受ける牧師さんは、結婚する二人にキリスト教の世界観を事前に概説する。
二人がクリスチャンでなくてもこれをするのが通常だ。
 
 二人は素直に受け入れて式日を待つ。
 
 そして、この二人は親が死んだら、仏教のお坊さんに葬式をしてもらう。かれらの心の内には、長く習い覚えた仏教の世界観が、たとえ漠然であってもある。このときにはそれを適用するのだ。
 
+++
 
 つまりこの事態は次のことを示唆する。
すなわち第一に、人は心のうちに複数の世界観を併存させることが出来ること、そして第二に、必要なときには適切と思う一つを持ち出して適用できること。これを示唆している。
 
+++
 
<五感ベース、創造神ベースでも同じ>
 
 五感ベースの世界観と、創造神ベースの世界観も同じだ。人は両者を心の中に併存させことが出来、かつ、必要なときには適切と思える一つを持ち出して適用できる。
 
 またこれはもうひとつ、仏教の世界観を加えて三つにしても同じだろう。つまり、人は複数の世界観を心に併存させて、必要なときにはその一つを取り出して適用することができるのだ。
 
+++
 
 簡明さのために、五感ベース、創造神ベースの二つの例で考えるとこうだろう。
 
 人は生まれて成長する過程で、まず五感ベースの世界観を身につける。
 前述の~世界の大枠は空と海と陸でできており、その中に植物、動物、人間が生まれ、生き、死ぬという過程を繰り返している・・・といったようなものだ。
 
 そこに創造神ベースの世界観、聖書の世界観を新しく知識として学んだ場合、それを心の中に併存させていくことができ、かつ、必要なときには、適切なものを一つ取り出して適用できるのだ。
 
<適時適切なものが応用される>
 
 クリスチャンであっても、日常のビジネス生活では五感ベース世界観が浮上し役立ってくれる。家族など近親者が死んだときなどには、創造神ベース世界観が浮上してくれる。
 
+++
 
 ~不思議なことに適切なものが直感的に浮上してくるのだ。
 たとえば、スーパーのレジ(勘定場)で創造神ベース世界観が主役に浮上することはないだろう。そんなことになったら当人は「あなたのために一言お祈りさせてください」とレジ係の頭に手を置いて祈り始めたりしてしまう。そうなったら後ろにお客さんの長い列ができてしまう。
 だが、こういうことは起きない。
 
+++
 また、親族が逝去したときに、五感ベース世界観が主役に浮上して「霊を弔う? 笑わせるな」となることも起きないだろう。そこでは創造神ベース世界観が浮上して、相応の霊理論が提供されることになるだろう。
 人間にはそういう直感力というかセンスのようなものが、不思議に備わっているようにみえる。
 
<併存への障害>
 
 ところが、である。現実の人間世界では上記のような原理が素直に作動することは少ないのだ。
 殆どの人が、どちらか一方にしがみつきたがる。とりわけその世界観に神様が加わっていると、まずそうなってしまう。なぜか?
 
+++
 
 直接的な原因は推定できる。
 「世界観には絶対的に正しい一つ(真理)があるので一つにせねばならない」という通念が心の片隅から登場してくる。これが強烈に働いて、自然体の原理をゆがめてしまうのだ。脅迫観念として働き、自然体をゆがめる。
 
 日本人にはこれが特に多い。だが基本的には、人類全体がそういう心理性向をもっている。
 
<ひとつ病>
 
 筆者はこれを暫定的に「ひとつ病」と呼んでいる。そして先走って言えば、この心理性向は「キリスト教の正しい学び」にも大きな障害をもたらしている。
 
 だがその原因(病)をもたらす心理構造が何か、は現時点では明らかでない。実はそれを明かすのが本書のメインテーマなのだが、今この時点ではそれに突入しない。
 
 まずは、この「ひとつ病」の事例をひとつあげておこう。
 
<日本人はホトケ様よ!> 
 
 最近、とある元女優さんに、聖書の世界観を学んでおくことを勧めた。「人生終盤には特に、これは役に立ちますよ」と言ってみた。
 
 しばらくの沈黙後、反応は次のようだった~。
 
「キリスト教は西洋の宗教でしょ。わたくし日本人だから仏教にいたしますわ。
 それにカミ(神)というのは西洋の神様の名前でしょ。
 日本人にはやっぱりホトケだわ、仏様よ。わたくし学ぶなら仏教にいたしますわ」
 
 ~こう言ってフリーズ(心身が凍ったように固まること)した。
 
 日本では珍しくない反応であって、当然に見える。だがよくみると、これもまた「ひとつ病」の結果の姿だ。
 「宗教持つなら一つにせねば」という前提というか節操心というか、そういうものが心になかったら起きえない反応だ。
 
 論理的な理由などない。とにかく「一つにせねば」という暗黙の脅迫観念がもたらす姿だ。
 
 次回には、この病が社会的に話題になった事件を引き起こした事例を概観しよう。
 
 
(「正しい学び方」7・・・完)
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「正しい学び方」6 ~在物神ベース、創造神ベースの世界観~

2020年09月13日 | キリスト教の正しい学び方
 世界観を、これまで見てきた在物神と創造神の各々をベースにするとどうなるかをみよう。
二つの神概念は、当然、各々独自な世界観を形成する。
 
 創造神ベース世界観の代表は具体的には聖書のそれだから、それも参照させつつみていこう。
 
 
 <在物神ベース世界観は五感ベース>
 
  在物神という神イメージをベースにした世界観は、実質上は五感で認知される物質世界をベースにしたものとなる。
 なぜなら、在物神意識は物質の認知に始まる。そしてその物質の中に「存在する」とイメージする神の感慨が在物神意識の実体だ。
 
 感慨には言葉がない。だからそこから世界観という理論世界が展開することはない。
 
 また、感慨は短期で消えていく。それもあって、在物神イメージベースでは、結局は認知された物質のみをベースにした世界観がつくられることになるのだ。
 
 たとえば~、
 世界の大枠は空と海と陸でできており、その中に植物、動物、人間が生まれ、生き、死ぬという過程を繰り返している。・・・そういったようなものだ。
 
 日本の様な、神イメージがほとんど在物神のみ、という文化の国では、こうした世界観が圧倒的に優勢になる。
 
 
<創造神ベースの世界観>
 
 他方、創造神ベースの世界観はかなり異なったものになる。その特徴を在物神ベースの世界観と比べながら示すと、次のようになる。
 
 第一に、創造神ベースの世界観では、物質界の範囲は無限大となる。
 在物神ベースは実質上五感ベースであって、五感は物質世界の限られた範囲のものしか認識できない。空間、時間共にそうである。在物神ベースの世界観では、時間空間はいうなれば常識的な範囲のものとなる。
 
 創造神ベースの世界観にも、物質界のイメージは含まれているが、こちらでは空間と時間が無限大に拡大される。創造神が時間空間的無限者だから、その懐に展開される世界も無限大になるのだ。
 実際、聖書をみるとその時間関連の言葉(聖句)は、基本的に永遠の広がりを含意するものが多く、空間関連の聖句も無限大の広がりを含意しているものが多い。
 
 第二に、その無限大の物質界に霊界が加わってくる。創造神は霊界も創造した神、という概念だからだ。霊界は物質界に重なって存在するものと考えられている。
 
 第三に、その霊界には自分以外のすべて(万物)を創造し、統治運営する創造神も存在している。この神は被造物より絶対的に上位の存在として、被造界を統治している。
 
 またこの神(創造神)は、他の全ての被造物が存在するより前の、無限の過去から無限の未来にわたって存在するものとなっている。
 創造神ベースの世界観には「永遠」という理念が存在していることは留意しておくべきである。
 
(「学び方」-6/・・完)
 
 
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「正しい学び方」5 ~世界観の生成過程~

2020年09月11日 | キリスト教の正しい学び方
 
<人生観と世界観>
 
 先回、世界観は人生に大きな役割を果たしている、と述べた。
 世界観は人生観につながり、それを方向付けている。世界はこうなっているというビジョンの一部に、自分の人生イメージは位置しているからだ。
 「世界観は人生観の上位概念」ということもできる。その意味でも世界観は重要なのだ。
 それほど重要なものを、我々はどうして額面通り自覚できないのだろう。ひとつにはそれが人生に遅く出現するからではないかと思われる。
 
 <世界観を持つとき>
 
 世界観とか人生観とか言った、広く言えば「~観」というものを人間はいつ、どうやって持つのだろう。
我々は幼児期にそんなものをもつことはない。
 
 我々の存在は「まず母親の胎内で胎児として」始まる。この時には「~観」などという思想はその意識にはなく、
あるのは、「生きよう」という欲求のみだ。
 
 この欲求は、存在を始めた時から無条件に埋め込まれている。これを短く「生きよう欲」と呼ぼう。
 
 胎内にいる間は、その欲求を満たすためのいかなる行動をもとる必要がない。母とへその緒でつながれていて、生きるための養分はそれを通して供給されている。酸素もそれを通して供給されているので、呼吸活動をする必要もない。
 
 身体は羊水の中に浮かんでいるから、自らの身体姿勢を整える必要もない。「生きよう欲」は胎内では100パーセント他動的に満たされていて、胎児は何もする必要がない。
 
<誕生すると充足行為が必要となる>
 
 赤ん坊としてこの世に誕生すると状況は一変する。羊水から出され、へその緒を切られる。その時から人間は、「生きよう欲」を満たす行為をせねばならなくなる。呼吸をして酸素を取り込む行為、乳を飲み込んで栄養を得る行為が必要となる。
 
 「生きよう欲」が存在の当初から無条件に埋め込まれていることは、たとえば赤ん坊の口と鼻を塞いでみたらわかる。激しく頭を左右に振って息をしようとするだろう。授乳の途中で哺乳瓶を取り上げると、泣いて求めるだろう。これらの行為は、人間が「生きよう欲」という欲求意識を基底に持って生まれていることを示している。
 
<幼児・幼年期>
 
 幼児期・幼年期にも、その意識は「生きよう欲」をめぐって形成される。
「~観」といった思想はまだ心に現れていない。
 
 幼児・幼年者の抱く「快」と「不快」の感情も、この欲求を基点に発生している。快感は「生きよう欲」を促進するような作用が与えられるときに生じる。不快感はその充足を妨げ抑圧しようとする力を受けるときに生じる。不快意識は憂鬱(うつ)意識に通じている。
 
