鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

 21.<合衆国憲法を成立させる>

2013年11月27日 | 聖書と政治経済学



まとまった話は一本の樹木のようである。
そこには根幹があり、枝葉がある。

鹿嶋がここで『聖書と政治経済学』のタイトルでもってしている話はたいしたものではないが、
ここにも一応そういうものがありそうだと好意的に考えて欲しい。

「根幹」は、話そうとする事柄の本質を突いた言葉として表される。
それは常に言葉としては短く単純に表される。格言はそれを示唆する一例である。




<根幹は「政治的13才」と「聖句吟味活動による打開」>

ここでのそれは具体的には「日本人は政治的に13才であり、それを脱するには聖句吟味活動が必要」ということである。
鹿嶋が「日本人の政治見識は13才」を踏まえてない日本政治論はみな妄想だ、というのもそういう樹木観から出ている。

ものごとを解き明かすような話を解説とか解読とかいう。
解説には量的に枝葉の話が多くなるが、それらは幹とのつながりが見えるようにしてなされるのが望ましい。
そうでないと、多量な枝葉の茂りによって根幹が見にくくなりやすい。
だから実際には、話は幹とのつながりを折あるごとに自覚できるようにするのが望ましいだろう。




<幹との繋がりがわかるように>

現在進行中の話は、民主制という社会運営制度を創設するために行ってきた聖句主義者の活躍についてである。
だがこれは聖句主義活動史の知識を提供するためのものではない。
それは「日本人は政治的に13才であり、それを脱するには聖句吟味活動が必要」という話の根幹に継ぎ足して、知識を豊富化するための枝葉である。

我々日本人が戦後享受してきている民主制度が、いかなる人々によって、
いかなる熱情と叡智と努力によって形作られてきているかを、鹿嶋は具体的に示そうとしている。
この事態に対比させると、今の我々日本人は文字通り「政治的に13才」であることが浮き彫りになってくる。
そういう風に現在進行中の話は、幹に繋がった枝葉になっているのである。

では、本論に入る。




<大枠手順を主導>

バージニア州で信教自由がなった1785年の二年後(1787年)に、全州が参加する連合会議が成立し、
そこに憲法草制定会議(憲法制定全体委員会)が立ち上げられている。
新独立国家は憲法制定の作業に入った。

バプテスト聖句主義者の全国ネットワークは会議の実現に向けて主導的に働いた。
彼らはまた会議の運行手順も主導した。

憲法成立に至るまでには大きなステップが二つあった。
第一に憲法草案を作成すること、と、第二に法案が大半の州で批准(同意、承認)されることがそれだった。

第一の憲法草案には三つの骨子課題があった。

①中央政府をどのような構造にするか。
②中央政府と各州との権限配分をどうするか。
③国家の宗教(教会)活動をどうするか

~である。

バージニアの聖句主義者は③「宗教のありかた」については激しい議論紛糾が起きることを体験上知っていた。
そこで憲法案でまず合意をえてそれを批准に持ち込み、
憲法が成立したらその後に憲法修正会議を開いて宗教政策は吟味しようという手順に会議を誘導した。

②の「中央政府と各州との権限配分」の問題も大紛糾が予想されが、これを取り決めないでは憲法案にはならない。
そこで詳細な点は後にして、まず基本骨子部分の案をつくり、出来た案の批准を問おうという手順を会議は採用した。




<バージニア、草案作成を先導>

憲法案会議の議長はバージニアのジョージ・ワシントンだった。
新国家で憲法案を作るというのは、白紙のキャンパスに絵を描いていくような作業であって、数多くの難問があった。

ところがバージニア州代表団は決議案(バージニア決議案)を準備して来ていた。
彼らがこれを初日から提示した。委員会はこれを討議する形で進めることができた。

中央政府と各州との権限配分についてもバージニアは統一国家政府案(バージニア決議案報告)を速やかに提出した。

バージニアが決議案を出した二日後に、ニュージャージー州がニュージャージ決議案を出した。
会議は激論の末、7州対3州でニュージャージー案を否決、バージニアの統一国家案をベースにして草案を作成することになった。

かくのごとく憲法草案会議はおおむねバージニア主導で進められた。
いうまでもなくバージニア代表団の実体は、聖句主義者主導の議員団である。

外国との条約締結の法案や、憲法草案の批准ルールも造られた。
十三州のうち九つの州が批准したら憲法成立と決められた。
かくして憲法法案は、各州議会にもちかえっての批准にゆだねられることになった。




