Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

節約しすぎると余計な出費につながる‥

2017年08月17日 22時36分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日葬儀に出席するために喪服を着て、黒い靴を履いて歩いていたら、靴底が一部剥がれてしまった。剥がれた部分を取り除いて歩いて帰宅した。確か退職3年ほど前に購入してほとんど毎日履いて通勤した。
 退職後は、5年半で30回も履いていないと思う。革靴は葬儀や退職者会の総会やちょっとしたイベントのときに履く程度になっている。それ以外は運動靴とサンダルで済ませている。
 足先がゆとりのある3Eの靴で、その上とても軽い。履き心地は気に入っている。本日100円ショップで靴底修理用の接着剤を購入してはがれた部分を補修した。しかし他に2か所も剥がれそうになっていた。それも接着剤でくっつけた。果たして長持ちをしてくれるだろか。靴の修理など、まずはすることはない。これまで靴はだいたいがすり減って穴があいたり、靴底が上部と私の手に負えないように剥がれたり、踵の方が大きくすり減ってしまったり、ということで買い換えてきた。

 一度こんなことがあった。歩いていて、靴底が片方の半分以上剥がれてしまい、往生したことがある。ごまかしごまかし職場まで履いて、昼休みに近くのスーパーで安いサンダルを購入して帰宅した。安売りの靴を売っているところがなかったので困った。あまり履きつぶすまで履こうとすると、このような事態に陥る。節約に徹しすぎると、余分な出費につながる。

 明日雨が降らなければ試しに履いてみたいが、予報は雨。既に先ほど夜のウォーキングに出かけたら、帰りがけには霧雨のような雨になった。靴の試し履き後日にせざるを得ないようだ。

病院もお盆休み‥

2017年08月17日 21時02分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の朝、緑内障の点眼薬があと2回分ほどになったので、夕方いつもの眼科に行ったところ、本日までお盆休みであった。家のすぐ傍なので特にガッカリはしなかったが、明日の朝1番で受診しないと薬が無くなってしまう。一カ月以上間があるのでつい休診日のことを忘れてしまう。
 明日は朝から友人と会う約束があったのだが、遅くなる旨伝えた。しかし1週間のお盆休み明けで、しかも学校は夏休み中、かなり混みそうである。診療開始の30分前には病院に入らないと、おくらせてもらった約束の時間にも間に合わなくなる。
 団地の管理組合の会議のための資料作りはほぼ完了。明日か、明後日に打ち出してコピーすれば完了。何とか間に合った。
 これから夜の軽いウォーキングに出かけるつもりであるが、いかにも降りそうな漢字がする。横浜スタジアムでは小雨が降り始めたらしい。レインアイよこはまの画面ではまだ降らないように見えるが‥。

「大伴家持」(藤井一二)読了

2017年08月17日 13時41分34秒 | 読書
   

 昨日読み終わったのは、「大伴家持-波乱に満ちた万葉歌人の生涯」(藤井一二、中公新書)。
 歌人や文芸評論家による大伴家持についての叙述となると、歌の解釈、鑑賞が主になる。そして歴史家の著作になると、歌の引用の比重が軽くなる。手軽な書物で、家持の生涯とその時に作られたと思われる歌とを取り上げるというのはなかなか無いとおもう。他の歌人、特に古代の歌人についてはいつも不満がある。
 新書でこの著作のように生涯と歌を並べてもらえるととても助かる。むろん歌の解釈や鑑賞まで求めるのは無理である。しかしこのような基本的なことを丁寧な準備をもってできたと推察できる書物は歌を鑑賞するときに手元に置いておきたいものである。
 私の頭の中でようやくトータルに大伴家持の生涯が入った。そしてそれを頼りに万葉集などを読んで鑑賞するときにこれを利用したいと思う。

「病葉」という季語

2017年08月16日 23時37分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 「病葉(わくらば)」という季語がある。歳時記によると「青葉のころ、病害虫や風通しの悪い樹木から赤や黄に変色して朽ち落ちる葉のこと。万葉集に既出の古い言葉」と定義されている。
 恥ずかしながら私はこの言葉を誤って理解していた。夏の暑い盛りにいち早く日焼けして変色して落ちてしまう葉、のことだと理解していた。だから晩夏から初秋にかけての季節感があると感じていた。
 4~5年前に初めて真の意味を教えられた。

★すずしき日わくらば街にちりとべる     石田波郷
★病葉のひとつの音の前後かな        阿波野青畝
★病葉落つ輪廻をひとつ終えし夜に      庄司 猛
★病葉や苦衷語らずまた問わず        永峰久比古

