Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

フォーレ「舟歌」第1番~第3番

2016年07月16日 23時10分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 フォーレ(1845~1924)の「舟歌」をずっと聴いているが、付属の解説書によるとフォーレのピアノ音楽の時期区分に沿って、舟歌13曲は3つのグループに分かれるという。
第1期(1860-1885) 第1番(1881)~第4番(1886)
第2期(1885-1906) 第5番(1894)~第7番(1905)
第3期(1906-1924) 第8番(1908)~第13番(1921)

 私は第1番から第3番が特に好みである。揺れるような旋律が無限に続いていく。短い曲だがいつまでも続くような不思議な感覚にとらわれることがある。
 これが第4番となると突然別の曲のような気分になり、第5番でさらに飛躍してしまう。梅雨の夜、静かにピアノ曲を聴きたいときはこの3曲が候補のひとつになる。

 型式の基本はA-B-A´だが、Aが何回も聴きあきることなく繰り返されるように私には聴こえている。それだけ旋律が浮き上がって聴こえるのだと思う。
 そしていづれも上昇音階の最後に現われるトレモロが印象的である。


「第71回 春の院展」(そごう美術館)

2016年07月16日 20時10分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜市のそごう美術館で「第71回春の院展」を見てきた。800円が600円になる割引券を貰ったのだが、そごう百貨店の傍にあるチケットショップで150円でチケットを販売していた。
 院展は例年できるだけ見に行って日本画の今を探ろうと思っているが、いつも残念ながら私が惹かれる作品はなかなかない。昨年の秋の院展では私なりにかなり躊躇しながら、多少でも気に入った作品をいくつか取り上げたつもりだった。しかし今年も私なりに惹かれた作品はほとんど無かった。
 表現のための技術についてはいろいろと評価があるかもしれないが、そのような知識や経験のない人間にも迫って来る作品を求めたいのだが。素人判断で申し訳ないが、構図も視点もとてもありきたりに見えてしまった。人物の表情も類型的としか思えない。人物の性格を切り取るとか、作者が抉りだしたい性格・表情が感じられない。動きや時間の推移が画面から感じられない。私の鑑賞の仕方が未熟、偏屈、センスが無さすぎるのだろうか。

 私の好みで言えば今回は2点だけ。ひとつは廣藤良樹「桟橋」と、期待を込めて初入選という高岡正子「氷宙」。もう1点、淵田邦明「雑魚場」は視点が気に入ったが、何か散漫な感じが拭えなかった。

日本の政治の「劣化の証明」

2016年07月16日 11時01分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 こんな報道がなされている。

 政府、核政策で米に協議要請  先制不使用に反対論
 オバマ米政権が検討する核兵器の「先制不使用」政策を巡り、日本政府が内部で議論を始めたが、「核の傘」弱体化への懸念から反対論が根強く、米側に協議を申し入れていることが15日、分かった。日本政府関係者が明らかにした。
 米政府筋によると、オバマ大統領は、核攻撃を受けるまで核を使わない先制不使用を新たに採用するかどうか、月内にも最終判断する見通し。
 大統領は5月の広島訪問も踏まえ「核の安全保障上の役割低減」につながる先制不使用に前向きとされるが、米核戦力に依存する日本など同盟国の意向も配慮する考え。日本の対応次第では米核政策の一大転換が見送られる可能性もある。
⇒【http://this.kiji.is/126637236525154306

 「戦後70年談話」では「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」と述べて、1年後には「政府、核政策で米に協議要請 先制不使用に反対論」。
 誰が聞いても、見ても矛盾している。絵を書いているのは誰なのか、本人なのか、外務省なのか、ブレーンなのか。「政府」の判断である以上、首相である安倍晋三という人間から吐かれた判断であることには変わらない。
 口から出まかせの人間であると判断せざるを得ない。政治家として、人として失格である。さまざまな評価はあれ「70年談話」を首相自らが踏みにじっている。一貫性がない。
 そして平和な国家への理念も、戦後70年の歴史の重みも、戦争犠牲者への追悼の思いも感じられない。