  幼児期に授乳され、食物を与えられることは、「生きよう欲」に沿ったものだ。だから幼児の意識には快感、快の心理が形成される。
 親は通常、愛情を持ってそれらを与え続ける。その行為から幼児は「よく食べ、よく飲んで生きなさい、大きくなりなさい」との波動メッセージをも受信している。
 
 こうして 幼児は親に頼り切り、これによって子供の意識は母親のそれと一体化していく。
一体化・同一化は肉体的・物理的にはできなくても、精神的にはできていくものだ。
 
+++
 
 幼年期になると、人間は自分の肉体を破壊することで「生きよう欲」に障害を与える存在を認識するようになる。具体的には物的暴力と病を意識する。
 彼らはたとえば見知らぬ人には、自分の肉体を物理的に傷つける可能性を感知し、恐怖を感じる。幼いときの「人見知り」はそれだ。
 恐怖は不快で憂鬱な心理だ。彼らは物的暴力から守ってくれる存在としても親を感知するようにもなる。それも親への依存心を心に形成する。
 
 病気に対しても恐怖感を抱くようになる。「生きよう欲」を阻害する要素だからだ。
医者がこれから守ってくれる存在だ、と感知すると、幼年者の心には医師への依存心も形成される。
 
<少年・少女期~無常観の生成~>
 
 少年・少女期に入ると大事件が生じる。彼らの頭脳には理性という能力が活動し始める。理性とは「ものごとを外から距離を置いて一般的に見る」能力だ。
  彼らは、親をも距離を置いて眺められるようになる。母親が自分と違った「もうひとつの個」であることに目覚める。同時に自分も「一つの個」であることを知る。こうしていわゆる「自我の目覚め」が起きる。
 
 このとき衝撃的な事件が彼らの心理に生じる。祖父母や親類の老年者が死ぬと、彼らはそれを「愛する人が明くる日から突然いなくなった」という事態として受け止め、従来無かった衝撃を受ける。
 
 この頃には彼らは、ほとんどもっぱら五感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)をベースにして物事を認識している。愛する人もその存在を肉体として認識している。だから、祖父や祖母の死は、その肉体が消滅することで、それは祖父母のすべてが消滅することと認識される。
 この種の認識を繰り返すことによって、彼らの心には「人間はいつか必ず死ぬものだ」という一般知識ができていく。これは人生観という、「観」の意識の始まりでもある。
 
 この認識は広がっていく。人間だけでなく、この世のもの(物質)はみな消滅する・・・との世界観に拡大していく。諸行無常、無常観というのは世界観なのだ。
 
+++
 
<どうせ死んでおしまいだ・・・>
 
 無常世界観は固定的なイメージ(観)となって「生きよう欲」を上から抑圧し、いじめ始める。
 英語のディプレッション(depression)という語が鬱心理を指すのも、「生きよう欲」という基底欲求が「上から抑圧されている不快な状態」を指してのことだ。この邦訳語が抑鬱である。
 
 人が自分に関して抱くイメージは、固定化して「観」になると、それ自体メッセージとなって当人の心理に持続的な影響を与える。無常世界観は以後、生涯にわたって「生きよう欲」に破壊の力を与え続ける。
 
 心の中のメッセージが与える効果は、繰り返し想起されることによって、強くなっていく。無常観というやっかいな思いは、年齢と共にその影響力を強化し、現代人の心底で抑うつ感を形成し続けている。日本ではそれが特に強く、膨大な数の鬱病、引きこもり、自殺を生んでいる。
 
 世界観とはそれほどに影響力の大な重大な要素なのだ。なのに我々はそのことに気付かない。時々大人が「若い内に人生観、世界観を確立しておきなさいよ」とのたまうくらいだ。人生における生成が遅いからだ。
 
<打開策は世界観で>
 
 鬱病の事例は、無常世界観が打倒さるべきものであることを示している。そしてその打倒は結局、対抗する世界観によるしかない。
 
 無常世界観、人生観を、それと反対の存在感・世界観でもってオーバーシャドウする(自分の影で消してしまう)のだ。
反対の世界観とは「人間は永続する」、「世界には永続する存在がある」という存在感をもった世界観だ。
この世界イメージが強く強固になれば、それはオーバーシャドウ効果を発揮するのだ。
 
<五感ベース世界観ではダメ>
 
 「人間永続」の世界観は五感認識をベースにしたものではない。人の五感は物質しか認識できず、物質はみな時がたてば崩壊して消滅する。物質世界はすべてが「死」に向かって変化する「諸行無常」の世界だ。
 
 これをオーバーシャドウする世界観は、少なくとも「五感を超えた」認識をベースにするものでなければならない。通常その感覚は「第六感」とか「霊感」とか言われている。これによる認識領域は「形而上の領域」または「形而学的領域」といもいわれる。
 
 この形而上学的世界観のなかに、他を圧倒する論理構成をもったものがある。これから説明していく「正しいキリスト教」の世界観がそれだ。
 
(「学び方」5 ~世界観の生成過程~・・・完)
 
 
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「正しい学び方」4~世界観の実用価値~

2020年09月10日 | キリスト教の正しい学び方
 
 
 前回、聖書が述べている全体像は世界観と言ってもいい、と述べた。
その世界観の語を筆者はここでは広く考えている。自分を取り巻く社会とか世界はどうなっているかのイメージでありビジョンだと。
 
 だから環境観といってもいいのであって、天国から宇宙までも含めたものも世界観なら、自分の属する家族のイメージもその人の世界観の一つだ。
 
 
<セルフバリュー感を充填する>
 
 世界観は、人間が生きていく上で、予想外に大きな役割を果たしている。
 まず、第一に、その中に自分を位置付けることによって、自分の存在意義、存在価値の意識を作り出す。
短く言えば自価意識、日本語英語で言ったらセルフバリュー意識、これを作り出す。
 
 たとえば自分の国とか自分の家族とかのビジョンの中に、自分を位置づけると、「ヤマト男児・ヤマトなでしこ」とか「山本家の一員」とかいうイメージができる。
 それは自国や自分の家族に価値を感じている限り、自分のセルフバリュー感を高める。
 
 人は何らかの形で自分の存在は価値あるという意識を持たないと、生きられない。世界観はこの欲求充足に大いに役立っている。
 
 
<日常実生活にも貢献>
 
 日常生活でも、世界観は実用的役割を果たしている。
 われわれは日頃、様々なものごとに関して決定をしながら生きている。
この意志決定のとき、我々はまず自己の世界観の中にものごとを位置づける。
 
  次にその世界観に関連付けてものごとの意味と価値を考え、その価値に従って、自分の行為の正否を判断(価値判断)する。
そうしてとるべき行動の決定をする。こういう精神作業を我々は日々行って生きている。
 
 世界観は、日々の実生活にも大きく役立っているのだ。
 
 
<潜在的だが強い世界観欲求>
 
 我々はそのことに気付いていない。だから世界観欲求は通常は自覚することのない潜在的欲求となっている。
 食欲と比べたらいい。食欲は発露するとストレートに充足行為をうながす。腹が減るとすぐに食べたくなる。そして充足するとただちに消える。
 生理的欲求というのは発露も行為もすぐれて直裁的なものだ。こういう欲求は目につきやすく、自覚も認知もされやすい。
 
 これに比べると、世界観欲求は、自覚されにくい。だが、そのありかたは、人生のあり方に重大に関わってくる。
故に、人は心の底で、よき世界観への欲求を潜在的に強く抱きつつ生きているのだ。
 
<技術一つ、世界観一つ>
 
 若干の付言をする。
端的に言えば「人が生きていくのに柱となる知識は二本ある」と筆者は考えている。
技術知識と世界観知識がそれだ。
 
 技術知識とは、現実の世が買ってくれる知識、経済学の言葉で言えば「需要」される知識である。
人は肉体を持っているので、これを養いつつ、つまり、肉体に糧を与えつつ生きねばならない。その糧を得るには、最低限一つの「買われうる」技術が必要なのだ。
 
+++
 
 もうひとつがここで述べた世界観知識である。
 これは自分をその中に位置づけて、自分の存在意義のイメージを造ってくれる。
 意義は価値に通じ、自分の存在価値意識、セルフバリュー感(自価意識)を高める。
  
 セルフバリュー感は「生きよう欲」を強める鍵だ。
 自価意識は実は、技術を世に供給する際にも、その意欲を形成する源だ。
 これが弱いと、技術が買われないことがあると心が挫折しやすくなる。折れるやすくなる。
 
  すると、自分でも不思議なくらいに、気持ちが立ち上がらなくなり、引きこもりたくなる。
 現在、日本に40~60歳の、高齢ひきこもりは約100万人というが、真因はこの自価意識の弱さにある。
 
+++
 
  また、世界観は人生において重要な決定事項に直面したときには、助けになる。
重要事項は、その世界意識の中に慎重にものごとを位置づけ、事の正否、善悪を判断することが必要なのだ。
 
「若い内に世界観・人生観を形づくっておけ」といわれるのは、それ故なのだ。
 
 
(「正しい学び方」4 ・・・完)
 
 
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「正しい学び方」3~全体像から感知していく~

2020年09月09日 | キリスト教の正しい学び方
 
 先回、「創造神理念(概念)は理論を含む」と述べた。
神理念が理論を含めば、それをベースにする創造神宗教も当然理屈を含むことになる。
 
 理論は言葉で示される。創造神宗教にはそれを示す言葉がある。
言葉は口から語られる。だが口伝されるだけでは、変化しやすいし、消えてしまうこともある。
それは文字にして書物に記されて初めて安定し、恒久的になる。
宗教ではその書物を教典という。創造神宗教には、教典は不可欠である。
 
 ちなみに在物神宗教には神を説明する理論が無く、言葉が無く、教典は無い。
教典かと思って眺めてみると礼拝儀式の作法などの書物だ。
 
 こちらは拝んで神秘的な感慨の得られる物質があればいいのだ。
 
 
<聖書の内容は多種多様の極み>
 
  キリスト教は創造神宗教であって、その教典は聖書である。聖書は、ページ数から言っても膨大な書物だ。
 その中には60余の書物が収録され、各々に多くの話が含まれている。
 
 創造神が天地を作った話、人間を造った話、人間が悪魔に誘惑されて罪を犯す話、創造神の御子が人となって地上に来て救う道を作る話、その他、不妊の女が100歳になって子を産む話、処女が子を産む話、人間のあいだの愛、嫉妬、憎しみの話、罪と赦しの話、民族統治の方法、処世の知恵など、多種多様極まりない。
 
