
こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。
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国教会成立後のイギリスは、ヨーロッパ大陸とは別世界のような、自由世界になりました。
これを、我々は雰囲気として感じなければなりません。
イギリス国教会の司教、司祭は、国家のために働くべき公務員の指導者です。
その彼らの中から、国教会の運営制度を批判し、改革しようとし、激しく運動をするものが、数多く出た。
国教会は過激な運動者を、罰しました。
たが、彼らは限られた人々でした。
国教会から離脱し、自由な宗教活動をさせてもらうと宣言して出て行く司教や司祭もいました。
だが彼らが、執拗に追跡され、処刑されることはありませんでした。

<欧州大陸なら>
これがヨーロッパ大陸でならどうなるか。
ひとりびとりが捕らえられ、宗教裁判にかけられ、処刑されました。
ルター戦争後のドイツでも、それは同じなのです。
人々は、カトリック教会かルター教会かのどちらかの強力な管理体制下に、置かれました。
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ルター教会も、カトリックと同じく、教理統一教会なのです。
運営体制としては、カトリックの法王をなくしただけの教会です。
教理に反するものは、やはり異端とされ、処罰されました。
そこでは聖書を自由に吟味する行動は、厳格に罰せられた。
だからドイツでおいても、新しい教会活動の芽は、でませんでした。
出ないままに年月が過ぎていく。
これがルター戦争後のドイツでした。

<せいぜい国王による国外追放>
ところが、大陸から海峡を隔てた大ブリテン島でははるかに自由な土壌が出来ていました。
有力司祭が「イギリス国教会から出て行って、自由にやらせてもらう」と宣言して出て行く。
その人でさえ、せいぜい国王による国外追放でした。
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この違いを雰囲気として心に浮かべるかどうかが、近代欧米史理解の分かれ道です。
大ブリテン島に出来上がったこの自由な世界の中から、新しい宗教活動が多数生まれた。
そしてその中から新しい教派活動にまで.発展するものが出ました。

メソディスト教会はその一つでした。
組合派教会も長老派教会も後の英国バプテスト教会もそれです。
こんにちプロテスタント諸教会として、世界的に大きな活動をしている教会の大半は、英国国教会制度の中で発芽しているのです。
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メソディスト教会は、大教会となり、明治維新後の日本に青山学院や関西学院を設立し、今も運営しています。
組合派教会は、新島譲の活動を支援して同志社大学を設立しています。
長老派教会は、ニューヨークの教会から、ヘボン式ローマ字のヘボンの先生を支援し、邦訳聖書を完成させ、明治学院大学を設立しています。
これらの新教会は、近代英国に発芽しました。
そしてこれらの動きは、「知」が活性化路線に入った、英国の精神土壌に芽生えたのです。
(Vol.33 大ブリテン島の宗教環境は自由だった 完)
