Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

100円玉4枚の外出

2019年04月11日 22時00分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はとても風が冷たくそして強風注意報の出ている中を歩いて、神川大学の生協で書籍を購入乃至注文しようと思っていたが、ついてから注文する本の一覧を忘れていたことに気がついた。やむなくキャンパスの傍にある古書店を2軒回って、遠回りをして横浜駅まで歩いた。書店での時間も併せて1時間半ほど。古書店で「印象派の誕生 マネとモネ」(吉川節子、中公新書)を350円で購入。財布には400円しか入っておらずギリギリ。とはいってもいつものことであるが‥。
 横浜駅では電子マネーの使える店でホットコーヒーで体を温めた。「山頭火句集」を読みながら自分なりの句を作ってみたりして1時間ほど過ごした。

 明日は夕方から渋谷で美術関係のお話を聞くことになっている。イタリアンをべながらという私としては初めての体験。こんな贅沢はこれまで経験はない。ワインの誘惑に負けないでお話をちゃんと聞いていられるか、あるいは呑み過ぎて寝てしまうか、心がけ次第ではあるが、自信がない。

「原っぱ」 長田弘

2019年04月11日 20時43分10秒 | 読書
 私は時どき無性に詩を読みたくなる。それも戦後の詩がいい。そしてわかりやすい詩がいい。本日もこんな散文の詩を読んでみた。

  原っぱ     長田弘

 原っぱには、何もなかった。ブランコも、遊動円木も
なかった。ベンチもなかった。一本の木もなかったから、
木蔭もなかった。激しい雨が降ると、そこにもここにも、
おおきな水溜まりができた。原っぱのへりは、いつもぼ
うぼうの草むらだった。
 きみがはじめてトカゲをみたのは、原っぱの草むらだ。
はじめてカミキリムシをつかまえたのも、きみは原っぱ
で、自転車に乗ることをおぼえた。野球をおぼえた。は
じめて口惜し泣きした。春に、タンポポがいっせいに空
飛ぶのをみたのも、夏に、はじめてアンタレスという名
の星をおぼえたのも、原っぱだ。冬の風にはじめて大凧
を揚げたのも、原っぱは、いまはもうなくなってしまっ
た。

 原っぱには、何もなかったのだ。けれども、誰のもの
でもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもない
ものがあった。きみの自由が、



 そういえば、公園ではなくところどころ家の建っていない空き地がよくあった。公園やら学校の校庭よりも何もない空き地が一番面白かった。私は近所のこどもと遊ぶよりも、一人でそのような原っぱで釘を地面に向って投げつけて刺さるのを繰り返したり、オオバコの葉から繊維を引っ張りだすことをくり返し繰り返し行った。ときどき半分干からびた犬の糞を見つけてはオオバコの葉に包んで、投げたりしていた。近所の同年代の子がいると、そこには近寄らずに隅っこで一人で遊んでいた。
 時々野良犬や野放しの犬が来るとあわてて逃げた。犬に吠えたてられたことがあり、どうしても犬が苦手であった。犬は追いかけて遊ぶものだと教わったのは、中学生になってからだった。

車いすのバス乗車

2019年04月11日 11時32分53秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 北風が冷たい。9時前には最大瞬間風速が19メートルという強い風である。窓から見る限り射しは強く、明るいのだが、硝子戸を開けてベランダに出ると砂が目に飛び込んできた。慌てて水をかけて目を洗った。

昨夕、バスで帰宅途中で降車するバス停の手前のバス停から車いすの方が乗車となった。私は初めてその作業を目にした。
 運転手が運転席を離れて、車いす固定場所の座席をたたみ、近くの荷物置場に格納されているから車いすの固定器具を取り出し、介助者とともに車いすを車内に引き上げる。その前にはバスの位置を、車いすが乗車しやすい場所に移動する。
 なかなか大変な作業である。しかも帰宅時と重なり車内は立っている人も多く狭い。運転手にとってはとても重労働である。当然にも降車するときも同様のことが求められる。介助者も大変だが、運転手の手際の良さも必要である。もう少し固定場所や方法の改善があればいいとも思われる。これは複数台の車いすに対応は出来ていないと思われる。
 この間、5分から10分位だったろうか。後ろの方の席に座っていたので、手伝うことはできない距離であった。しかし同時に要領も分からない人は手伝うことはかえって手間をかけてしまう可能性も感じた。

 もっと手際よく、そして他の乗客が手軽に手伝えるような簡便な方法が必要と思われる。しかし本当に運転手には大変な作業だと感じた。