 これらをどう読んだらいいかのか。ベストなのは、まずこれらの話全てをカバーするような理論や全体像のようなものに関心を抱き、その視点を保ちながら聖書の全部を通読することだ。
 
 冒頭から話を出てくる順に通読していく。個々の話に解釈を考えないで、とにかく物語をダラダラ読んでいく。
 一読に結構時間がかかる。だが繰り返しているとある時、聖書全体に貫徹している法則のようなものや、それらが組み合わさって構成する「全体像のようなもの」が感知されてくる。
 聖書はそういう全体像を共有する複数の人によって編集されている。通読を繰り返していると、その全体像に近いものが浮かび上がってくる。
 
+++
 
 全体像は雰囲気ないしはオーラとして浮上してくる。それは存在観(存在の根源は何かを示す)や歴史観などを含めている。それらを総括したものを世界観と言ってもいいだろう。
 浮上した世界観のオーラを言葉にし、論理的に組み立ててみる。たとえば~
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 世界は創造神と被造物によってなっている。創造神は霊的存在であり、被造物は物質と霊で構成されている。
 創造神はまず天国(天の創造神王国)という被造空間を創り、その中に将来御子が着座すべき王座を創る。
 さらに、創造神に仕える御使い(天使)を創り、創造神の意図に反する行動をする天使を閉じ込める牢獄空間(宇宙)を作る。天使は霊的存在である。
 
 実際、反逆天使群が出現し、彼らはその宇宙に閉じ込められる。宇宙は暗やみ(黄泉)である。
反逆天使は悪霊となり、その長は悪魔(サタン)となり、牢名主の如くに君臨する。
悪魔は「世(暗やみの世界)の君(君主)」となる。
 人間はその宇宙の中に創られる。肉体の中に霊が含まれた存在として創られる。そしてドラマが始まる・・・。
          (以下省略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 ~といったようなものだ。奇想天外なようだが、筆者の場合、聖書を通読していくとこういう世界歴史観が浮上する。
 
 
=聖書の空間理念=
出所:『聖書のことがよくわかる本』鹿嶋春平太、中経出版
 
+++
 
 そしてその世界観の中に、個々の話を位置づけいく。
それに沿って、個々の話を解釈していく。聖書はこのように読むのがベストだ。
 
<合成の誤謬~経済学の経験則~>
 
 だったら先に個々の話を解釈しておいて、そのすべてを組み合わせても同じ全体像が得られるのではないか、とも思える。
だが、実際にはそうはならない。
 
 そのことは、経済学の分野で確かめられている。
経済学ではマクロ経済とミクロ経済という言葉を使う。マクロは国民(国家)経済を意味し、ミクロはその中で活動する数多くの企業や家計である。
 ミクロ分析とはその企業・家計を認識するために行う分析だ。マクロ分析は、全体としての国民経済を直接認識しようとする分析だ。
 
 すると、ミクロの企業・家計情報を合成するとマクロの国民経済が把握できる、と思えるだろう。だが、実際にその合成情報はマクロ経済を直接分析して得た情報に一致しない。
 この経験から経済学では「合成の誤謬」という語が作られている。ミクロ情報を合成しても、マクロを直接分析して得る情報と一致しないのだ。
 
+++
 
 これは経験法則と言っていい。経済学での経験法則は、聖書理解にも当てはまる。聖書の中の個々の話を解釈して得られる情報をすべてを合成しても、聖書全体を直接認識して得られる全体像には一致しない。
 
 やはり、聖書の持つ全体像を先に掴んで、それに個々の話を位置づけ、解釈していくことによって妥当な認識は得られるのだ。
こういうやり方を英語では「ブレイクダウンしていく」という。マクロからミクロに割り降ろしていく認識の方法だ。
 
(「正しい学び方」3・・・完)
 
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「正しい学び方」2~創造神概念が含む理論の例~

2020年09月02日 | キリスト教の正しい学び方

 

 前回、在物神イメージ(心理)の中身は感慨であり、創造神イメージの中身は理念であると言った。
理念には理屈が有り理論が含まれていると言った。
 理論のいくつかを具体的に見てみよう。 
 
<創造神は「唯一者」>
 
 理念からは論理が展開する。 たとえば(万物の)創造神の理念には「ただお一方」しかおられない、という論理が連なって生まれ出る。
 試みに「万物の創造神」がA、Bと二者おられたとしたらどうなるかを考えてみよう。
 
+++
 
 もしA神様が「自分以外の万物」の創造者だとなれば、B神様はその被造物となってしまう。つまり、創造者ではなくなる。
 逆にB神様が「万物の創造神」だとなれば、こんどはA神様が被造物となってしまう。
この様に、創造神が二者であるという理屈は成り立たない。
 「万物の」創造神は実際には「ただお一方で唯一者」でしかありえない。
 
 そういう論理が創造神概念には連なり含まれているのだ。
 
 
<創造神は「時間空間的無限者」>
 
 この他にも「空間的無限者」「時間的無限者(永続者)」といった属性理念も連なり含まれている。
 
+++
 空間的無限者、はこうだ。
 もし「(万物の)創造神」が空間的に有限ならば、その外側のものは「オレが創った」とは言いがたいだろう。
だから創造神は空間的に限りがあってはならない。外枠の輪郭のない、どこまでも広がっている無限者でなければならない。
 
+++
 時間的無限者も同様だ。もし、創造神の存在に「はじめ」があったら、どうなるか。それ以前のものは「オレが創った」とは言いがたいだろう。故に創造神は無限の過去から存在していなければならない。
 
 未来についても同じだ。もし未来のある一時点で創造神の存在が終わるのなら、それ以後のものは「オレが創った」とは言いがたい。つまり「万物の」創造神でなくなる。創造神は未来にも無限に存在しなければならない。
 
 つまり、万物の創造神は「時間的にも無限者」と論理的にもなる(聖書にはそれを示す聖句が多く記されている)。言い換えれば「永続者」なのだ。
 
 唯一者であり、時間的にも空間的にも無限者である神。創造神概念にはそういう理念が連なって存在する。そういう理念体なのだ。
 
+++
 これと、中身が感慨で理論が皆無な在物神概念との違いが、いかに大きいか。
それを銘記しないと、創造神ベースの宗教(キリスト教)の話を聞いていても、知らず知らずのうちに在物神感覚が意識に混入してきてしまう。
 自然発生の在物神感覚は、心に根深く存在するからだ。
 
<在物神だらけの国>
 
 そもそも人は、自然な状態においては,そこいら中の物質に在物神をイメージしつつ成長していく生きものなのだ。
狐や蛇などの動物にも神をイメージしていく(それを祀った神社も多い)。
その結果、どの社会でも人々の意識の中は在物神だらけになる。
 
 八百万(やおよろず)の神というのは、そういう神意識が抱かれている現象を表皮的にみての言葉だ。
 こうした神を「存在すると感じて」礼拝するのが「在物神宗教」だ。
在物神宗教もまた、島倉千代子の唄~“人生色々”~のように、色とりどりに咲き乱れる。
これまた自然の理だ。
 
+++
 
 「日本は多神教の国」と誇らしげに言う知識人先生も多い。だが、この先生がたも神概念の相違に完全無知な状態でのたまっている。
 「多神教の国」の実体は「在物神だらけの国」というだけである。日本人の神意識はほとんどそれ一色、というだけのことである。
 
<クリスチャンの心にも併存>
 
 在物神意識はクリスチャンと自認する人々の心底にも根深く染みつき活動している。
創造神概念(理論を含んだ神概念)への、在物神イメージ(「存在する、しない」を感覚で判断するだけの神概念)の混入が頻発している。
 信徒のみならず日本では、牧師さんにおいてもその傾向が濃い。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
=コラム=
 
<在物神イメージ混入の事例>
 
 創造神なのに在物神的になってしまっている事例を一つ挙げておこう。
 これはある教会の主任牧師さんによるSNSへの投稿だ。(意味が漠然としている箇所には、筆者が括弧を入れたり、その中に言葉を挿入したりして補っている)
 
+++
 
 投稿文には、教会での説教のように、最初に聖句を掲げられている。おそらく説教の要約だろうが、とにかく下記の如しだ~。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。 
神に近づく者は、神がおられることと、 
神を求める者には報いてくださる方であることとを、 
信じなければならないのです。」
 
(ヘブル人への手紙11章6節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
=お話=
 
 最近、生まれついての長年クリスチャンであると言われる人が(人でありながら)、
「神の存在を全く信じていない」と言う人に出会いました。
 
その方(信じていないという人)は「神が愛されているとか恵まれたと言うのが理解できない。(自分は)キリスト教という宗教をしているだけだ」と言われました。
 
 私(牧師さん)は「神が報いて下さると言うのに
その対象が無いなら非常に虚しい事だ」と思いました。
やはり、神が実在されると強く証言ができる人や、
奨励される方が傍にいなくてはと思わされます。
 
 私(牧師さん)は、大の宗教嫌いでしたが神様が
本当に居られると思ったから
キリスト教会に通うようになりました。
そうしたら聖書の通りに神様の体験をし、
信じる決心ができるようになりました。
 神様が私を愛されている事、
その恵みを知り私は180度、変えられました。
本当に生まれてきてよかったと
言えるようになりました。
 
 神様が居ないという事なら、
キリスト教はとっくに辞めております。
 
 隣に住む83歳になるお母様も
もともとカトリックの女学校出です。
シスターに「神様は本当に居られるの?」
(と質問したら)
「さあ?どうでしょうね」と言われたので
信じるのを辞めたと言われました。
 
 しかし、私(牧師さん)が「神様は間違いなく居られるよ」とお伝えしたら、
「そうなの? では、イエス様を信じます。」
と信じる決心をされました。
 
(投稿、以上)
 
+++
 
 ここで牧師さんは、神様(創造神)が「存在する、しない」という感覚判断だけで信仰を語っておられる。だがそれは在物神向けの信仰だ。
 
 上記の掲示聖句はパウロという伝道者の言葉なのだが、パロがここで言っている「信仰」は、牧師さんのものとは別ものだ。
 
 キリスト教の神概念は、「万物を創り、統べ治め、限りなく大きく、永遠で、ひとり子をこの地上につかわし・・・等々の理念をもっている。それを知り、また証拠づける奇跡も体験して、徐々に得ていく「実在感と信頼感」がその信仰の中身だ。
 
