Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

加藤楸邨の「鵙」の句

2019年04月21日 21時32分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 加藤楸邨の最初の句集「寒雷」の「愛禽抄一」におさめられている「鵙(もず)」の句から。鵙は秋の季語であるが、本日取り上げてみた。

★かなしめば鵙金色の日を負ひ来
★目をほそめ没日(いりひ)の鵙をしかと見たり
★ひとの目に鵙群青の空を翔(か)く
★冬日没る金剛力に鵙なけり


 山本健吉は「現代俳句」という著作の中で、第1句は「秋の夕べの輝きを負って、鵙が高音を張りながら一直線にこちらの樹へ飛翔してきたのである。‥(鵙の)乾いた高音は澄み切った秋の大気を感じさせる。‥何もかも茜色に染め出すような秋の入日の景にふさわしい。‥豪華な色彩と強烈な主観とに彩られ、厭離も大きく躍動して重々しい」と評している。

 初期の加藤楸邨の句は色彩感覚に優れ、写実的で印象鮮明な句が多い。そして「かなしめば」「しかと」「金剛力に」など主観が強く打ち出されたことばがするどい。この主観的なことばを嫌う人も多いようだが、私はこの強い言い切りに惹かれる。そこに作者の表現意識を感じ取りたい。単に印象鮮明なだけではない抒情があるように思っている。抒情がなければ「詩」ではないが、安易な抒情は俳句から「抒情」を無くしてしまう。詩とは言えなくなる。

 私は、これらの作品を読んで、琳派の作品、それも鈴木其一の作品などを思い浮かべてしまった。


横浜公園のチューリップ

2019年04月21日 19時20分52秒 | 山行・旅行・散策


      

 昼から親族とともに「関内桜通り」のヤエザクラを見に出かけた。病気で家に閉じこもらざるを得なかった親族を、妻とともにゆっくりと歩いて巡ってきた。ついでに横浜公園のチューリップも観てきた。チューリップはちょうど見頃だったようだ。ヤエザクラは少し遅かったかもしれない。葉の方が多くなり、花が葉に隠れてしまっていた。それでも十分に楽しめた。

 NTTのマンホールの絵柄は関内桜通りにあった。以前から気がついてはいたが、その場所を離れるとすぐに忘れてしまっていた。本日は忘れないうちに撮影。地図としては大まかであるが図柄として、また案内図としても秀逸。散歩道には有効で、そして楽しいもある。

         

本日は休養・休肝日

2019年04月21日 10時26分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私の日課は、パソコンに電源を入れることから始まる。
 朝8時、血圧を測定し、パンと紅茶とヨーグルトの朝食を済ませる。本当はご飯またはお粥と味噌汁の朝食がいいのだが、それは却下される。朝食後、洗面をしながらパソコンの電源を入れる。これで自分の脳が働きだすような気分になる。
 顔を洗ったのちに、このような文章を打ち始める。日記のような身辺雑記は避けてきたのだが、いつの間にかこのような日記みたいな文章が多くなっている。

 さて、昨日の退職者会の総会で「仕事」は一段落。昨日の経費の清算書を本日中に作成する予定。あとは団地の管理組合の総会が一月後。これも大きな区切りとなる。
 しかしながら、退職者会ニュースの作成の日程が迫っている。連休明けまで原稿作りが続く。例年この4・5月が一番厳しい日程である。印刷会社の休みなどの日程を縫うようにして仕上げなければならない。作業が軌道に乗るまで、気分的にはつらい。