<薩長二大雄藩のように>

13州の内、マサチューセッツ州とバージニア州の見解への信頼は高く、
他州にはこの二州の動向に準拠しようという姿勢を持つところが多かった。
当時この二州にニューヨーク州を加えた人口の合計は、その合計が大陸全体の人口の半数を超えていた。規模の上でも代表的な州だったのである。

同時にこの二州は明治維新時の日本で言えば、維新革命を牽引した薩長二大雄藩のような存在だった。
マサチューセッツはボストン虐殺事件や茶会事件など独立戦争の契機をしかけた主要舞台であって、
実践現場で活躍する革命家をこの州は多数輩出していた。
バージニア州は統治と文書の知性が豊かな独立革命の貢献者であって、
総司令官ワシントンや独立宣言を起草したジェファーソンはここから出ている。
他州の両州への尊敬と信頼は厚かった。

ところがこの二大雄州は都会化された先進州でもあって、指導者には知識人が多く、彼らには草案の批准に慎重なものが多かった。
憲法は法律文書であり「法文は規則となって人を縛る」面を持つ。
こういう包括的な規制法文を頭上に持つのは全員初体験だ。こういう状況では、先進的な知識人ほど警戒心を抱きやすい。
彼らの大半はこの新しい法律制定に抵抗した。

こうした心理は、ロードアイランド州にもっと顕著に表れている。
前述のように、この州はすでに信教自由の憲法を100年以上にわたって享受していた超先進州である。
知識人も愛国者も、また政治的に最優秀と見られていた州民も多くいた。
そうした彼らが中央政府からの統制を極度に警戒し、ロードアイランドは批准州から離脱し続けていた。




<マサチューセッツでの批准のために>

雄州マサチューセッツでは、憲法草案への支持・不支持はほぼ半々にわかれていた。
そして、その帰趨は重要だった。その結果を参考に態度を決めようとする他州がいくつかあったからである。

そこでは、バプテスト聖句主義者議員の姿勢が決定を左右する状況にあった。
この情報を草の根ネットワークで速やかにキャッチした聖句主義者から、バプテスト教会連合の二人のオピニオンリーダーが動いた。

彼らは「憲法が成らねば新国家は無政府状態に陥る」と、慎重派の聖句主義議員を二週間にわたって説得し続けた。
そしてついに、賛成187票・対・反対168票という19票の僅差でマサチューセッツ州の批准を実現した。




<バージニア批准会議でのウルトラC>

バージニアでの反対者は主に非聖句主義者であって、その中の一人に超有能弁護士で、
比類無き雄弁家でもあったパトリック・ヘンリーがいた。
彼は「新憲法には君主主義的傾向がある」 と主張し、自由を熱烈に愛する人々の心を揺さぶった。
「この罪深き憲法案を神は許し給わず・・・」と叫ぶ彼の演説は雷鳴がとどろくごとくであったと伝えられている。

これに対して、聖句主義者は「連邦主義者(ザ・フェデラリスト)」という連載論稿の著者として有名な、
ジェームズ・マディソン(後の第四代大統領)を州議会に送り出した。
彼が「黄金の声」と呼ばれた発声でもって諄々と説く演説もまた大きな説得力を持っていた。

彼自身は聖句主義教会員ではなかったが、聖句主義者たちは彼を代議員選挙に勝たせ、議会に送り込んだのである。
マディソンは、パトリック・ヘンリーに応戦してくれた。連邦国家と憲法の必要を黄金の声で諄々と説いた。
その結果、87票・対・77票という10票の僅差で批准がなった。

マサチューセッツとバージニアでの僅差の批准がなって、結果的に13州の内12州で批准がなった。
これをみて、憲法会議に代表を送ることすら拒否し、批准会議の開催自体を否認していた
ロードアイランド州も、最後に僅差の批准をするに至った。

結果だけを見ると楽勝だったかに見えるが、実体はそうではない。
もし二大雄州での批准がならなかったら、憲法は成立しなかっただろう。

のみならず、バージニアだけが否認となっても、残りの三州はそれに合わせて批准しなかっただろうといわれている。
するとニューハンプシャー州はすでに否決していたので、5州の否認となり、総計9州の批准はならなくなる。
バージニアの投票総数は164票。その賛否差の10票の内、わずか6票が否定に回っていたならば憲法案は否決廃案となっていた。

実質は首の皮一枚を残しての憲法成立だった。聖句主義者の奮闘によるかろうじての成立だったのだ。







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