鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

<臨時版>カンヌ国際広告祭から3 

2009年12月01日 | ヨハネ伝解読
 福音は、L字型の枠組みをもった思想です。
日本では、ハイフン型の文化・思想が主流です。
このなかで福音伝道をしていくのは、基本的に困難です。
けれども、その困難の仕組みをしると、対処法も見えてきます。

日本の文化意識そのものをL字型にすることは困難と見るべきです。
ましてや、自然なままでそうなっていくのは期待できないでしょう。


                    

だが、そのなかでも福音がそのままの形で受容されることはあります。
福音を伝えられた時、聖霊が働く場合がそれです。
聖霊は感動を与えます。伝えられた人の心を感動させます。
そのとき、当人の意識は例外的にL字型になっています。


                    

ただし、聖霊は時がたつと風のように去っていきます。
(聖霊のバプテスマを受けた人は例外です。この場合は聖霊は当人の内に入って留まります)
すると、その人の感動は消えます。
「あんな話にどうしてあんなに感動したのだろうか」と自ら思うような精神状態になる。
そうなったら、L字型意識も消滅してもとの木阿弥です。


                    

けれども、方法はあります。
感動のある間に、福音思想はL字型であることを、言葉でもって明示してあげるのです。
福音は「いと高き方向に意識を向けている思想」である、と教える。
この状態が維持されているのが福音思想のあり方なのだと伝えます。

するとそのことは知識としてその人の知性に残ります。
福音思想は知識の枠組みとして当人の意識に残ります。
この状態が定着すると、聖霊が再びやってきて働く事態が生じやすくなります。
働いた時には、また、信頼(信仰)の感動がやってきます。
これを繰り返しているのが、福音への信頼をもった状態です。


<福音指導者の仕事>


こうした知的自覚を与えるべき立場にいるのが牧師さんです。
これをするのが信仰指導者の大切な仕事なのです。
知識をも教えると神髄を外さない伝道が可能になります。

L字型思想の自覚が明確にないと、福音は受容されてもハイフン型になっていきます。
そして人間同士の「愛」とか人間社会の「道徳」とかをもっぱら述べる思想になってしまいます。

またそうなると、「愛」も人間的なものに変質します。
全てを許す愛ではなく、人間の間でなすべき愛の規範、愛のルールの色彩が出てきます。
「あのときこれこれの愛を示すべきだった・・」と自分を責めるような規範の愛です。
これは道徳に通じますから、「愛」と「道徳」はつながって「愛と道徳」宗教になります。

教会に来た人々が感動を受けた時、福音の思想がL字型であることをきちんと教える。
そういう教会が日本に増大することを祈ります。


                    





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