 フランスの事件を受けて「価値観を共有するフランスが困難な中‥」という発言にも呆れている。自民党の改憲案とフランスの国家理念とがどこに共有する価値があるのであろうか。この人の発言はあまりに軽すぎる。それを通り越してこの国の信用を失墜させる。誰もこの人の発言は信用しなくなる。それでも日本の首相で居続けられる。この国の政治の劣化があまりにひどいのではないか。


フォーレ「舟歌」全13曲

2016年07月15日 22時11分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は猛烈な雨に見舞われて、銀行での手続きの予定などすっかり予定が外れてしまった。作業に追われて出来ていなかった様々な仕事をまとめて処理しているうちに時間が経ってしまった。

   

 雨の日の読書などとノンビリしようとしたが切り替えられなかった。結局ニュートンの8月号の地震以外の小さな記事をいくつか、読んだのと、作業の合間にフォーレの「舟歌」全13曲をかけ続けた。もっと静かな雨の日ならば耳に入ったかもしれないが、落ち着いてじっくりと聴くことは出来なかったのが残念。明日以降もしばらくは賭け続けたい。
 ジャン・ユボーのピアノ独奏。録音は1988年から89年。ピアノ作品全集ということで4枚組のCDの内、この舟歌は3枚目。私は夜想曲よりは聴きやすいと思えて、この4枚組のCDを購入してから3枚目の「舟歌」は幾度か聴いている。夜想曲よりはメロディーが浮かび上がるように聞こえる。そしてこれは「夜空の舟歌」であると思っている。水面に浮かぶ月や星のきらめきが色彩や装飾というのではなく、内省的に語られているように感じる。

避難勧告は順次解除へ

2016年07月15日 17時57分26秒 | 天気と自然災害
 横浜市内の土砂災害警戒情報は15時50分に解除となり、それに伴い避難勧告も15時50分以降順次解除され、12区の内9区で解除された。残るは中区、港南区、栄区となっている。
 大雨警報は継続しているが、洪水警報と雷注意報は解除された。

 現在私の家の付近の雨は上がっているが、いつ降り出してもおかしない雲行きと湿気である。雲は雨が去った方向、北から南へ流れている。昨晩とは違って風の方向と雲の流れの方向と雨の去って行く方向は一致している。

 本日は京急線・東横線、東海道線・横須賀線・京浜東北線などにも影響が出るなど、昨晩よりも大きな影響が出たようだ。道路の冠水も横浜市内で31か所と報道されている。鶴見区では時間雨量80ミリを超えたとの報道もある。

【追記】17時までに残る栄区・港南区・中区も避難勧告は解除され、すべて解除となった。

横浜市内の広範囲に避難勧告が発令された

2016年07月15日 13時51分36秒 | 天気と自然災害
 私の家の付近の雨はとりあえずは峠を越えたように思えるが、まだ市内全域では時間雨量20ミリ以上の区域が広く覆っている。
 以下のメールが横浜市より届いている。

☆ ☆ ★ ★ ★ ☆ ☆ ☆ ★ ★ ★ ☆ ☆ ☆

 平成28年7月15日13時10分、土砂災害警戒情報(北部・南部)の発表に伴い避難勧告を発令しました。対象区域は次の通りです。

●神奈川区沢渡の一部
●西区境之谷の一部、西戸部町1丁目の一部
●中区石川町4丁目の一部、打越の一部、鷺山の一部、山手町の一部、北方町の一部、本牧町1丁目の一部、本郷町3丁目の一部、仲尾台の一部、山元町3丁目の一部、山元町5丁目の一部、麦田町の一部、小港町1丁目の一部、西竹之丸の一部
●南区井土ケ谷上町の一部、庚台の一部、清水ケ丘の一部、中里三丁目の一部、永田北一丁目の一部、永田北三丁目の一部、永田東二丁目の一部、永田南二丁目の一部、別所二丁目の一部、堀ノ内町2丁目の一部、南太田四丁目の一部、六ツ川一丁目の一部
●港南区日野八丁目の一部
●保土ケ谷区新井町の一部、岩崎町の一部、上菅田町の一部、権太坂二丁目の一部、坂本町の一部、瀬戸ケ谷町の一部、西谷町の一部、東川島町の一部、星川一丁目の一部、峰岡三丁目の一部
●磯子区岡村一丁目の一部、岡村二丁目の一部、岡村三丁目の一部、岡村四丁目の一部、上中里町の一部、下町の一部、西町の一部、杉田三丁目の一部、氷取沢町の一部、峰町の一部
●金沢区朝比奈町の一部、釜利谷東三丁目の一部、釜利谷東三丁目の一部、大道一丁目の一部、
大道二丁目の一部、高舟台二丁目の一部、東朝比奈一丁目の一部、東朝比奈三丁目の一部、西柴二丁目の一部、能見台東の一部、六浦五丁目の一部、六浦東一丁目の一部、六浦東二丁目の一部、六浦南三丁目の一部、六浦南四丁目の一部、六浦南五丁目の一部
●緑区寺山町の一部、三保町の一部、北八朔町の一部
●都筑区大棚町の一部、勝田町の一部、池辺町の一部、早渕三丁目の一部
●戸塚区小雀町の一部、下倉田町の一部
●栄区飯島町の一部、上郷町の一部、公田町の一部、小菅ケ谷二丁目の一部、小菅ケ谷三丁目の一部、庄戸五丁目の一部