「夢」の押し付け

2017年08月16日 14時43分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 人はなぜ夢をもたなければいけないんだろう、と最近感じる。最近は学校でも、それも小学校から夢を子どもに語らせるらしい。そしてそれに向かっていく自分を想定させて、「生きる力とする」ようなことが行われているらしい。
 しかし人はどうしても夢を持たなくてはいけないのだろうか。私が小学校の時など、自分が大人になって夢など意識しなかった。土台10歳前後の人間に、20代半ば以降の時分を想定できる能力があるのだろうか。人生の時間の尺度がそこまで想定できるまでに認識が成長しているのだろうか、という疑問が先に立つ。
 また社会の仕組みについての認識が出来ていない。働くということ、賃金を得て生活をするということ、生きるということの理解・認識に自覚的ではない。
 むろんあこがれや希望はあるだろう。仄かな「夢」はあるかもしれない。しかしその「夢」から逆照射して自分を規定する、そこにむけて自分をどのように制御するのか、ということが早ければいいというものではない。人それぞれに成長の段階がある。
 私は「夢」に振り回される人生の方が過酷だと思う。あこがれや希望や仄かな夢は10歳前後の子どもにとっては変ることが当たり前である。10歳前後の時点で「夢」に縛り付けられ、振り回され、それをあきらめることでの「後ろめたさ」を味合わせてはならない。何か人生の落伍者のような後ろめたさを背負わせてはならない。
 10代の半ば以降に、自分の意志で「夢」を作ることに私は賛成である。そこに邁進する自分、というのは貴重な体験である。しかしそれもまた試行錯誤の中で、自分なりの軌道修正や、諦めや、新しい興味への乗り換えやに対応できる自己認識が前提である。
 人間の主体の成長に沿った、人生設計のあり方を教えるのは悪いことではない。しかしそこまでの成長が出来ていない子どもに一律に押し付ける「夢」というのは、重荷以外のものでしかない。
 そしてもう一つ重大な落とし穴がある。人は自分の「夢」に沿った「仕事」をしなくてはいけないのか、ということである。
 私は「夢」と「生活の糧を得ること」とは別問題であると思っている。人はやむなく生活の糧を得るために「職業」に着くのである。むろんその職業があこがれの職業であり、その職業に就くことが夢であり、生きがいであればそれはとてもいいことである。
 だが、それが逆転して、「仕事である以上、それに邁進しろ、余計なことを考えずにひたすら働け」という世界に逆転しているのが今の世の中ではないか。ブラック企業の人を死ぬまで働かせる論理の根底にこの逆転がある。
 また、人の夢はひとつではない。複数の夢が人にはある。自分以外の人が、自分の「夢」の出生に関わってはいけない。人に云いたくない夢もある。ひそかに育む「夢」こそ夢である。夢はプライバシー!

NHK「戦慄の記録 インパール」

2017年08月16日 09時13分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜は「NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」」【⇒こちら】を見た。NHKの731部隊についてのドキュメンタリーも評判が良かった。

 今回も
・兵站をまったく無視し、食料は現地で収奪することを前提に、
・「5千人殺せば‥」という言葉が、自軍の犠牲者のことであり、
・指揮官は真っさきに日本に帰って戦後を生き延び、
という帝国軍隊の特質を余すところなく伝えている。

 すでに語られていたことも、体験した人の直の証言や記録で、さらに生々しく語られている。戦争そのものがもたらす非人間性と同時に、旧日本軍の所業がいかにひどいものであったか、を物語る。「戦争の大義」などどこにもなく、あるのは部下の切り棄てによる上層部の名誉欲と自己保身でしかなかった。3万人もの日本軍の犠牲者の過半が飢えと病気であり、撤退後の犠牲者であるということをあらためて記憶に留めておこう。

 戦争というものは、政治家や軍の上層部は生き延びる。しかし末端で「戦わされた」者が、「勝った」者も「負けた」者も、一番深く傷つくものである。

★「731部隊の真実」は、⇒こちら
★「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は、⇒こちら
★「本土空襲 全記録」は、⇒こちら


明日はネジを巻いて‥

2017年08月15日 23時02分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一日中家にいたものの、会議のための資料作りはほとんど進んでいない。一日家にこもったところで仕事ははかどらない、ということを今更ながら思い知らされている。明日は夜は先輩のお通夜。横浜市内ではないので、帰りは遅くなる。明日中に一応のめどをつけておかないと間に合わなくなる。
 明日は朝からネジを巻いて、作業にいそしもう。

 喪服を着るのは今年4回目。当然のことながら着る機会は少ない方がいいに決まっている。
 ニュースによると本日の大雨警報の発令中に、横浜市内でも道路冠水の被害があったらしい。そして明日も一日中雨のマークがついている。最高気温の予想は25℃だが、本日同様蒸し暑そうである。

横浜では一時大雨警報発令

2017年08月15日 17時33分45秒 | 天気と自然災害
 横浜では13時過ぎに大雨警報が発令され、強い雨が一時的に振ったが、さいわい16時前には大雨警報は大雨注意報に切り替わった。現在は時間当たり5ミリ前後の雨が降り続いている。現在は大雨・雷注意報が出ている。
 本日は朝の内を除いて終日雨の模様。本日夜半には上限の半月がのぼって来るのだが、この分厚い雲では見ることのできるのぞみはうすい。

 8月15日、特に晴れの特異日とは聞いていなが、この敗戦の日に雨が降った記憶は私にはない。
 結局本日はどこも出歩くことなく1日が過ぎるようだ。珍しく本日の歩数計の標示は2千歩にとどかずに終わりそうである。

