Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読了「東アジア仏教史」

2019年04月04日 23時28分57秒 | 読書
   

 とりあえず最後まで目を通した。残念ながら私の問題意識とはすれ違う内容で、どこか大学・高校の教養としての仏教史の通史のような気がした。宗派の興亡という感じで、外来思想としての仏教が地域社会、とりわけ東アジアというひとくくりができると仮定したとして、その歴史や文化とどのように衝突し、拮抗し、上部構造として覆いかぶさっていったか、政治史とのかかわりだけでなく、社会の底辺とどのように拮抗したのか等々を期待したのだが、私の思い入れが違っていたようだ。
 近代国家成立のところで日本の植民地支配について、日本の仏教がどのような役割を果たしたのか、これについては別な一冊を期待したいと感じた。

 「おわりに」で「はじめはオルコットを大歓迎した日本仏教界は、宗派を超えて合同し、釈尊に回帰して仏教を盛んにしようとする運動もなされたが、神智学と仏教の違いが知られるにつれて、オルコットに冷淡になっていった。また、スリランカが西洋列強諸国の植民地となったのは小乗仏教のためだとして、日本の国家主義的な大乗仏教の優位を誇るようになった。日本はダルマパーラが願ったアジアの仏教国同士の連携をはからず、日英同盟を結んで西洋列強の一員となる道を選んだのだ。東アジアの近代仏教は、こうした西洋と東洋の相互影響、東アジア諸国間の相互影響を重ねながら展開していく。」と結んでいる。
 わたしからすると問題把握は共有できるのだが、どうしてもかなりの消化不良の感を拭えない。この結論から論をはじめてほしかった。

本日の収穫

2019年04月04日 17時12分19秒 | 読書
 いったん帰宅、団地の集まりに1時間ほど参加、その後都内へ。

 本日は喫茶店で読書三昧。「東アジア仏教史」(岩波新書)を読了。都内へ出かける電車の中では引続き「造形思考 上」を読むつもりでいる。ただしどこまで理解できているかはまったく自信がない。とても難解である。何か一つだけでも心に残るものがあればうれしいくらいのつもりで読んでいる。
 理論というよりも次第に難解な「アフォリズム集」のような文章が並ぶようになってきた。



タケノコが美味しい

2019年04月04日 11時46分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ようやく春らしい暖かさを感じる天気になった。気温は例年と比べて高いのか低いのかはわからないが、窓越しの日ざしが気持ちいい。4メートルの北風ということで、外に出ると寒さを感じるものの心地よさの方が勝る。
 先ほどまで退職者会の会議のための若干の資料作りの作業。いつも11時ごろに一段落して飲むお茶がうれしい。

 本日は夕方までは特に予定はない。17時から団地での飲み会があり、1時間ほどで退席させてもらったのち、都内に飲みに出かける予定。
 午後にウォーキングを兼ねていつものとおり横浜駅まで出かけ、駅界隈で読書タイムと書店・家電量販店等をめぐって情報収集。家電量販店では購入するものはないが、書店では読みたい本はたくさんある。誘惑に負けずに立ち読みで済ませられるものがあればそれにこしたことはない。

 筍がもう3度ほど我が家の夕食に登場した。私の好物である。特に煮物が好みである。歳時記では夏の季語の扱いとなる。しかし関東地方では4月末の連休前に採れるし、店頭にソメイヨシノが咲くころに並び始める。ただしまだ値が張る。私が「食べたい」とうるさくいうものだから、妻は「高い」と文句を言いながらも購入してくれる。私の感覚では春本番のイメージがつきまとう。

★筍の天鵞絨(ビロード)の斑の美しき   富安風生
★たけのこのてっぺんにあるこころざし   池田祥子