Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ワーファリン服用はいったん中止

2019年04月08日 23時50分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日市民病院で診断の結果、ワーファリンの投与を2カ月ほど注視してみることになった。先週の造影剤を注射してのCT検査の結果、血栓もなくなっていること、炎症を示す数値も低く安定していることなどを告げられた。6月に再度造影剤を打ってのCT検査を予約してくれた。
 一方で、「血栓が出来た静脈は血栓が無くなっているが潰れており、炎症を起こしている間にできた新しい血管が機能している。また血栓が出来た理由は結局わからない」とも云われた。
 血栓の出来た原因がわからない、ということは入院中からも言われており、PET検査も含めて考えるといわれていたが、結局それはしないようだ。
 友人の医師からはセカンドオピニオンとして他の病院での検査も受けることもできる、アドバイスを貰っているが、私はまだ結論は出していない。
 秋口には癌検診を受けており、その時に毎年受けるよう指示されている大腸の内視鏡検査も受ける予定にしている。肝・胆・膵の検査も受ける予定である。それから判断してもよさそうである。
 バイパスの血管が本流となっているという指摘にはビックリしているが、それが直ちに体に負担を強いているとはいえそうもない。6月に入ったら友人の意志に相談してみることにした。

 なお、現在体の中のワーファリンが排出されるのに5日はかかるので、一週間は「納豆など禁止されていた食品は控えること、食欲があっても食べ過ぎないこと」を申し渡された。
 まぐろ納豆、納豆ご飯、納豆汁は来週までお預けである。


「山頭火句集」(ちくま文庫)

2019年04月08日 23時29分06秒 | 読書


 本日から読み始めた本は「山頭火句集」(ちくま文庫)。尾崎放哉を前回はじめて読んだ。もう一人の放浪の俳人で有名な種田山頭火の句も私は関心がなかった。今でもまだよくわからない範疇である。しかし読みもしないで、好き嫌いも含めて私なりの像を結ぶことは良くない。敢えて目を通すことにした。
 これとパウル・クレーの「造形思考 上」を並行して読み進める予定。

読み終わった本「裸婦の中の裸婦」(澁澤龍彦・巖谷國士)

2019年04月08日 17時50分27秒 | 読書
   

 いつものように覚書として。

この絵の中の海は、あのスペインのダリがしばしば好んで描くポルトリガトの海のように抽象的な海であり、精神分析学的な海なんだよ。‥脊椎動物は‥陸上生活をいとなむようになってからも、子宮の中で水中生活の名ごりを維持している‥つまり胎児を浸してい羊水が、海の水のアナロジーなのだ」(4.水浴する女、フェリックス・ヴァロットン:女と海)

デカダンスというのは、かならず過去と現在とを二重写しにすることによって生ずるんだよ。例えば十九世紀末のデカダン作家、すべてローマ帝政末期に熱烈にあこがれていたね。それと同じように、現代のファッションなんかも、ともすればベル・エポックとしての一九二〇年代と三〇年代とかに回帰しようとする。そして、その時代と現代とを重ねて見ようとする」(8.デカダンな女、ヘルムート・ニュートン:裸婦)

両性具有というイメージには、失われた全体を回復しようとする人間の本質的なあこがれが投影されている‥」「古代人がいかに両性具有のイメージを好んだかは、世界中の神話を検討して見れば一目瞭然だね。‥人類の共通遺産だといってもよい‥」(9.両性具有の女、眠るヘルマフロディトス)

「(デルヴォー)は人間同士の交流をしんじていないといのか、その点ではペシミストなんだろうけれど、どこか土性っ骨がすわっていてね。いつまでも、裸婦とそれを見る者とのあいだの中段された関係をドラマに仕立てて、営々と描き続けている。それもなかり普遍的な、現代人の心の中の問題としてね。‥だからどこか見覚えがあるという感じがするんだろうね」(10.夢の中の女、ポール・デルヴォー:民衆の声)

「(四谷シモン)は自分の雛型として人形をつくる。それぞれの人形のなかには自分が宿り、自分のなかにはそれぞれの人形が宿る。そんな状態をつづけるためには、一種の修行者、聖者であるない。、人間と人形とのはざまで、紙の幻を追いはじめた彼は、いわば「聖シモン」を演じつつあるのかもしれません。この人形自身、体はなるほど少女に見えるかもしれないけれど、むしろ少年といったってすこしもおかしくないような、生の分化する以前のいとけなさ、懐かしさをたたえている‥」(11.美少年としての女、四谷シモン:少女の人形)

一見ばらばらな要素がかさなりって、不思議な調和をつくりあげている世界。もちろん構図は完璧だし、どの部分もみごとな古典主義的技法で描かれてはいる。それなのに、裸婦たちの組み合わせかたが奇妙に非現実的で、それぞれ別の平面から持ち込まれた複数のめーじがたまたま出合い、コラージュされているような感じがある」(12.さまざまな女たち、アングル:トルコ風呂)


ようやく帰宅

2019年04月08日 02時24分18秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は、16時直前に団地の会議は終了。退職者会の事務作業を若干こなした。夕食後、所用があって出かける。帰りはいつになるやらと思いながら家を出た。日付のあるうちに帰ることは難しいと思っていた。思っていたよりは早く1時半ころに帰宅できた。結果は残念であったが‥。なかなか思うようにはいかない。
 シャワーではなくお風呂に入ることができてさっぱりした。

 朝は9時までに市民病院へ。採血をした上で、先週の造影剤を注射してのCTの検査結果を聞きに行く。ワーファリンの投与をこれからどうするか、医師の判断が示されるはずである。

 サクラの花もいよいよおしまい。これからはヤエザクラの季節へと移っていく。

★落花一片澱む運河が動き出す      藤井静三
★満願の息吐ききつて飛花落花      伊藤義子