 より詳しくは後述するが、創造神向けの信仰は「知って深めていく」信仰なのだ。
 
 それがここでは、在物神向けの「有る無し感慨」の信仰になりかわってしまっている。そういう典型例だが日本においてはこれがごく普通なので、殆どの読者はそれを奇異に感じない。
 だが、こういうものを矯正しながら前進しないと、「正しいキリスト教の学び方」には近づけない。
どうするか?
その併存心理を自覚するのである。
それが、道をまっすぐにする作業のポイントだ。
それについては後述する。
 
 
(「正しい学び方」2・・・完)
 
 
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「キリスト教の正しい学び方」1 ~久々の連載~

2020年09月01日 | キリスト教の正しい学び方
 
 
久々に連載をしてみようと思います。
タイトルは「キリスト教の正しい学び方」と仮につけました。始めましょう。
 
@@@@@@@@@@@@@
 
<目茶苦茶なキリスト教イメージ>
 
 キリスト教に関する日本人の認識は、誤解に満ちている。仰天するような、今流にいえばメチャクチャな誤解も多い。
 
~「ああ、宗教か・・・」
「宗教は、鰯の頭も信心次第でアリガタクなる、といった類いのものだ」
「なんでも信じれば有り難くなる、なんて馬鹿みたいな話しだ」
「オレは宗教はゴメンだ」
 
 日本ではこうしたイメージは当たり前で一般的だ。
その実状の中で、いきなり「これが正しいキリスト教ですよ」と話しても、はなっから会話にならない。
 
 上記の感想は、誤解に基づいている。まずこの仰天イメージ、仰天誤解に取り組むことから始めねば会話は進まない。
 つまり「正しいキリスト教」でなく、「正しくないキリスト教」をみることから始めるのだ。
 
 
<人のもつ「神イメージ」>
 
 誤解イメージが生じるには、相応の由来がある。「信心次第で鰯の頭も神様になる」は、人が抱く「神イメージ」の種類に密接に繋がっている。
 
+++
 
 人の認識は五感~視覚や聴覚などの~で物質を認識するときに最も明白になるようにできている。
だから人はまず生まれて以来、五感認識をベースにして日常を生きる。世界観も五感覚ベースで描いている。
 
 ところが、我々には第六感とか霊感と呼ばれるものも、かすかながらある。それによって五感認識を超えた世界もあることを、かすかに予感しながら人は生きている。
 
<神は「見えない影響者」のイメージ>
 
 また人は、五感認知できる物質世界だけでは説明できないことを経験もする。死んだ先祖の夢をリアルに見たり、あるいは、醒めているなかで人の幻を見たりすることもある。
 
 そうした経験を重ねる内に、我々は“神”のイメージを自然に抱くようになる。
 神とは、定義すれば「見えない影響者」だ。こういう「影響者のイメージ」を、漠然ながら心に抱いて人は生きている。
 
<「神イメージ」の出来方>
 
 われわれはこの“神”を、生まれて成長する中で、まず“物質の内部に”イメージする。
 巨大な木や岩に対面すると、そのなかに神を意識する。それを「ご神体」と言ったりする。
 
 荘厳な建物の前に立つときもそうだ。空や海や山も川も自然の物質で出来ている。その内部に「神が宿っている」とイメージする。
石や木に刻んだ彫像にも、また時には神秘的な雰囲気を持った人間にも、その中に神が存在していそうだと意識する。
 
 こういう有限な大きさの物質のなかにまず神を感じる。これは人間の自然の情だ。
 
+++
 
 筆者はこの「神(のイメージ)」を在物神(ざいぶつしん)と呼んでいる。「“物”のなかに存“在”するとイメージされる“神”」という意味での命名だ。
 
 在物神の語は憶えておきたい。
 
<「在物神」イメージの中身は感慨>
 
 在物神イメージの心理的中身は「感慨」だ。彫像や建物や巨木や巨岩を前にしてジーンとくる神秘的な感慨だ。
 感慨は感情だから、その中に理念・理屈がない。この神はどういう属性を持っているか、どういう働きをするかなどに関する理論がない。言い換えると存在理論がない。
 
 だから、在物神についての判断は、ほとんどもっぱらその存在が「ある」とか「ない」とかの感覚的判断となる。「信じる」という言葉の中身も、「存在していると思う」であり、「信じない」は「存在していないだろうな」という感情だ。
 
 
<在物神宗教>
 
 この神イメージを「存在すると思って」崇拝するのが在物神宗教だ。そして自然のままでは人は、生まれてこの方、このタイプの宗教しか知らない、身近にあるのはそれだけ、という心理状況でくらす。
 その結果人は、「神様とはその存在を信じるか信じないかの対象だ」という通念を抱いて暮らす。
 
 この通念は「なんでも神様だと信じれば神になるんだ」という思想に繋がっていく。そしてそれを批判的に外からみて「鰯の頭も信心」と皮肉交じりに言ったりもする。
 
 だが、そう語っているこの人も、自分が「在物神宗教しか知らない人」であることに気付いていない。
 
<「創造神」~自然発生しない神イメージ~>
 
 人類社会にはもうひとつ別の神イメージがある。
万物の創造神、というのがそれだ。
 この神は「物質も、その中に染み込んでいると創造される神がいるならばそれも含めた」すべて、自分以外のすべてを創造した神のイメージだ。
 
+++
 
 ところがこの神イメージは、在物神イメージとは違って、人の心に自然に生じることがない。
 
 在物神イメージは人の心に自然発生していく~。
 
 人は生きているなかで、物質を五感(目や耳)で自然に認知する。次に、認知した物質のなかに、自然に~本能的に~「見えない影響者」をイメージしていく。こうして在物神イメージは自然に心に生成していく。
 
+++
 
 ところが創造神の概念は人の心に自然発生しない。
なぜなら、人は「全存在物」なんてものを一度に五感で感知することはできない。感知できないものは、実体イメージが心にできあがらない。
 
 実体イメージがないのだから、その中に「宿っている神」というイメージも生じようがない。「すべての存在を創造した神」というような神イメージは心に“自然 に”できあがってくることはないのだ。
 
 
<創造神イメージは理念>
 
 創造神イメージというのは「外から言葉でもって」その理念が投げ込まれることによって心にできあがるイメージ体だ。
「存在の全てを創造した神がいるんだよ」という言葉が外から送り込まれて初めて意識に出現する。
 
 その事件が起きた状況が、聖書に記されている。その詳細は追々のべていく。
が、とにかく、そういう事件があり、それが記録され、かつ言い伝えられることが人類史の中でおきた。
 
 その結果、いま一定数の人類の意識には、創造神という神イメージも抱かれるようになっている。
 それが人類世界の風景だが、日本人にはそれに気付いている人は非常に少ない。
 
 だから「キリスト教 ⇒ 宗教(在物神信仰) ⇒ 盲目思想」 ・・・という誤解はごく自然に生じるのだ。
 
(「正しい学び方」1 ・・・ 完)
 
 
 
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Vol.36 英国教会の国教権威、完全崩壊

2016年07月15日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。

国教会制度をとっている英国に、次々に新教会が誕生します。

代表的なものには長老派教会もありますが、これは後にしましょう。


今回は、アングリカンチャーチ(the Angican Church・・・英国国教会)が宗教統制機能を失って、変質していく様をながめましょう。




<国教会制度とは>


そもそも国教会制度とは「我が国の宗教はこれでいく、他は禁止」と国家の政権者が宣言し、維持する制度です。

他宗教を行うものは異端者として、火刑に処したりして厳しく取り締まる制度です。

+++

英国は中世時代にはカトリック教会を国教としてきました。

カトリックはこれまで見てきたように、宗教統制のプロ集団です。

英国に於いても、他宗教は禁止て、完全統制してきました。




<ヘンリー8世の豪腕>

だが国王ヘンリー8世が、突然この教団を追放し、アングリカンチャーチに切り替えました。

突然のことですので、新教会はカトリックの模倣版でいくしかありませんでした。

+++

カトリックの教皇はイエス・キリストの代理人として絶対の権威をもって君臨していました。

ヘンリー国王はその教皇の役割を新しく、カンタベリー大司教に割り当てました。

ただし、国王はその認可権を自らの手に握りました。

そのぶん、カトリックとまったく同じというわけではありませんが、まあ、大変な権威を大司教に与えました。

司教、司祭にもカトリックと同じ権威を与えました。

英国教会はそうして始まったのですが、突然職位に着いた聖職者には、カトリック僧侶のように念入りな統制を実施する技術がありません。

英国での国教統制は、大幅に緩やかになってしまいました。





<自由吟味者に覚醒される>


欧州大陸の自由吟味者たちは、 その情報をいち早く入手して、英国にどんどん移住してきました。


英国人民は自由吟味者たちの真摯で知的活性にあふれた活動を目にして、速やかに精神の覚醒を受けました。

影響されたのは人民に留まらなかった。

アングリカンチャーチの聖職者たちも覚醒されてしまいました。


+++

彼らの一部は改革ピューリタンとして国教会を内側から激しく揺さぶりました。

他の一部は分離派ピューリタンとして、勝手に国教会からの分離を宣言し独立行動をとっていきました。

またあるものはアングリカンチャーチは真の教会にあらずと、メソディスト教会を作り、
組合派教会を作り、長老派教会を作りました。




国家教会はボクシングで言えば、棒立ちでボディーへ顔面へと乱打を受けている状態になりました。

これが続いて、英国の国教制度は塩のように解けていきました。




<弾力的に対応する体質>

しかし、そうなっても英国教会は大木のように倒れることはなかった。

自分も上手に変化していって、存在し続けたのです。



+++

けれども英国の「国教」を意味する「アングリカン」の名は、もはや実態とかけ離れてしまいました。

すると、誰が作ったか新しい名が現れました。

「監督派」がそれです。

こういう事態は普通は起きません。

この弾力的というか,なし崩しに現実に対応していく姿に、筆者はとても英国的なものを感じます。

そしてそれを形成した土壌として、自由吟味活動を感じます。






<監督派という名>


名前の由来を見ましょう。

「監督」は英語で(episcopacy)です。

これは初代教会時代の使徒の呼び名に発しています。

使徒たちは長老とか牧者とか監督とか呼ばれました。


+++

初代教会の使徒たち自身は、自分を特別な権威あるものとはしませんでした。

イエスは彼らに、教える立場になっても君臨するなと、有名な「最後の晩餐」で入念に戒めています。

すなわち、ここでイエスは彼ら一人一人の足を洗っている。

そして「先生である自分がこうしたのだから、これから先生になる諸君も奉仕する人になれ」と命じているのです。

(「ヨハネによる福音書」13章)