☆ ☆ ★ ★ ★ ☆ ☆ ☆ ★ ★ ★ ☆ ☆ ☆

横浜市もまたしても猛烈な雨

2016年07月15日 12時26分23秒 | 天気と自然災害
 12時ころから昨晩のように突然雨が強くなり、昨日のように猛烈な雨となっている。横浜市の北部の湾岸部のかなり広い部分が「レインアイよこはま」では赤い表示になっている。この赤い80ミリを超える雨の区域は横浜市域の1割を超える範囲のように思える。
 先ほど時間雨量100ミリの情報がメール配信された。大雨・洪水警報が12時過ぎに発令されている。ベランダの雨水排水ようの縦管からまた水があふれだしているが、昨晩程には広がっていない。
 昨日と違うのは早々と京急線に雨のための遅延が生じているとのメールが届いたこと。昨晩よりも広範囲の雨ということをあらわしているようだ。
 雷注意報だが、私の家の付近ではまだ雷は遠いようで、音が微かに聴こえる程度である。稲光は見えない。

現在12時半、雷がごく近くで鳴り響き始めた。前が見えないので車の運転は無理なようである。
パソコンやテレビ、プリンターの電源を落とすことにした。



伊藤若冲「蔬菜図押絵貼屏風」

2016年07月15日 10時45分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
【右双】


【左双】


 伊藤若冲の最晩年の水墨画から「蔬菜図押絵貼屏風」六曲一双。1796年、若冲81歳の作品である。屏風は高さ124センチ、巾33センチ余という。「若冲と蕪村」展で見たが大きい。これが部屋の中にあると野菜の大きさに圧倒される。



 この年にはすでに取り上げた蓮図を制作している。
 家業が青物問屋であったし、「果疏涅槃図」にもあるとおり、家業の繁栄を願う気持ちもあったかもしれない。それ以上に、私は植物を含む生物全般に対する供養、生命全般への救いへの願いが込められているように感じている。
 描かれている野菜は、右双の右から豌豆、蕪、瓜、蓮、大根、里芋、左双の右から茄子、松茸、南瓜、慈姑、大和芋、冬瓜の12種類。私は松茸を椎茸かと勘違いしたのと、瓜と豌豆、大和芋が判らなかった。立派な茄子に寄り添うようにできそこないのような茄子が印象に残る。南瓜の図の情報には花も描かれているように思える。
畳の部屋にこれを置いて、座ってこの屏風に接すると、ちょうど上から四分の一くらいのところに目の高さが来る。各蔬菜の上の端あたりにあたる。里芋、大根、蓮、蕪、冬瓜、椎茸、南瓜、松茸などは、立って見た時よりもその大きさ、奥行き感が際立った見える。里芋と慈姑、茄子の尖がった芽や切り口が目に突き刺さるように印象的である。
晩年の若冲の水墨画は実に生命感に溢れている。

大雨・洪水警報は大雨注意報に‥

2016年07月14日 22時03分11秒 | 天気と自然災害
 大雨での被害も出ているようだ。これ以上被害がでないで欲しいものである。

 20時ころに再び雨が強くなり始めたが、猛烈な雨にはならずに済んだ。
 21時半になって大雨・洪水警報は大雨注意報に切り替わった。雷注意報は継続中。今は雨はやんでいる。上空の雲は北から南に流れている。
 しかし「レインアイよこはま」の画面を見ると、相模湾からみたび、雨の区域が東北東に移動し、横浜に近づいている。
 残念ながら夜のウォーキングは止めた方が良さそうである。気温は涼しいまま。外をうかがうと今にも降り出しそうなあんぱいである。横浜市の西部、泉区・瀬谷区では雨が降り始めたようだ。

