Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

待宵月

2019年04月18日 23時36分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は小望月あるいは待宵月ともいう。明日が十五夜で満月である。夜のウォーキングの間出ていた月は満月のように丸く見える。そして私の視力では星はほとんど見えなかった。

 わたしの視力は弱くなったものである。歳相応に白内障があり、そして緑内障で、斜位の診断。さびしいこと限りない。
 中学二年生までは遠視気味で視力検査では2.0であったが、一年間で一挙に裸眼で0.6まで落ちた。就職した時は0.2だった視力も今では0.1がかろうじて判別できる程度。日によっては判読できない。眼鏡をかけても0.9が判読できない。
 老眼もだんだんひどくなり、本を読んでいて目を上げると焦点が合うまでに1秒近くかかる。次第に焦点が定まっていく時間がとても長く感じる。

 明日は朝から組合の会館で作業。明後日の退職者会の総会の議案書100部ほどの製本作業である。既に月曜日には原稿は確定しているので、夕方までかかってしまったりすることはないと思われる。作業そのものも困難ではない。輪転機での裏表の印刷で50ページほど。



「行人」(鮎川信夫)

2019年04月18日 21時19分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 行人     鮎川信夫

崖がくずれ
斜面に枯草がそよいでいたりする
ひろい眺めのところどころで
電線がひうひう鳴っていたりする
そんな街はずれに立っていると
なぜか一服の煙草もひどくうまいのである

真昼の月の下を
売れた道がつづいているのみである
ときに一人の男が
遠くからこちらへ近づいてきたりする
それだけのことで
世界の秋はふかくなってゆくように思われる
孤独な道を歩いてくる男だけが
高貴な冷たい旋律を感じているにちがいない

すべては過ぎさる
しかし黙ってすれちがう一瞬にも
なんという美しさを見出すことだろう
黒い喪服をつけた男の
悲しみにあおざめた額のうえに
たとえば小さな捲毛の渦をみつけるような!


 この詩にも読んだ当時に付けたとも思われるチェックが付いているのだが、ただ読んだという印なのか、何か心にひかかったことで付けたチェックなのかわからない。今の私には響いてこないのである。
 「孤独な道を歩いてくる男だけが/高貴な冷たい旋律を感じているにちがいない」あたりに何かを感じたのかもしれない。しかしどこか映画的な場面でもある。
 当時は孤独感と疎外感ばかりが募っていた時期である。孤独感に酔っていたといわれてしまいそうである。

「俳人・金子兜太が見た戦争」

2019年04月18日 12時23分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中に、NHKのラジオで昨年8月7日に放送された「俳人・金子兜太が見た戦争」を聴いた。今年の8月6日まで「ラジルラジル」の「聴き逃し」一覧から聴くことができる。
 故郷の秩父地方での太平洋戦争開始直前の社会状況から聞きだしている。地域の人びとが生活の苦しさ、閉塞感から戦争を待望し、戦争によって当時の状況から逃れたいという世相や、治安維持法・特高警察による俳句結社への弾圧などが語られる。
 トラック島に配属された時の軍部の無策、飢餓状況、戦争そのもののに対する告発、戦後の金子兜太の出発点も語られた。
 戦後、この戦争体験を根っこにして日銀での労働運動へのかかわり、最晩年の「平和の俳句」への関りなど興味深く聴いた。

 何故戦争はなくならないのかという質問に、「ひとことで答えさせてください。物欲の逞しさ。あらゆる欲のうちで最低最強の欲ですが、制御不能、かつ付和雷同を生みやすい欲。そこに人間の暮らしが武力依存をつのらせる意味もある。」

 半藤一利、澤地久枝、黒田桃子、いとうせいこうが登場する。

 番組で取り上げていた句は、

・魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ
・海に青雲生き死に云わず生きんとのみ
・水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
・銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
・湾曲し火傷し爆心地のマラソン
・梅咲いて庭中に青鮫が来ている
・曼殊沙華どれも腹出し秩父の子
・おおかみに蛍が一つ付いていた
・よく眠る夢の枯野が青むまで
・東西南北若々しき平和あれよかし