鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.270『私が去って聖霊がきた方が諸君の益になるんだよ』(16章4~7節)

2009年12月06日 | ヨハネ伝解読

前述の3回では、福音がL字型意識の思想であることを考えてみました。
では、その福音に戻りましょう。

                    


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BGMは相変わらずmariさんのこれを感謝して使わせていただきます。

http://aiai.hukinotou.com/

(クリックして最小化し、もう一つエクスプローラ画面を開いて
春平太チャーチを開くとBGMのある状態で読むことが出来ます)

                    
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=聖句=
 「わたしが初めからこれらのことを諸君に話さなかったのは、私が諸君と一緒にいたからだよ。
だが、私は今わたしを遣わした方のもとに行こうとしているんだ。
だけど、諸君の誰も『どこへ行くのですか』と尋ねないよね。
そうでなく、諸君の心は悲しみでいっぱいだ、わたしがこのことを話したがために。
だけど、真実を言うよ。わたしが去っていくことは、諸君にとって益なんだ。
もしわたしが去っていかなければ、助け主が諸君のところにこないからだ。
わたしは去って行ったら、助け主を諸君のもとに遣わすんだよ。」
(16章4~7章)
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弟子たちは、イエスが「父なる創造主のもとに帰って行く」というと仰天・動揺し、悲しみます。
対してイエスは「悲しむ必要はないんだよ」といいます。


 「自分が諸君とともにいることがなくなると、助け主なる聖霊を送る。
それは、私がともにいるよりも諸君にとって益になるのだ」(16章7節)と。

こうしてイエスはいよいよ聖霊に関する本格的な教えに移ります。

聖霊は、創造霊です。
創主から「出た」霊でイエスと同じ創造霊。
これは聖書の基本思想で、創造主によって「造られた霊、被造霊」ではない、となっています。

                    

聖霊は、無数に存在しますが、無数といっても、各々が持つ意識は、創主と同質の意識でみな同じ。
その意味では一つです。
「無数に存在」と鹿嶋が言ったとき、「そんなこというと異端と攻撃されるよ」と警告してくれた牧師さんがいました。
話は最後まで効いて欲しい。聖霊はいうなれば「多にして一、一にして多」という存在。
一見詭弁めいていますが、そういう風に言うほかない創造霊です。

 創主は、自らの王国空間(天国)を創った後に、そこを聖霊で満たしています。
イエスもそこに入ります。

聖霊もイエスも創造主から「出た」創造霊である点では同じです。
なら両者はどう違うか。
違いは、イエスが天の王国を相続する権利を父なる創主から与えられている、唯一の「創主の子」だという点にあります。

                    

 聖霊は、以前にもこの地上に来ているようです
「詩編」51章11節に、「あなたの聖霊を、私から取り去らないでください」というダビデの言葉があります。
 
だがそれは宣教の「助け主」としての聖霊ではない。
イエスがこの世から去った後に送るのは、弟子たちの宣教活動を助ける存在(helper)、だとイエスはいいます。

 聖霊は無数に存在する霊ですから、同時に複数の場所で働きをすることが出来ます。
他方イエスはこの世では人間の形をした身体をとって来ていますから、
偏在(同時に多くの場所に存在して働くこと)は、出来ません。
聖霊は、どこででも助けてくれるのです。

                    


 イエスはこの世では、自分で「しるし(癒しなどの奇蹟)」を行いました。
弟子にその権威を与えて街に入らせたことはありましたが、それは例外的状況でして、
通常はしるしの力は与えなかった。
弟子たちはそうしたイエスに付き従うだけでした。

 だが、聖霊は、弟子と一緒に働いて、弟子に「しるし」の力を与えます。
(実態は、力ある天使にそうさせるのですが)
すると、弟子たちがみずから奇蹟を行う様に、一般人には見えます。
人々は、弟子に大きな信頼を抱きます。
その状態がなったところで、弟子は、福音を説きます。
多くの人が信じます。
なんとエキサイティングで、ドラマチックなことでしょうか。

                    

だから、自分が去るのは、むしろ諸君にはいいことなのだよ、とイエスは弟子に諭すのです。
そういう霊を、自分がいなくなった後に送ると約束する。
 具体的に、どう助けるか? 次回からそれを追ってみましょう。



                    



コメント (3)
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