 一昨日から続けてフォーレの「夜想曲」を聴いている。こんなにじっくり聴いたのは久しぶり。やはりメロディーという概念が聴き慣れたドイツ風の音楽とは異質だとつくづく思う。しかしドビュッシーよりはずっと聴きやすい。相性というのだろうか。

 ニュートン8月号、「宇宙の大規模構造」の記事を読みながら、就寝の準備。否、そのまま寝てしまいそうな気配。


「過去の巨大地震を再検証」(ニュートン8月号)

2016年07月14日 20時18分18秒 | 読書


 今月号は、南海トラフ地震、伊豆・小笠原海溝地震、相模トラフ地震、首都直下地震の過去の発生履歴の検討の記事である。
 特に南海トラフ地震について1605年の慶長地震による津波の記録から、発生機構は伊豆小笠原海溝で起きた地震の可能性が強いことを示唆している。

   

 結論として次回は2200年以降に発生と予測し、政府の想定の「2000年代半ば」とは違った予測になっている。
 相模トラフの地震については、1293年の永仁地震、1495年の明応関東地震、1703年の元禄地震、1923年の大正関東地震から推測して、2100年代と推定している。
 首都直下地震については、「過去の地震の発生履歴を考えれば、今後地震活動が活発化していくと予想される」との表現になっている。

 地震の予測というのは、どれもが過去の地震の震源域に推定の上に、同一と思われる発震機構を推測し、それを時間軸に並べて次を推測することでしかない。
 これは50年前の推測方法となんら変わっていない。ただプレートテクトニクス理論の確立にともない、推定震源域や発震機構の推測がより綿密になってきている点は「進歩」はしている。また海際の池の堆積物の調査など、過去の知られていなかった新しい地震の存在の確定などサンプルは確実に増えていることも確かである。しかしまだまだ具体的な予測、予見、予知は難しいとしか言えないと思える。

時間雨量106ミリの予想が‥

2016年07月14日 19時25分13秒 | 天気と自然災害
 本日は朝から雷注意報が発令されていた。午後には光化学スモッグ注意報が出され、16時半には竜巻注意情報が出た。メールが慌ただしく多数来た。

 暑いさ中の13時過ぎから妻と横浜駅東口まででかけ、買い物とコーヒータイム。私はレコード店と書店でウロウロ物色。何も買う気はなかった。帰りは厚い雲がかかって来て心配したが、それでも歩いた。蒸し暑さが出かけときよりもひどかった。行き帰り合わせて1万3千歩ほど。帰りは速足でかなりの汗をかいた。

 横浜の私の家の付近では18時50分位から突然風が強くなり、すぐに雷鳴と共に猛烈な雨が降り始めた。先ほどのメールでは時間雨量106ミリの豪雨という内容であった。
この猛烈な雨はわずか12分程で弱くなり、雷鳴も止んでいる。小康状態というのであろうか。風はまだ強い。私の家の南側のベランダの雨水の排水管が吐けなくなり、ベランダが2平方メートルほど水が溜まった。あわててベランダの掃除のためのゴミ袋などを片付けた。雨が弱くなるとともに気温がかなり下がった。蒸し暑さよりも涼しさを感じる。

 後追いのようだが、17時7分に横浜・川崎に大雨(浸水害)・洪水警報が発令となった。雷注意報は継続している。

 雷鳴がもう少し近づいたらパソコンとテレビの電源を落とし、コンセントを抜いておこうとしたが、さいわい雷は止んだため、そのままにしている。
 夜にウォーキングをしたいと思っているが、雨と雲の状態が心配である。


飲み過ぎ・食べ過ぎ

2016年07月14日 11時11分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日とは違って雨模様ではないが、蒸し暑い。

