Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨がパラついた

2019年04月22日 23時01分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 どういうわけか、明日も組合の会館に出向かないといけなくなった。短時間で用事は終わるが、午前中にでもそれは済ませてしまいたい。
 明日から本腰で5月号の退職者会ニュースの原稿作りを始めようと思っていたのだが、ちょいと出鼻をくじかれた。ささいなことで頓挫してしまうのが、最近の私の悪い傾向。歳の所為にはしたくはないが、気力が失せてきているのだろうか。

 さて22時を過ぎる前に、軽く夜のウォーキングに出かけ、早めに帰宅したい。先ほど18時ころ帰宅直前に雨がばらついた。今のところ雨は上がっているが、心配である。


桜蘂(さくらしべ)降る

2019年04月22日 20時29分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今年は三週間近く咲いた桜であるが、今はもう桜蘂が大量に樹の根もとに堆積している。その上を歩くと乾いた音がする。靴に踏まれた蘂の音である。花弁と違って桜の蘂は乾燥している。靴に踏まれて乾いた悲鳴をあげる。桜の蘂に桜の名残を見ている。

★花蘂降るきしきしと死者の群れてゆく  遠藤宗一
★実盛の甲花蘂ふりやまず        田沼麦秋
★桜蘂降る一生が見えて来て       岡本 眸


 第2句は芭蕉の「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」(奥の細道)を踏まえる。子供の義仲を救った実盛が、年経て平家方として義仲と戦うが、白髪を染め若武者の出で立ちで出陣するも討たれる。義仲は恩人実盛の武勇を讃え多太神社に兜を奉納する。また「むざんやな」は謡曲「実盛」の「あなむざんやな」による。
 第2句は「キリギリス」という秋の句から「桜蘂降る」と晩春に季節を移し、さらに梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という「桜の樹の下には」という短い小説も踏まえた句に転換している。
 第1句の「死者」とは何か、多分「きしきし」は蘂を踏んだときの音。その上を歩いているのが、生きた人ではなく、「死者」だというのだ。桜の花の散った後に死者が歩いている。桜の花のように生を散らされた、生きることやめさせられたのだがに、無惨な死、強制された死や、突如として強いられた災害死などを指すのだろか。たぶん無念の思いがあるのだから、理不尽な死、社会的にもたらされた死をイメージできるのではないか。それが亡霊のように生きて桜蘂を踏んでいく。しんでもなお更新するならば、戦争で死んだ兵隊の詩であるに違いない。戦後になって戦争を思い出している句なのではないか。戦争による死が、報われていない、十分に慰霊されていない、戦争がきちんと総括されていない戦後を憂いているとおもうのは私だけだろうか。
 第3句、桜の花の最後は、蘂が降ることで最終となる。人の一生をそこに垣間見た句であろうか。
 

「寒雷」(加藤楸邨)から

2019年04月22日 10時48分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 加藤楸邨の第1句集「寒雷」の中の「愛林抄」(1935~37)に「農句」という5句の連作がある。

★北風に言葉うばはれ麦踏めり
★麦を踏むけはしき眼何を憎む
★麦を踏む子の悲しみを父は知らず
★麦を踏む父子歎きを異にせり
★降る雪が父子に言を齎(もたら)しぬ


 私は、ミレーの「種まく人」や、それを独自の色彩感覚で模写したゴッホとゴッホの初期のオランダ時代の作品などを思い浮かべた。
 昨日取り上げた眩いばかりの色彩感覚の作品とは違って、単色の寒々とした冬の季節風にさらされる人間がたたずむ風景である。
 春日部で教員生活を送る加藤楸邨の生徒たちは農業を営む子弟が多かったと自ら書いている。昨日のような作品と、このような「社会性」のある作品がこの「寒雷」には同在している。これが魅力であると私は感じている。
 父子の間の意識や世代間の落差をつなげるのが、労働の現場に現われる自然の厳しさである。それが人の生存を律してきた。一方でその厳しい現実をもたらすものへの鋭いまなざし・視点を作者は持ち合わせている。

 さて、時代はわずかに80数年たった。あの戦争をくぐりぬけ、私たちは何を獲得し、何を失ったのか、自問自答が続く。