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ここで、政治の複雑さ奇怪さについて考えておくのがいいだろう。
政治は具体的には統治者が行う統治活動である。
マックス・ウェーバーは統治が成り立つには、二本の柱が必須という。
正当性意識と、物的暴力手段がそれである。
① 正当性意識とは「いまの統治者について人民が正当であると思う意識」である。
② 物的暴力手段とは、具体的には、警察と軍隊である。
時の統治者を正当だと思わない人民はいつの時代にもいる。
そういう人は、統治者が定めるルールも正当と思わず、、法に反する行為を取ることが多い。
こういう人にはまた、説得は通じない。
さらに、とりたてて統治者に正当性を認めない事はない人でも、
個々の法に反する行為をしてしまうこともある。
いずれのケースでも、統治者は、物理的な力で違法行為をさせないように
ブロックせなばならない。
国家という社会を維持運営するには、秩序を保たねばならないからだ。
そこでそのために、警察が必要なわけである。
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<軍隊は必要>
軍隊は、主に対外的な物的暴力手段である。
外国との交渉でへ話し合い、説得で折り合いがつかない時もある。
そしてこの場合、相手国が、物的な力で主張を実現させようとすることがある。
これをブロックするために、軍隊もまた必要なのである。
また、国内での大がかりな反統治者行動に対しても、軍隊は使用されうる。
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<正当性と暴力手段とのトレードオフ関係>
国内統治についてみると、正当性意識と物的暴力手段とはトレード・オフ
(二律背反で、相互に反比例的関係にあること)関係にある。
人民に統治方式への正当性意識が高いほど、警察は少なくて済む。
逆に、正当性意識が低いと、物的暴力手段は多く必要になる。
いうまでもなく、法に反する行為が多くなるからである。
例えばお隣の中国は、共産党以外の政党を認めない。
これを結社結党の自由を認める日本と比較するとわかる。
政党は思想の産物だから、一党独裁を安定させるためには思想統制も必要になる。
他方、人間個々人は自由を好むから、この方式への正当性意識は低い。
そこで思想統制政策に反する行為をとる人間は多くなる。
すると、警察も比較的たくさん必要になる。
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<国家運営と企業経営の違い>
だが程度の差はあるが、政治に物的暴力手段は必須である。
企業経営では、時の経営者の企業統治を正当と認めないものは、
出て行ってもらうことが出来る。
他にも企業は沢山あるからである。
京セラの稲盛さんなどは、稲盛哲学に反発する社員には
「きみ、会社なんてゴマンとあるよ。共感できる会社に行ったらいいんだよ」
といったという。
企業はそういうことが出来る。
だが国家となるとそうはいかない。
「嫌で出てきた」という人間を企業のように容易に受け入れてくれる国家はない。
そこで法に服従しないものは物的に押さえ込まねばならなくなるのである。
松下幸之助さんはそういう世界にかかわらずに済んだ。
松下政経塾出身の政治家が頼りないのはそれによる。
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<公開できない情報もある>
そして不従順者を物理的に統御する場合、
その情報のすべてを開示することは、通常出来ない。
たとえば、麻薬など違法薬物の輸入者などは、秘密の違法行為を意図的にする。
これを有効に取り締まるには、警察もまた秘密で行動せねばならない。
民主主義ですから、といちいち公表していたら手の内を読まれてしまう。
暴力団に対するにも同じである。
暴力団は、その名の通り、非合法な暴力手段でもって利得を得ようとする姿勢を
本性的にもっている。
だから、彼らの行為は本性的に秘密裏に行われる。
対策行為を国民に公表などしていたら、踏み込んだときには事務所はもぬけの殻となる。
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<凄惨な世界も含む>
これを取り締まる行為には、暴力的な戦いも必然的に含まれる。
そこには獣性と獣性とのぶつかり合いもある。
悪に対しては悪でもって応じるという局面が、現場では不可避になる。
国家公務員といえども、最前線では一時的には悪をなすのだ。
凄惨な事態も生じうる。
こんな内情を人民に知らせても、ほとんどは飲み込めない。
特に日本では、「でも性善説をしんじます」などといっている極楽とんぼが多数派だ。
マスコミはそれに乗るから、結局、それがマスメディアで再教育されることにもなる。
だから日本ではますます一般人民に物的暴力行為を公表するわけにはいかなくなる。
これが人民にとって政治を不可解なものにする一大要因である。
統治は血なまぐさく、奇怪な空間を内包する営みなのだ。
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