 昨日は友人とお昼に生ビール2杯。18時過ぎに横浜駅に戻り、ひとりでついふらふらっと魚と日本酒の美味しい居酒屋に入ってしまった。
 キャベツにシラスをまぶしたサラダ風のものと豆鯵の唐揚げをツマミに、不動、流輝という名の日本酒を各1合。このお酒を1杯にとどめられないのがいけない。飲み過ぎてしまった。さらに店をでたところにある美味しい蕎麦屋に誘惑されて盛蕎麦を1枚食べてしまった。
 どう考えてもお酒1合と蕎麦が余分である。一挙に体重が1キロ増加していた。

 本日は休肝日としよう。





中原中也「一夜分の歴史」

2016年07月12日 22時14分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  一夜分の歴史

その夜は雨が、泣くやうに降つてゐました。
瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのやうに、
割れ易いものの音を立ててゐました。
梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、風が襲ふと、
他の樹々よりも荒つぽい音で、
庭土の上に落ちてゐました。
コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、
ゆつくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。

と、そのやうな一夜が在つたといふこと、
明らかにそれは私の境涯の或る一頁であり、
その私も、やがては死んでゆくといふこと、
それは分り切つたことながら、また驚くべきことであり、
而(しか)も驚いたつて何の足しにもならぬといふこと‥‥‥
--雨は、泣くやうに降つてゐました。
梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、他の樹々に溜つたのよりも、
風が吹くたび、荒つぽい音を立てて落ちてゐました。



 「未完詩編Ⅲ」から。
 以前もしるしたとおり、「その私も、やがては死んでゆくといふこと、それは分り切つたことながら、また驚くべきことで‥」という心的に重い「納得」ということが、「梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、風が襲ふと、他の樹々よりも荒つぽい音で、庭土の上に落ちてゐました」という風な自然現象によってもたらされるのだという。
 このような心性は取り立てて日本的というよりは、自然との対話によって生を生きながらえてきた人類の、古代的な心性として一般化できるのではないか、と私は考えてきた。
 さまざまな人知を超えた自然現象に自然の生命体の発現を見る心性が、一神教としてのキリスト教的な一元的な世界観の前に押しつぶされながらも、人々の意識の下に残っている自然に対して畏敬と怖れに基づく世界は、伏流水のように湧き出てくる場面はありうる。
 日本でも、ヨーロッパの世界がなだれ込んだ近代という時代を経ながらも、さらにヨーロッパ的近代の底の浅さ故に、自然に対する心性が強く残っていた可能性はある。近代的な言語感覚に強く彩られながらも、そして近代詩の豊穣の世界にも、中原中也のような自然に対する古くからの心性に依拠する精神が強く表れたいるのだと私は思っている。
 それが中原中也の詩が戦後も、そして多分現代にも繰り返し再評価される根拠だと思う。

 だが気をつけなければいけないのは、この自然に対する畏怖や怖れという心性が、政治的な理念や言語とたやすく慣れて結託することは許されることではない。逆にこの心性を扱えずに、ヨーロッパ的な近代にぶら下がる政治的理念や言語は、かならずこの心性に返り討ちに合う。戦後日本の不幸は、この心性とヨーロッパ的政治理念とが、保守と革新、復古と進歩という構造に並列してしまったこにあると思う。このことを超える政治思想・理念がこれからどのように作られるのであろうか。
 こんなことを40数年間、思い続けている。


書類作成に振り回された午後

2016年07月12日 18時53分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼間、外はかなり暑かったが、18時過ぎには25℃で風は3メートルと表示されていた。風が心地いい。風はもう少し強めでもいいかもしれない。

 午後からは年金の手続きのために区役所・市役所を巡ってきた。戸籍謄本はこれから戸籍のある自治体に郵送で請求する書類を作成。明日手数料込みで郵送するところまで漕ぎつけた。

 区役所を出てからコンビニのイートインコーナーに坐って、紅茶のペットボトルで一息。ここのコンビニのイートインコーナーは広いので小学校帰りの親子の待ち合わせ場所となっている。さすがに小学生は騒がないが、親に同行してきている入学前の子どもが駈け回って、大騒ぎなので、とうとう半分残して退散することにした。困ったものである。

 明日朝早めに、郵便局経由ででかけることにした。明日の天は朝から雨模様。傘が手離せないようだ。明日は一日出かけるので、読書も音楽鑑賞も出来ない。