鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

29 <世界理念の不在は短期的利点を生む>

2014年04月02日 | 聖書と政治経済学



前回、日本には人民に深く共有される世界観、全体観がないと述べた。
だが多くの読者は、そう言われても、ピンと来ないと思う。
当然なことだ。人は自分の属する世界しか知らなかったら、その特徴を認識することはできない。
特徴とは、異なった世界と比較して初めて認識できるものだからだ。

世界には、人民に広く浸透した世界観を持つ国々がある。
一つは西欧国家で、これは創造神ベースの世界観をもつ。
この世界観が、究極的に安定した全体観を提供することは前回述べた。

こういう全体観は「ここは長期的・大局的にどうしよう・・・」と思案する場面で強力な思考材料になる。
そういう場面は、個人の人生でも国家の歴史でも実は数多く起きるので、世界観は判断材料として常時重宝される。




<儒教の世界観>

そうした世界観をもつのは、西欧諸国だけでない。
実は漢民族の中国にも人民に深く浸透した世界観がある。
孔子が教えた儒教思想がそれである。

紀元前の、漢民族が小国家に別れていた春秋時代末期のことである。
思想家・孔子は国家観、国際関係観の明確な理念を漢民族に提供した。

彼の世界観は家族関係をベースにしている。
孔子は家族がよく治まるには、家父長が徳を持って家人に対し、家人は孝を持って応えることが必要と説いた。

彼はまた、国家が治まる方策も家族統治から類推して説いた。
君主が人民に徳を持って対し、人民はそれに忠を持って応えるのが、国が治まる秘訣と教えたのである。

この思想は後に国家間の調和形成の手法にも適用されていく。統一後の漢民族国家・中国と朝鮮、日本の関係についてもまた、家族からの類推でもってあるべき関係が説かれていく。

いわく中国と朝鮮、日本の関係は親子のようなものである。中国が親で、朝鮮と日本はその子である。
中国は親としてこの二国に徳を持って対する。
朝鮮、日本には子として中国に忠を持って応じる。
そうすれば国際社会は調和すると考えられた。

ちなみに朝鮮と日本との関係は、朝鮮が兄であり、日本が弟だとされた。
子は親に対して貢ぎ物を持って朝見(臣下が参内して天子に拝謁すること)した。
それを受けた中国は親だから、貢ぎ物の何倍もの土産物を与える。
結局それは、経済的には貿易のようなものとなるので朝貢貿易とも呼ばれた。

それは子たる国家にとっては常に利益になる。だから朝鮮は、短い周期の朝見を甘え求めた。
一方中国はそう頻繁に経済的負担を負うことはできないので、要望にそのまま応じられなかった、という。

なお、日本は周期的な朝貢貿易を中国に対してしなかった。
その意味では可愛くない子だった。
そんな態度をとれたにつけては、四面を海に囲まれることによって形成された独立性の高さも、大きな要因だったろう。

ともあれ儒教では国家間の調和もまた家族との類比において考えられていた。




<儒教思想は超わかり易い>

儒教の思想は、一般人民にも非常にわかりやすかった。家族での親子関係は、庶民もまた日々直接に体験しているからである。
それ故に孔子の家族統治論はわかりやすく、その知識から類推していく国家統治論、国際関係論もまた、庶民にもわかりやすかった。
その結果、中国では孔子の儒教思想は、全人民の心に深く浸透した。




<儒教思想は農民の小作化にも歯止めをかけた>

前述のごとく、人民に広く深く、かつ長期的に浸透した世界観は、「これは長期的大局的にどうしよう・・」というような決定事項で人間の行動を方向付ける。
儒教思想は中国人の行動を力強く方向付けた。

たとえばそれは、小農民が小作化しないという事象も産み出している。
欧州史では、小自作農は時の流れの中で、窮乏化し、大地主に借金を積み重ねていく。
そしてそれが返済できなくなって土地を手放し、小作人化していく。

この動向は欧州では普遍的に進展した。
そして経済学は欧州で生成したが故に、他国の経済学徒これをユニバーサルな経済法則のようにして学ぶ傾向を持った。小農民の小作化はあたかも法則のようなイメージで学ばれたのである。


ところが、この事象は中国では生じなかったのである。
大地主は小農が土地を手放す一歩前で、貸金の返済を赦したからだ。

そこには儒教思想が強力に働いていた。
儒教では家族をベースに人間世界を思考する。それが家族を重視するく心理を形成する。
加えて儒教では、上位の強者が下位の弱者に「徳」を持って対することに至上の価値をおいていた。
この世界観が、大地主に小農民の所有地を取り上げる一歩前で、貸し金の返済を赦すという行動をとらせた。
この事態は、中国が西欧流の近代化を進めるための障害にもなっていく。
だから歴史は一筋縄では捕らえられないのだが、とにかく中国では儒教の世界観がかくも強い影響力を発揮してきているのである。




<日本人に強力な世界観はない>

これをみれば、日本には庶民レベルにまで浸透した強力な世界観がないことを納得できるだろう。
繰り返すが、全体観は「ここは長期的・大局的にどうしよう・・・」と思案する場面で、照応すべき強力なイメージとして働く。

ではそうした全体観を持たない日本のような国では、人民はどうなるか。
参照すべき世界観は、人の行動を制約する面も持つ。日本人にはそういう制約要因がないことになる。
すると人々は、重大局面で目先の実利をストレートに追う行動を取りやすくなる。

実際、日本の明治維新政府がそれだった。
彼らは、西欧の技術を躊躇なく取りに行かれた。

「今の国際社会では、物的暴力手段(軍隊)の強い者が結局他者を征服する。そういう弱肉強食の論理が露骨な社会だ」と彼らは観察した。
そして西欧の軍事技術が対外戦争に有効だと知ったら、迷うことなくいただきにいった。

その姿を司馬遼太郎は『坂の上の雲』の秋山兄弟に明快に描いている。
維新政府の軍事指導者は、兄の秋山好古に、「お前は脚が長いから西洋の騎馬戦術を学んでこい」と、簡単に決定してフランスに遊学させる。弟の真之は、「学問では上位に行かれないから」と、一高から海軍学校に明快に籍を移す。

司馬遼太郎のこの小説は、そうやって、軽々と実利的に動いて行く日本と日本人の姿も描写している。




<儒教は清国の足かせになった>

当時の清朝中国政府にはそんな行動はとれなかった。
彼らの意識には儒教思想による世界観が濃厚にあった。

西欧諸国は各々自らの然るべき立場を悟り礼節を持って中国に対応する。中国もまた彼らに徳を持って対する。
清国には国際諸国を調和させる方式は、これ以外にイメージできなかった。

つまり、清国が儒教の精神でもって行動する。そうすれば他の国にもしかるべき身分・立場を悟るだろう。これによって国際関係は治まっていくべきものだ。そうとしか考えられなかった。
だから西欧軍事技術をストレートに取りに行くことはできなかった。

それが日本との差を生んだ。
日本は、西欧技術を取り入れ、驚くべき迅速さで強兵国家を実現した。
そして列強の一員として、ついには西欧列強とともに中国の領土と資産の「かじり取り」に入っていったのである。

それが人道的にいいか悪かったかは別として、少なくとも、日本は西欧列強に征服される悲劇からは脱がれ得た。

人民に広く深く浸透した全体観がないことは、このように短期的には利点として働くこともあるのだ。




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