鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.280『弟子がイエスを確信持って愛する日』(16章26~7節)

2010年06月19日 | ヨハネ伝解読

ヨハネ伝解読にもどりましょう。

右上に「文字サイズ変更」機能があります。
クリックすると、文字が大きくなります。

本日の聖句は16章のこれです。

                      
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「その日(イエスが喩えで話さなくていい日)には諸君は私の名によって求めるんだ。
私が諸君に変わって父に願ってあげるのではない。
それは諸君が私を愛し、かつ、私が創造主から出てきたものと信じるので、父御自身が諸君を愛されるからだ。」
(16章26~7節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                      

                     
 26節から32節までは、話が繋がっているようでもありますが、わかりにくいところですね。
まず、26~7節を解読しましょう。


                    

ここでの「その日」とは、今イエスが語っている日ではありません。
イエスが死んで復活するのを弟子たちが見た後の日です。

イエスは言います~
その日になったら、弟子たちのイエスへの愛は今とは様変わりに本格的で確かなものとなるよ。
かつ、イエスが創造主から出た方だということに、本格的な確信を持つことになるよ、と。

そして、そうなると、創造主は弟子たちを(イエスを愛するように)愛されるようになるよ~と。


                    

なぜでしょうか。
人間のケースで考えてみましょう。

自分の子の友達が家に遊びに来ているとする。
二人の会話を聞いていて
「ああ、この友達は我が子をよくわかっているな、その上で愛してるな」
と認識すると、親はその子も愛らしく感じるでしょう。

父なる創造主も同じではないでしょうか。
我が子イエスを弟子たちが深くわかって、確かな愛で愛したら、
創造主は弟子たちをもイエスへの愛と同じ愛で愛するでしょう。

そうしたら、もう、弟子たちの願いは、自分が直接愛する人間の願いですから、直接応えてあげたくなる。
イエスはそういっています。


                    

でも、ここで大事なことは、それは最後の晩餐をしている今ではない、ということです。
ところが、弟子たちは
「イエスは喩えで話さなくなった。自分たちはもうこれでイエスのことがわかった」
と考えて素っ頓狂に応じていくのですね。

その状況が次の28節から記されていますが、それについては次回に見ることにしましょう。

                    


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする