Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

躑躅(つつじ)の季節

2019年04月26日 23時07分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昼間少しばかり歩いてみた。近くを往復1時間ほど。ツツジが随分と開いている。寒いにもかかわらず昨日よりも開いている。鮮やかな色がこの湿気の覆い空気とどんよりとした空模様には似合わない。

 雨が上がっているうちに若干の夜のウォーキングに出かけた。湿気が多く、あまり気持ちのいい汗ではなかった。21時に10.2℃となっており、0.1℃気温が下がった。実感としては逆に暖かくなったくらいに感じた。

 これより明日自賛するものや、経費をリュックに詰めて用意をする。朝8時半前には家を出ることにしている。ふだんの起床時間からするとなかなかつらい時間である。それでも早目にはなかなか寝付けない。

★死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり   臼田亜浪

 ちょっと不思議な句。死をここまで突き放してみたときどんな風景が脳内の中に広がるのだろうか。作者はこの地平にはたたずんでいない、と思うのだが‥。詩が文学である限り、さまざまな思考実験は不可避である。そしてその結果に縛られる。

 明日は帰りも夜になる予定。

呑み方いろいろ、楽しみ方さまざま

2019年04月26日 21時00分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜の最高気温は昨晩深夜0時20分の19.5℃になるようだ。18時半の時点での気温10.3℃が今のところの最低気温であるらしい。確かに本日は寒かった。
 今は市内どこも雨は降っていない。
 明日は連休前の連合のメーデー。9時半集合となっているが、それまでには何とか雨はあがってほしいものである。

 開場での飲み物、昼のお弁当を数人分購入してから集合場所に集まることになっている。メーデーは現役時代から役員の厄日、と考えるようにしてきた。楽をした覚えはまったくない。退職後もずっとそのままである。
 退職者会は会員同士では顔を合わせる場面が少ないので、いろいろの根回しも含めて穴しておかねばならないことは多い。忘れないようにメモをみながらいろいろと話をする。結構大変である。14時位からは桜木町の野毛で現職の組合員も交えてワイワイガヤガヤと賑やかになる。

 組合の再建以降、野毛にはほとんど顔を出さなくなった。メーデーのときだけである。さびしいと言えばさびしいのだが。
 野毛もずいぶん様変わりしている。最近は若い人が行列をなす店も多いらしい。私ども高齢者にとっては行列を作って待つ、ということは耐えられない。それは現役時代からもそうだった。並ぶくらいならば、さっさと他の店に行く。

 最近の方は、飲み屋でも肴に凝っているのだと教わった。悪くはない話なのだろう。「最近の若い奴は‥」とはトンと思わないが、呑み方が違っているのことは確かなようだ。お酒の楽しみ方はそれぞれこだわりや個人の流儀がある。それを尊重しあいながら、呑む相手によって臨機応変に変えられるゆとりが欲しい。他人に呑み方を強要したり、蘊蓄ばかりを述べたり、つまらない説教をしたり、処世訓をたれたりしないで、静かにじっくりと呑めればそれが一番である。

 若いとつい他人にお酒を強要してしまう。さらに自制か効かなくなる。自制が効いていないことに無自覚である。自制が効かなくなるまで飲んでしまう。他人のお酒の呑み方に注文を付けようとする。お酒はこれがいけない。
 年寄りはお酒でいっそう耳が遠くなり、声がでかくなる。そして他人の意見を聞くゆとりを無くしやすい。ささいな意見の違いが果てしもなく大きな溝になってしまう。
 若者、年寄り、ともに自分を無くして喧嘩になる。一緒に呑んでいる集団内部で言い合いになるだけでなく、隣の他人とも争ってしまうことも多い。そんなお酒に付き合うのはごめんである。大人の呑み方をする人と付き合いたいものである。

 本当はお酒はひとり静かに呑むのが一番いいのだが‥。

ブラームス「チェロソナタ第1番、第2番」

2019年04月26日 13時44分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 11時ごろまで雨が降っていた。時間雨量10ミリ未満、昨日とは違って本降り。ようやく雨が上がった。

 本日はブラームスの2曲の「チェロソナタ」を聴きながらの作業。チェロは堤剛、ピアノがウォルフガング・サヴァリッシュ、1978年5月の録音。堤剛36歳のときの録音である。第1番の冒頭からの朗々としたチェロのソロは何度聴いてもすぐに引き込まれる。チェロの魅力十分の曲であり、演奏だと思い込んでいる。
 ヴァイオリンをいじったことのある私にもチェロの弦を抑えたときの強い弦の振動は魅力的だ。あの強い振動をきちっと4本の指で押さえこんで、指と駒の間の弦を情感を込めて鳴らすことができるのは演奏家冥利だと思う。チェロは4本の弦が個性を持ちながらもその力強さはヴァイオリンの弦を抑えるのとはずいぶんと違う感触と、「柔らかい力強さ」が必要である。形容矛盾のような表現だが、ほかに表現のしようがない。
 弦を抑えた指を通してあの振動を棹、そしてふくよかな胴体に伝える、弓が引き起こした振動は一方では駒を通して振動を胴体に伝える、反対側は指という肉体を通して棹からその振動を胴体に伝える。木質と肉体と馬の尻尾の毛による振動が音となる。そんな不思議な感覚を演奏者に与えるのが弦楽器である。チェロの魅力はその音が人体の発する音程と近いことにある。それゆえに演奏者の指の感覚が聴衆に追体験のように伝わることでもあると思わせる。
 このブラームスのチェロソナタはそんなチェロの魅力で全身を浸してくれる。