+++

そういうわけで使徒たち自身は君臨しなかったのですが、カトリックはそうではなかった。

彼らは、使徒の権威を職業聖職者の正当性イメージ形成のために用いました。


たとえば使徒ベテロを「教皇」の地位を作るのに使った。

彼らは使徒ペテロのリーダー的地位を、創造神によって与えられた「使徒座」としました。

そして、ここに座るのは教皇であり、そして歴代教皇はこの座を受け継いでいるのだとしました。


+++

また、そこから他の教職者にも権威を供給した。

司教を使徒の「監督」の権威を分与されている地位であるとした。

(なにやら日本で、本山の神社のお札をもらって支部神社を作っていくのに似てますね)

とにかくそうやって聖職者による独占的教会運営を正当化してきたわけです。

+++

アングリカンチャーチもカトリックの運営方式をそのまま受け継ぎました。

だが、その統制力は急速に空洞化しました。

これをみた人々から、エピスコパルチャーチ(監督派教会)との呼び名が現れたのではないでしょうか。

+++

その事情は、次のように推定されます。

プロテスタント教会では、教会運営には一般教会員も教会運営に関与するのが通常です。

牧師など教職者だけではない。

また組合派や長老派などは信徒だけの運営です。

+++

この中でアングリカンチャーチでは、聖職者が独占的に教会運営をしています。

その聖職者に,人々は初代教会の使徒たちのイメージを重ねたのではないでしょうか。

この「使徒たち」は初代教会ですから「監督たち」でした。

(これでいくと、カンターベリー大司教も司教も「監督たち」になります)


この概念を,人々は変質した英国教会に適用した。

それでエピスコパルチャーチ(監督派教会)と呼んだと思われます。


気分としては「えらい監督さんたちが独占的に運営してい教会」といったところだったでしょう。


+++

この教会では、今も聖職者を「監督」としてやっています。

そしていまでは、大規模プロテスタント教会の一つのようになっています。



     


<聖公会>


ところが日本では、英国教会にもう一つ、聖公会という呼び名も出現しています。

こちらの方が監督派よりポピュラーになっています。


この名前が出たのは、おそらくこういうことでしょう。

当初はエピスコパル(Episcopal)を監督派と直訳した。

だけどこの邦訳語からは、日本人は具体的なイメージをさっぱり描けなかった。

せいぜいプロ野球球団の派閥争いでの、コーチ派に対抗する監督派くらいしかイメージできない。

そこで、もう少しましなものを、と「聖公会」を考えたのではないでしょうか。


+++

聖公会の名は「使徒信条」の中の「聖なる公同の教会」という語句からとったものでしょう。

だが「聖にして公同」というのはキリスト教会すべてに適用できるフレーズです。

一つの教会の特徴を示すにはあまりに意味が広く、アングリカンやエピスコパルの語とも全然繋がっていません。

こういう語しかつけられないところに、アングリカンチャーチの実体が流動的多面的でとらえどころのないものになっていることがうかがえます。

+++

<立教大学を創設>

この教団は他のプロテスタント教会と同じく海外宣教師も派遣しています。

明治維新後にキリスト教の禁教を解いた日本に来た聖公会の宣教師は、東京に立教大学の前身を設立しています。

福沢諭吉も聖公会の宣教師と家族ぐるみの交わりをしています。

もうプロテスタント教会とかわりありませんね。

この教会は現代米国にも沢山あります。

米国南部では、「アングリカンチャーチ」が通称のようです。

今回はここまでにしておきましょう。



(Vol.36 英国教会の国教権威、完全崩壊  完)








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Vol.35 会衆派教会~新島襄の同志社を支援した教団~

2016年07月06日 | キリスト教の正しい学び方







こんにちわ。

「キリスト教の正しい学び方」、本筋に戻ります。


今回は、会衆派教会の説明ですが、それにからめて思いつく事柄、いろいろ語ります。


+++


筆者は今、近代イギリスに生成したプロテスタント的な教派教会を順に紹介しています。

それらの情報を一つ一つ順に暗記するのは賢明ではありません。

それらすべてををカバーする全体像の中で、個々の出来事をつながりある形で認識することが大事です。

そうやって体系的に理解しないと、知識は力にならないのです。





<ドイツ人民は自由にならなかった>

ドイツでは、ルターの宗教改革運動によってルター派教会が、カトリック教会と併存するようになりました。

だがそれでも、欧州大陸は依然として強烈な宗教統制世界でした。

ルター派教会も、基本的にカトリック方式から教皇制度を取り除いただけの教会だったからです。

伝統的な教理統一方式の教会のままだったのです。





<カトリック教団の宗教統制を知るのが鍵>

ドイツでの教会の統制がいかに厳密詳細で執拗であったかを、我々は今少し具体的にイメージする必要があります。

それによって、英国に実現されていた宗教的自由のイメージが具体化してくる。


+++

そしてその鍵は、本家本元であるカトリック教団の統制行動を事例的に知ることにあります。

だが我々には、カトリック僧侶がとった統制行動の情報に接する機会があまりありません。

そのあたりの情報公開が、意外になされていないのです。

ここにも、自由吟味方式が「人間の精神を解放する様」を知るのを妨げる障害があります。  





<『マラーノの武勲』>

だが幸いなことに、カトリック統制の有様を詳細に描いてくれている、ドキュメンタリー的小説があります。

『マラーノの武勲』作品社(マルコス・アギニス著、八重樫克彦・八重樫由貴子訳)がそれです。

ここでも作家の調査力と描写力が助けになるのです。











+++

この小説の舞台は南米です。

著者が主人公に選んだフランシスコ・マクドナルド・ダ・ジルバは、アルゼンチン、トゥクマン出身の実在の人物です。

彼は1632年リマの異端審問裁判所で「ユダヤ教信奉の罪」の判決を受け、火刑に処せられています。

著者アギニスは、彼を巡る膨大な資料を解読し、専門研究者への聞き込みをも綿密に行い、異端への調査、追跡、逮捕、尋問、拷問の有様を臨場感あふれる物語のなかで描いています。








<『インディアスの破壊』>


ここで若干脇道ですが、小説に描かれた時代の前段階の情報を追加します。


大航海時代以後の南アメリカ大陸は、欧州カトリック諸国の軍隊と僧侶たちによって地獄のような侵略を受けました。

その様は、報告書『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫(ラス・カサス著、染田秀藤訳)に記されています。

報告書の著者ラス・カサスは、カトリックの聖職者です。

彼はスペイン人たちの非道な所業を止めさせるべく、スペイン国王カルロス五世に現状報告書を提出した。

その原本が上記の文庫本のもとになっているといいます。







+++

これを読むと、カトリックの聖職者は良心的だったような印象を受けます。

だが、実のところこうした聖職者は例外的でした。

大部分は軍隊の非業を黙認したり、その実行を命じたりしていました。

その非道の様を読むと、極東の平和な島国に住んできたわれわれ日本人は、胸が苦しくなります。

吐き気に襲われる人もいるでしょう。

人間はこんなことも出来る動物なのだ、と改めて思い知らされます。






<聖書の勝手な解釈をすると>

我々は、こういう行為を肯定する理念が、聖書から(安易に)引き出されていることを知らねばなりません。

安易に引き出した単純な解釈は、ほとんど、スローガンでしかなくなっているような身勝手な教理にもなりえます。

軍隊に随行した僧侶は、そうやってつくった勝手な催告を、原住民に対して読み上げたという。

報告書の著者カサスはその催告事例を下記のように記録しています。


・・・・・・・・・・・・・・・

~人間ひとびとりの身代わりとなって、自ら犠牲になられた神の子イエスは、「全世界に行って、すべての人々に福音を述べ伝えよ」と語られた。

~そのみことば(御詞)を受け入れ、(スペインの)カスティーリャの国王に臣従せよ。 

~もしそうしなければ、諸君らに情け容赦なく戦いを仕掛け、殺したりとらえたりすることになろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「スペイン人たちは、自分たちの土地で平和に暮らしている異教徒たちに対して、この催告を読み上げておいて、残忍な行為に及んだ」

~と著者カサスは記しています。


深夜に村落近辺にたどり着くと、そこでこれを読み上げた。

原住民に聞こえるわけがなく、また、聞こえたとしても、言ってる内容などわかりません。

だが、そういう儀式でスペイン軍人にこれから行う行為に正当性意識を与え、あらん限りの残虐を尽くしたのです。

そして、これを作成したのが軍隊に随行したカトリック聖職者だということ、これを忘れてはなりません。





<福音では「人間の自由意志」が前提>


たしかに「全世界に出て行って福音を述べ伝えよ」はイエスの命令です。

だが「受け入れない者は殺していい」という思想はそれに付随してはいません。

それは聖書の基本思想とは真逆でさえある。


福音には、「人間の自由意志を容認する」という大前提があるのです。

「受け入れない」という「選択」をした人は、最後の審判で予告された裁きを受ける~とはなっています。

だがそれは文字通り、ず~と後の「最後」のことです。

それに至る間での「受け入れる受け入れない」は人間の自由意志に任されているのです。


+++

けれどもそのことは聖書を総合的に吟味していって初めてわかってくることです。

軍隊や司令官や随行聖職者たちには、そんな感覚はない。

教団上層部から下される教理(一解釈)を鵜呑みにするのみです。

その上で、それを受け入れない者は「異端」として裁きにかけるのです。


こういう世界にいると、聖職者であってもその場その場で勝手な解釈を付け加えることになるのです。

軍人はもともと単純ですからそれを信じて勢いづく。

彼らは魚を料理するかのように、原住民を拷問し、財産を強奪し、殺戮をした。

それを「自分は神に奉仕している」と信じてやりました。



+++

教理統一方式のキリスト教では、人間はこういう風にもなるのです。

世に言う「キリスト教だって残虐行為をしてきた」とのセリフにおける「キリスト教」は、この方式のキリスト教です。


聖句自由吟味方式でのキリスト教活動では、こういう道は生じません。

だが、いまでも、キリスト教と言えば、前者しか世界の人々の意識には昇りません。

中世から現代に至るまで、そういう片肺非行の精神状態に人類はあります。

世界の人々は、キリスト教活動には二つの方式があることを、早く早く、 知らねばなりません。






<ユダヤ教徒も「異端者」だった>


話を小説『マラーの武勲』に戻しましょう。

スペイン軍による、そうした地獄の地ならしがなされた後の南米に、カトリック教団は欧州と同じ制度の教会を移植します。

そして、欧州大陸におけるに勝るとも劣らない執拗さで、宗教統制をおこないました。


+++

実在の人物だった小説の主人公は、ユダヤ教徒でした。

カトリック僧侶にとって、カトリックキリスト教以外はみな異端ですから、ユダヤ教信徒もまた、改宗させるべき異端でした。

その一人であった主人公に対する、執拗な追跡と攻撃の様を、著者アギニスは、準ドキュメンタリー小説として調査に基づいて詳細に描いています。


+++

従来、カトリックの異端攻撃の有様を示す具体的な情報は、今一歩のところで公開がなされませんでした。

だがこの本は、小説という手法をとって、それを具体的かつ詳細に示しています。

我々はこれによって、中世カトリック教団の蛇のように執念深い宗教統制の有様をリアルに知ることができます。

そしてそこから、中世欧州大陸の宗教統制世界の有様をも想像することも出来る。

中世カトリックはまさに、人間統制のプロでありました。





<そしてブリテン島の自由を認識>

海を隔てた大ブリテン島の自由世界は、この現実に対比してイメージすべきです。

両者を対比させたまさにその風景の中で、英国内で結果的に現実化していた躍動する精神世界を 追体験すべきです。

英国で生成していった新しい教派教会の情報を味わうべきです。

そこからイギリス国教会の統制力がガタガタになっていたことも推測できるのです。

それによって、われわれはイギリスのみに起きた教会事象を、立体的に理解することができるでしょう。



   


<会衆派教会>

前置きが長くなりました。

大事なことですので、長く語りました。

メソディスト教会の次に紹介すべき新教会は、コングリゲーショナル教会です。

この日本語訳は会衆派となっています。

だが、日本ではクリスチャンにも、それらの名の意味を悟っている人は少ないです。


+++

まず前述した~、。

「定番的になる教派教会の名前は、誰かが作ったニックネームが波及してできている」ことを想起しましょう。

そして、そのニックネームは外部者の目に特徴的に映じた一局面を表現していることを。


+++

この教派の名も同じです。

この教派は~、

 「教会というのは国家の法律で造るものではなく、個々の信徒(会衆)が契約によって結成し運営するもの」

    ~との理念に堅くたっていました。

だから、教会では、会衆が最終決定権を持っていました。

彼らが直接民主制的な方法でもって意志決定し、教会を運営していました。


この教会にも職業僧侶はいます。

だが、彼らは礼拝指導と説教のプロとして雇われた人です。

会衆は、彼らを教会運営に参加させることはしませんでした。


+++

この特徴を捉えて、外部者はコングリゲーショナル教会(Congregational Church )と呼び始めたのです。

コングリゲーショナルは日本語では「会衆的」です。

でも、日本の神学者や牧師さんにも、この意味はよくわからなかったでしょう。

わからないままでこれを会衆派教会と訳し、これを日本名としたのです。




<「組合派」の名も>


だが、わからないものはわからない。

そこで、日本では組合派という呼び名も現れました。

会衆よりも組合のほうが具体的なイメージがしやすいからでしょう。

「くみあい」というと、まず労働組合が連想されます。

次に、協同組合も連想されます。





<協同組合会社と株式会社の違い>


協同組合も、会社です。

これは株式会社に対比するものとして、英国に出現しました。

株式会社での全体運営の決定権は、株を所有する数によって配分されます。

大株主は、大きな決定権を持ちます。

一人が、全株数の51%以上をもてば、独裁権を持てます。


+++

ところが、英国のロッジデールで始まった協同組合(co-operative association)方式では、出資額にかかわらず、決定権配分は均等に一人一票でした。

このあたりも、人々が会衆派教会の特徴を理解するのに役だったのでしょう。

そこで組合派という名前も現れたわけです。

ただし、それが英国や米国でUnion Churichとか Co-Operative Church とかといって呼ばれていたかどうかは、筆者は、知りません。


+++

一人一票制の思想は、人間の持つ平等精神に呼応するところがあります。

おそらく、それもあってのことでしょう、会衆派教会もまた、大教会に成長しました。





<でも教理統一方式だった>


とはいえこの教会も初代教会のような聖句自由吟味方式にまでは行かなかった。

教理書をもつ教理統一方式で運営をしました。

聖句自由吟味土壌の影響を受けても、自由吟味方式にまで行くのはなかなか難しいようですね。

教理統一方式は、信徒を手っ取り早く一体化するには便利な道具です。

教理書は外部社会に対する教団の身分証明書のような役割もしますしね。





<同志社大学を運営>

日本で会衆派教団の顔となっているのは、京都に現存する同志社大学とその教会でしょう。

この学校は、米国の会衆派教会が創立者・新島襄を支援することによって出来ました。

新島は知恵と度胸をもった面白い人だったようです。

安中藩だったか、そこの下級武士のせがれだった彼は、幕末に米国船の船底に密かに忍び込みました。

発見されたときには船はすでに米国に出港していました。

こうなるとアメリカ人は、「では米国に連れて行って面倒見るか」、となるのですね。


+++


彼は米国のクリスチャンホームに預けられました。

ホームステイ状態です。

その家庭が、会衆派教会の会員で彼に熱心に伝道した。

家族の一員として共に教会に通った彼は、チャッカリと会衆派の信徒になりました。


+++

そしてあるとき「日本で福音を広めたい」と宣言します。

米国の教会では、多くの教会員が海外宣教基金にも多額の献金をします。

新島はそこからの資金と、彼の志に感動した教会員たちの自由献金をいただいて、日本に帰国しました。

そして、すでに米人宣教師が京都で始めていた教会とそれに付属する英学校に転がり込みます。

彼はその発展に尽力し、それがのちに同志社大学と神学部になるのです。

このあたりは、NHK大河ドラマ「八重の桜」でも描かれていましたね。




<入学式でも神学部が源の学校と明示>

余談ですが、筆者の娘の一人も、同志社の神学部に学びました。

入学式に出て感銘したことがあります。

同志社は今では総合大学で、沢山の学部を運営しています。

他の学部の入学生は多く、これにくらべると神学部生はほんのわずかです。

ところが、神学部生の席は、新入生の最前列でかつ中央、講壇のすぐ前にもうけられていた。

特別扱いです。

こんなところにも同志社は、この大学の「原点は神学部」にある、とのアイデンティティを明示していました。




<東京の大学では神学部は追い出されていた>

このあたりは、筆者が勤務していた明治学院大学(東京、白金)とは対照的でした。

この学校はヘボン式ローマ字のヘボン先生が創立された学校です。

だが先生は同時に働き盛りの30年を聖書の邦訳化に注がれた、宣教師でした。

だから、神学部が原点になって発展したのです。

+++

ところが、この学校や同じ東京の青山学院などは、あるとき、神学部を大学から追い出してしまっていました。

それらを外でまとめて出来たのが、東京神学大学ということでした。

神学というのが、経済学や文学などの学問的・科学的思考と異質なものと認識された。

それが主因だったでしょう。

+++

だけど、神学も本来は学問的・科学的思考で行うべきものなんですけどね。

東京での神学教授はそのあたりの方法論(認識論)的な「知性」が薄かったのでは、と今振り返れば思います。

筆者が働き始めた時期にも、学内に神学の先生がいました。

一般教養部門に「キリスト教学の教授」として残留しておられた人々です。

その方々には、事実で語るべきところを、「信仰!」を前面に出して主張することが、教授会でよくみられました。

こういう風ですと「もう、神学部は外に出てまとまってやってもらおう」と一般の教授は思うようになるのでしょう。


+++

とにかく、東京のミッションスクールでは神学部は追い出されていました。

その点、関西では神学教授も神学の本質を外さないでやっていたのでしょう。

関西学院にも神学部は存続していますしね。


+++

これに象徴されると言っていいでしょうが、東京の先生の学問は概して底が浅いですね。

文科系ですけどね。

大学の教授は研究者でもあるのに、ものごとを「探求する」という姿勢の薄い人がほとんどでした。

処世の意識が九割以上といった感じでしたね。


名古屋はもっとひどかった。

まことに、日本の大学、学問は、ガタガタです。





<吉田松陰と新島襄>

余談ついでに、もう一つ「対照」を。

新島襄は上手いこと渡米を果たしました。

この試みは、かの吉田松陰もなしているのですね。

でも成功できませんでした。

それどころか、密航者としてとらえられ、後に幕府に斬首されています。


+++

この絵のような対照はどうして生じたか。

松蔭先生は長州藩萩の武家に生まれ育ち、論語など行動倫理的な知識を自らの身にすり込むようにして学びました。

そうして出来上がった資質が、渡米の試みの際にもまともに出ました。

彼は、米国の艦船に乗り込んで、渡米の熱意を書いた手紙を差し出し、わかってもらおうとしました。

「至誠は通じる」といいます。

それは艦長としてもわからんでもなかったでしょう。


だけど、彼らはいま、日本の統治者(幕府)と合法的に交渉で事を進めようとしているのですよ。

その立場上、密航を願い出た者を、「はいそうですか」と連れて行くことなど、出来るはずないじゃないですか。

ここまで開けっぴろげに正面から出られたら、やはり、密航者として幕府に送るしかありません。


+++

だが、松陰先生は、そういう知恵には無縁だったのですね。

知識はあったとしても、論語的道徳に反する行為など、アイデアに浮かべることすら出来なかった。

松陰先生は、江戸の都会から遠く離れた、誠実な、田舎の人だったのです。


+++

そこへもってくると、新島襄は、安中だったか、江戸に近い藩の下級武士ですからね。

ここでは儒教とかの道徳倫理などに、きまじめに没入して学ぶ文化などなかったでしょう。


新島は松陰先生より、いわば、ず~と「世に長けていた」のです。


自己責任で船に忍び込んで、出向した後に見つかれば、米国人はそのまま連れて行ってくれる。

~そういう人間の機微が読めるのですね。


彼は船底で発見されたと言うことになっていますが、実際には「もうそろそろいいだろう」と自ら見つけられるように動いた。

そんなところではないかと思います。


+++

ただし、それだって度胸のいることではあるでしょうが、松陰先生とは、多くの面で対照的だったのですね。

でも彼は日本で会衆派の教会活動を発展させた。

人間には、それぞれの生涯が計画されているのかもしれませんね。


今回は、これまでにしておきましょう。


(Vol.35 会衆派教会~新島襄の同志社を支援した教団~    完)





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<臨時版>: 英国のEU離脱選挙結果に「騒ぎすぎ、怯えすぎ」)

2016年06月28日 | キリスト教の正しい学び方








こんにちわ。


英国でEU離脱か残留かの国民投票が行われて、僅差で離脱派が過半数を占めました。

世界的に激震が走っているかのように、マスメディアは騒ぎ立てています。


+++

結論から言えば、世界は「騒ぎすぎ」「怯えすぎ」をしています。

このことは実は、鹿嶋が今書いている近世英国の歴史に直結しています。

聖句自由吟味活動が生成させた「英国の自由な宗教状況」に密接に繋がっている。

だから、これについて、「臨時版」を投稿します。





<「知」が活性化路線にある国民>


筆者は金融状況にあまり詳しくないので、離脱がもたらす金融上の被害を含めての詳しい論評をすることは出来ません。

だが、マスメディアで流される識者の予想には、欠けている視野があります。

それは、英国民と欧州大陸国民との知的資質の差異に関するものです。


+++



英国民は、聖句自由吟味者の影響によって、知性が活性化路線に入っています。

個々の聖句を小グループで具体的に吟味する生活をしていると、人間の知性(精神も)は活性化するのです。

また、聖句個別吟味の習慣は、社会の諸事象を個別的事例的に思考するエネルギーも与えます。

すると人間は、個々の事例情報に対して、一般法則的な知識を強引に優先させることはしなくなります。

そういう思考法が、判例法中心の法体系をこの国に成立させてもいるのです。

+++

他方、大陸人民の「知」は活性化路線に入っていません。

彼らの聖書の知り方が、活性を妨げるのです。

そこでは教会高僧のつくった教理を絶対正統真理として受け入れることを求められる。

吟味などしたら「異端!」と攻撃されます。

すると人民は、自ら思考することが少なくなる。

それでは、「知」は活性化路線に入っていかないのです。

この状況はまた、法理論をベースにする大陸法の法体系をも生んでいます。







他方、大陸人民の「知」は活性化路線に入っていません。

彼らの聖書の知り方は、教会高僧のつくった教理を絶対正統真理として受け入れることによります。

吟味などしたら「異端!」と攻撃されます。

だから、自ら思考することが少なく、「知」は活性化路線に入っていないのです。

この状況はまた、法理論をベースにする大陸法の法体系をも生んでいます。





<EU参加もはじめから特別扱い>


大ブリテン島と欧州大陸とは、精神文化が対照的だ。

英国の政治家も、そういう知的資質の違いをよく認識していました。

だから、そもそも、EUへの参加決定も最後まで慎重だったのです。

通貨をユーロに統合することも避け続けた。

英国は特別扱いだったのです。

そういう緩やかな連携関係を維持する状況で、英国はEUに加わって協働してきたのです。






<従来有益だった方式は継続する>

もし離脱が実施されるとしても、それはEU連合との交渉開始後の2年先です。

その交渉に入るにも時間がかかります。








キャメロン現首相は、新しい首相を(次の国会議員選挙で)選んで、その人にやってもらう、といっていますから。

それに至る間に、今回、軽い気持ちで投票した離脱賛成者たちは、選挙の選択案のもつ意味を、改めて吟味し学び直すでしょう。


その後に交渉に入っても、従来互恵的だった状況は、担当者はいろいろな調整をして、再現するでしょう。






<自由吟味者の活性化力を知るべし>

{知」が活性化路線に入っている英国民の政治能力は高いです。

同じ欧州でも、大陸西側の人民よりも高いし、東欧人民よりはさらに高い。

中東諸国の人民よりは、また、はるか高いです。


+++

そうしたことに無知で、かれらと同レベルとみて 英国の行動を予測したら、過剰な恐怖におびえることになります。

だが、その事実をリアルに感じるには、聖句自由吟味者が人民と国家にもたらす活性化効果を知らねばならない。

残念ながら、世界の歴史家は、そのことをほとんど知りません。

だから、筆者はいまも、「正しいキリスト教の学び方」を、様々な歴史事情の説明と共に繰り返し、繰り返しお知らせしているのです。


+++

今回の英国での国民選挙での離脱優位結果、大丈夫です。

そんなに遠くない将来、世界は振り返って、今は「騒ぎ過ぎ」「おびえすぎ」であることを、知るでしょう。



(臨時版: 英国のEU離脱選挙結果は「騒ぎすぎ、怯えすぎ」   完)






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Vol. 34 メソディスト教会 ~青学、関学を設立した教団~

2016年06月23日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。

今回は、統制力を失った英国教会制度のもとで成長した新教会のうち、メソディスト教会を紹介します。


+++


この教会の創始者はジョン・ウエスレー(John Wesley,1703-1791)です。

彼は英国国教会の司祭でした。

にもかかわらず、儀式中心の国教会の礼拝に疑問を抱いていきました。

そして、もっと実質的で、創造神を直接拝する姿勢を持てる礼拝方法を思案しました。

結局、礼拝場は教会堂である必要はない、と考え、 野外でも礼拝を行いました。

各地を馬に乗って巡回して野外礼拝を導いたのです。

それでも国教会勢力からは、おとがめなしでした。








彼はカトリックのカンタータ風だった礼拝音楽をとりやめ、新作の賛美歌を取り入れました。

弟チャールズは、今でいえばシンガーソングライターの天才でした。

彼はその才能でもって、同時代に適合した讃美歌を新しく創って、兄の教会に提供しました。

生涯に総数9000に及ぶ曲を作ったといわれています。

彼の作品は現代の賛美歌集には”伝統的な賛美歌”として収められています。

けれども当時は、いまの戦後1960年代の若者フォークソングのような存在だったでしょう。





<現代ビンヤード風礼拝の先駆者>


この教会方式は現代では珍しくありません。

戦後米国では特に、牧師がジーンズにギターでもって礼拝を導く教会が多く誕生し、それが世界に広がっています。

ビンヤード教会、サドルバック教会、ホープ教会、ニューホープ教会などがそれです。

だが、当時は斬新そのものでした。

とくに若者には衝撃的だったでしょう。

それは同時に魅力的でもあり、多くの人に受け入れられました。





<メソディストもニックネーム>

教会は成長しました。

外部の人々はこの教会の斬新な礼拝方式に注目して、メソディスト教会と呼びはじめました。

礼拝方式の「方式」は英語でメソッド(method)です。

これからメソディストなる語が生まれた。

これもまたニックネームです。

「礼拝方式にこだわる奴ら」あるいは「礼拝方式を刷新する奴ら」といったニュアンスでしょうか。

その名が広がってこの教団の名前になったのです。

前にも言いましたが、キリスト教活動の名称のほとんどは、一般人の口に上ったニックネームに始まっています。

ピューリタンも、バプテストも、長老派もみなそうです。






<だが自由吟味教会ではなかった>

ウエスレーは革新的な人でしたが、その教会活動は聖句自由吟味方式にまではいかなかった。

教団の正統教理書をつくり、それでもって教会を運営する教理統一方式の教団になりました。

彼らはいまでもメソディスト教理書をもっています。


+++


けれども大規模な教会に発展しました。

今の米国にも数多くあります。

この教団はまた、明治維新後の日本に宣教師を派遣し、青山学院や関西学院などの学校を造っています。



(Vol. 34 メソディスト教会 完)











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Vol.33 大ブリテン島の宗教環境は自由だった

2016年06月20日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。


+++


国教会成立後のイギリスは、ヨーロッパ大陸とは別世界のような、自由世界になりました。

これを、我々は雰囲気として感じなければなりません。

イギリス国教会の司教、司祭は、国家のために働くべき公務員の指導者です。

その彼らの中から、国教会の運営制度を批判し、改革しようとし、激しく運動をするものが、数多く出た。

国教会は過激な運動者を、罰しました。

たが、彼らは限られた人々でした。

国教会から離脱し、自由な宗教活動をさせてもらうと宣言して出て行く司教や司祭もいました。

だが彼らが、執拗に追跡され、処刑されることはありませんでした。






<欧州大陸なら>

これがヨーロッパ大陸でならどうなるか。

ひとりびとりが捕らえられ、宗教裁判にかけられ、処刑されました。

ルター戦争後のドイツでも、それは同じなのです。

人々は、カトリック教会かルター教会かのどちらかの強力な管理体制下に、置かれました。



+++


ルター教会も、カトリックと同じく、教理統一教会なのです。

運営体制としては、カトリックの法王をなくしただけの教会です。

教理に反するものは、やはり異端とされ、処罰されました。

そこでは聖書を自由に吟味する行動は、厳格に罰せられた。

だからドイツでおいても、新しい教会活動の芽は、でませんでした。

出ないままに年月が過ぎていく。

これがルター戦争後のドイツでした。





<せいぜい国王による国外追放>

ところが、大陸から海峡を隔てた大ブリテン島でははるかに自由な土壌が出来ていました。

有力司祭が「イギリス国教会から出て行って、自由にやらせてもらう」と宣言して出て行く。

その人でさえ、せいぜい国王による国外追放でした。


+++


この違いを雰囲気として心に浮かべるかどうかが、近代欧米史理解の分かれ道です。

大ブリテン島に出来上がったこの自由な世界の中から、新しい宗教活動が多数生まれた。

そしてその中から新しい教派活動にまで.発展するものが出ました。






メソディスト教会はその一つでした。

組合派教会も長老派教会も後の英国バプテスト教会もそれです。

こんにちプロテスタント諸教会として、世界的に大きな活動をしている教会の大半は、英国国教会制度の中で発芽しているのです。



+++


メソディスト教会は、大教会となり、明治維新後の日本に青山学院や関西学院を設立し、今も運営しています。

組合派教会は、新島譲の活動を支援して同志社大学を設立しています。

長老派教会は、ニューヨークの教会から、ヘボン式ローマ字のヘボンの先生を支援し、邦訳聖書を完成させ、明治学院大学を設立しています。

これらの新教会は、近代英国に発芽しました。

そしてこれらの動きは、「知」が活性化路線に入った、英国の精神土壌に芽生えたのです。



(Vol.33 大ブリテン島の宗教環境は自由だった   完)











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Vol.32 英国ピューリタンの実像

2016年06月15日 | キリスト教の正しい学び方







こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう

+++

近世以降の英米史の公式知識は霧に覆われています。

それが英米史、ひいては近代世界史を漠然としてわからないものにしています。














<産業革命の不思議>

英国についてみると、たとえば18世紀半ばに、人類史上初めて起きた産業革命がそうです。

歴史教科書は、工業生産力の飛躍がイギリスを世界の覇者とした~といった類いのことだけ書いている。

それ以上に踏み込んだ説明はありません。

なぜイギリスで先駆的に起きたのか。

その種の説明は、いっせつなされていません。


+++


古代ローマ帝国の武器技術、建築技術は、今から見ても驚異的で卓越していました。

産業生産技術に転化できる技術資産を沢山もっていた。

なのにその伝統を持ったイタリアになぜ先に起きなかったのか。

そういう論述がない。

できないからです。


+++


聖句自由吟味活動が普及し、人民の精神・知性が飛躍的に活性化したという事実。

聖句吟味によって人間観と社会思想がダイナミックに更新されたという事実。


~これらを考慮に入れなければ、じわじわと産業革命の機が熟していく動向は認識できません。

そういう心理変化の過程が見えないのです。

みえないからその説明が出来ません。





<歴史説明は精神描写で重層化する>


少し話を広げます。

歴史説明というのは、人間の精神と知性の活性状態の認識が入ると、より深く重層的になります。

そして、それには人間心理への洞察力と事例情報との二つが必要です。

洞察家はいます。

だが、心理過程は目で見たり手で触ったりはできないので、彼も常時、事例情報と照応させねばならない。

照応させて、理解の方向をチェックしつつ思考を進めねばなりません。

+++

その事例情報として、自由吟味者の歴史事実は、近世西欧史の認識に不可欠な要素となる。

これを把握し損ねたら、歴史説明は、味のないスルメのようになります。

読めども読めども味のないスルメを噛んでいるような状態が続きます。






<英国清教徒史はごまかしにくい>

前置きが長くなりました。

英国ピューリタンの話に入ります。

+++

軍事、政治、経済などに関する事柄は、まあ、心理分析抜きでやり過ごすことも出来るかもしれない。

端的に言えば、ごまかすことも出来ます。

英国産業革命史などは、その一例です。

だが、英国ピューリタン(清教徒)に関しては、そのごまかしはきわめて難しいです。

そこでは新しいキリスト教思想とそれを受容することよる聖職者の心理変化が、大きな領域を占めるからです。






<国教会の聖職者のなかに発生>

英国でピューリタンといわれた人々は、国教会の聖職者の中に発生しています。

英国教会の司教や司祭は所得も多く、社会の名士で資産家です。

その彼らの中から、突然のようにして、英国教会の改革に身を投げかけるものが現れた。

財産など既得権益を失うのにもかかわらず、やってしまった。

身体の危険をも顧みず、国家宗教の運営体制に異議を申し立て、改革しようとした。

+++


どうしてこんな劇的な変化がおきたのか?

英国教会は、カトリックの僧侶を追放して、その方式をそっくりそのまま受け継いだ教会です。

カトリックの宗教活動は儀式化していました。

イギリス国教会も、それを踏襲していた。

聖職者たちは、教会とはそういうものだと思ってやっていました。

+++

その彼らが、自由吟味者のスモールグループ活動に触れたのです。

各人が聖句の意味を生き生きと深く味わっているのをみた。

これに電気に触れたように感銘するものが イギリス国教会の聖職者たちに出たのです。

従来イギリス国教会の教義と運営方式を是としてきた彼らが、「これは間違いだ!」と突然思うようになった。

彼らの「知」は活性化路線に入ったのです。


+++

聖句自由吟味のスモールグループ活動は、実際にそのような覚醒力をもっているかどうか。

やってみるのが認識の一番の近道です。

やってみれば割合容易にわかるでしょう。







<ピューリタンという言葉>

彼らの実像をより正確に認識するには、そもそも、彼らがなぜピューリタンと呼ばれたか、についても知らねばなりません。

教科書では、とにかく、「ピューリタンが現れました」、ということからはじまっています。

だが、それでは不十分なのです。

+++

ピューリタンというのは旧くからある呼び名です。

元来それは欧州大陸にいた自由吟味者たちを指すニックネームでした。

当時の欧州でも、一般のクリスチャン(国教だったカトリック教会に所属した人々)は、現世の欲望との調整を取りながら教会活動をしていました。

ところが、自由吟味者たちは、ただ真理を知りたくて、欲得を離れて聖句をひたむきに吟味していた。

その姿は一般人の目には「純粋な奴ら」という風に映るのです。

これは、もう、人の心はそういう風な印象を受けるのです。

そこで英語のピュア(純粋な)という語の意味を含んだあだ名「ピューリタン」があちこちで自然発生しました。

「純粋野郎」といったところですね。






<英国ピューリタンの出現>

近代イギリスにおいても彼らが与える印象は同じでした。

英国教徒だった一般人は彼らから「純粋な奴ら」という印象を受けました

国教会の聖職者、司教や司祭らの目にも、自由吟味者の活動は、入りました。

そして彼らの中から、その真摯で知的躍動に満ちた姿や、霊的な生き様に覚醒された者も出ました。

彼らは改めて自分で聖書を吟味した。

すると国教会の運営方法に、聖句に沿わないものが見つかってきます。

人民統治のために必要な「世的な」妥協面も目についてきた。

彼らの心の内に、国教会への批判意識が高まりました。

それを押さえきれない者は、ついに国教会への抗議・非難をはじめました。






<内部改革ピューリタン>


激しい批判精神はまず、国教会の内部改革運動として噴火しました。

彼らからは、命知らずの内部闘争を激烈に行うものも出ました。

彼らは体制側から激しく弾圧されました。

逮捕、投獄され、地位も財産も没収される者も出た。

彼らの姿はとても純粋な者と映じました。

こうして、彼らにもまた、ピューリタン(清教徒)のニックネームが与えられたのです。

しかし、これは「英国ピューリタン」ないしは「近代ピューリタン」と呼んで区別した方がいいかもしれませんね。

ともあれ、最初の英国ピューリタンは、国教会の内部改革者でした。






<分離派ピューリタン>

英国教会は、国教ですから国家権力を使えます。

内部改革ピューリタンの改革運動は、あらかた粉砕され、実りませんでした。

そうしたなかで、内部改革を断念して国教会から分離独立して信仰活動をするという教職者も出ました。

それに従う一般信徒も出ました。

一般人も、国教会に所属しなかったら就職など様々な面で不利益を被ります。

だが、聖職者に同調する者も少なくありませんでした。

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これを見た人々は、また彼らにニックネームをつけました。

セパラティスト(separatist)とかセパレーショニスト(separationist)がそれです。

日本では分離派清教徒、分離派ピューリタン、あるいは分離主義者と訳されています。

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後に「ピルグリムファーザーズ」という名を与えられ、米国建国の父ということにされてしまった人々も、この派の一群です。

彼らは、1620年、米大陸ボストン郊外のケープコッドに上陸して植民をはじめた。

それについては、今すぐ後に、もう少し追記します。





<英国ピューリタンは自由吟味者にあらず>

英国ピューリタンには、今述べた内部改革派と分離派との二派があります。

さてここで、英国清教徒について留意しておくべき重要事項があります。

欧州大陸の古代・中世ピューリタンたちは聖句自由吟味者でした。

だが、英国の近代ピューリタンたちは教理統一主義者でした。

+++

彼らは自由吟味者の姿に覚醒された。

だが、教理統一主義を脱却して自由吟味活動にまでいくことは出来なかったのです。

なぜだったでしょうね。

イギリス国教会はカトリック方式を踏襲した、教理統一方式の教会です。

そこで生まれ学び育った歴史が心の神髄にまで染み込んでいたのでしょうか。

+++

教理統一主義でも改革に燃えることは出来るのですね。

宗教改革の先駆者ルターがそれを体現しています。

彼は生涯、教理統一主義者でしたからね。

英国教会の聖職者たちは、教理統一主義のままで国教会の制度改革に身を投げかけたのです。





<ピューリタン、ボストンで自由吟味者を迫害>

分離派ピューリタンも同じです。

彼らが教理統一主義者であったことは、後に、米国のボストンで起きた出来事が証明しています。

彼らは、後にアメリカ大陸に植民の道が開けると、大挙してボストン地域に移住しました。

この地域に分離派ピューリタンの指導者、ブラッドフォードに率いられた一群の人々が先駆的に移住したことが契機になっています。

+++

この一群は後に有名になりました。

かれらはボストン郊外、ケープコッドに1620年11月に植民を開始した。

その地にプリモス・プランテーション(プリモス植民地)という名をつけました。

その彼らが、後年「ピルグリムファーザー」の名を与えられ、米国建国の祖ということにされています。

いまも、世界のほとんどに人々はその物語に疑いを抱いていません。


だが彼らは大衆にわかりやすい国家アイデンティティを作るために選ばれたに過ぎません。

後に明かしますが、実際には、米国建国の祖は、自由吟味者たちです。

自由吟味活動に盲目だと、欧米近代史は間違いだらけになっていくのです。


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話を戻します。

ケープコッドにプリモス植民地が開拓されたのを契機に、ボストン地区に大量の分離派ピューリタンが移住しました。

彼らは、港湾地域に移住した。

そしてボストンの街を築きました。


+++

そしてこのボストンの街に、あるとき自由吟味者が流入して教会を作ります。

すると、ボストン政府は自由吟味者を捕らえ投獄、鞭打ちなどの罰を与えています。

個々人の聖書解釈の自由を原則として活動する者たちを、社会秩序を乱す無政府主義者とみていたからです。

たとえばこの事件が、ボストンのピューリタンもまた、教理統一主義者だったことを示しています。

+++

筆者の見解は現代の歴史常識には受け入れがたいので、繰り返します。

公式歴史書は、この事件をスキップしています。

わからないからスキップするのです


そして、公式の専門書や教科書は、アメリカに渡ったピューリタンを自由の申し子のように書いている。

これでわかりましたか?

自由吟味者への無知は、ここでも間違った公式歴史記述を世界規模で生み出している。

英国史と並んで、米国史も間違いだらけなのです。





+++

以上、まず、英国ピューリタンの基本理解を述べました。

彼らの動きは、英国内に、連鎖反応を次々に引き起こしていきます。

それは次回以降に書くとして、今回はここまでと致しましょう。


(Vol.31 英国ピューリタンの実像     完)









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