72回目の「敗戦の日」

2017年08月15日 13時57分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 72回目の敗戦の日。敗戦の日とは8月15日をおぼえるということではなく、8月15日まで何があり、そしてこの日以降、どんな日々があったのかを忘れてはいけないというための日であると思う。
 そしてこんな動画を見つけた。ブログ「言葉の泉一粒の種から言の葉が茂ることを願って。」より【⇒こちら

【⇒原爆の子
 「原爆の子」は、1952年8月6日公開の日本映画である。近代映画協会製作、北星配給。監督は新藤兼人、主演は乙羽信子。モノクロ、スタンダード、97分。 長田新が編纂した作文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』を基に、新藤兼人が監督した作品で、戦後初めて原爆を直接取り上げた映画とされている。


【追記】
友人より「ブログ拝見しました。「原爆の子」は、19日に川崎市民ミュージアムで上映されます。」との情報を寄せてもらったので、紹介します。⇒こちら


クノップス「見捨てられた街」

2017年08月15日 12時54分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 フェルマン・クノップフ(1858-1921)の作品をもう一度見てみたい。今回19点もの作品が展示されていた。
 私は、クノップフの作品は「見捨てられた街」という人のいない静かな街角というよりは、「死」が佇み、水にひたひたと覆われてしまいそうな街の一角を思わせる絵が好きだ。実際の作品を見たわけではなく、多分講座の中で紹介を受けたように記憶している。
 前回この「ボストン美術館の至宝展」では、「ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院」を見た時に「見捨てられた街」を思い出した。ともに1904年、画家の46歳の作品である。これも運河らしい水に覆われて「死」にゆく街の一角に思えた。しかし他のクノップフの作品はラファエロ前派の作品の影響が極めて濃厚な女性像が並ぶ。絵の雰囲気は似ているが、街の風景の作品と女性像の作品を貫くものは何なのか、解らないままである。

《見捨てられた街》



《ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院》



 「見捨てられた街」はクノップフが幼い頃住んでいたブリュージュという町に住んでいた。しかし描かれた街は思い出や懐かしさから程遠い。「ブリュージュにて‥」という作品も草も木も、そして鳥も犬・猫も、まして人間もいない。生あるものはまったく排除されている。時というものも喪失しているようだ。
 ブリュージュは中世からルネサンス期にかけて国際貿易港として栄えたという。港湾に土砂が堆積し港の機能が無くなり廃れた。そんな街に住む妻を亡くした主人公が妻の俤にすがりながら町を生けるしかばねのごとく彷徨するという小説「死都ブリュージュ」。この小説に感銘を受けてこの時期に描いたらしい。
 中野京子は「怖い絵」で次のように記している。「クノップフは六歳下の妹を生涯愛し続け、彼女が結婚して去って行くまで、異常なほどの執着で彼女の顔を描いた。‥妹が生まれたのはブリュージュだった。彼女に去られ、「死都ブリュージュ」を読んだあと、クノップフはこの町がにわかに特別な存在となった。‥小説の主人公にとっての亡妻と、クノップフにとっての妹は、おそらく同じ存在だったのだろう。」「この絵の何か怖いかといえば、思い出に囚われたまま滅びてゆこうとする人の心が伝わってくるからだ。‥過去の遺物がすでに死を内包しているのはわかっても、それでもどうしようもなく恋着し続ける。そんな死に取り憑かれた人の心が伝わってくる。‥それにしてもその死の、なんと甘美なことか!」
 この中野京子の評が的を得ているのか、判断はわからない。しかし「見捨てられた街」という作品が「死」を建物の中に秘めていること、その「死」とともに永遠に忘れさられてしまいたいという甘美な意識は伝わってくる。
 このクノップフという画家が内向的な思いを生涯のどこで手にしたのかはわからないが、少なくとも40代中半までそれを抱き続けていたことは確かだ。この時点でもこの画家にはすでに生活の匂いが希薄なことがわかる。
 「ベルギー奇想の系譜」展の図録には「19世紀末ようやくブリュージュは再発展を始めるが、画家は変貌を嫌い、町を通るときにはサングラスをかけてできるだけ見ないようにしていた‥。表現したかったのはその静けさそのものであった‥。動きのない水は、と時が止まっていることを象徴している。」と記されている。
 中野京子は「妹の存在」に踏み込んでこの「静かさ」あるいは「死の内包」のイメージの根拠を求めているが、解説ではそこまでは踏み込んでいない。
 私は「妹の存在」だけではないもの、「妹の存在」が契機であったかもしれないがそれを「甘美な誘惑」として画家に強いた内的な何かが、あると思える。それが何かがわからないもどかしさがある。自分に即して考えても同じである。
 私が周囲の人間にのぞみたいのは、私の死後には私の存在そのものを静かに忘れ去ってほしい、ということだ。それはとても強い願望である。何を胸に抱えてそれを祈ったらよいのか、いつも考えている。同時にそんなふうになった自分はどこでそのような観念に取り憑かれたのか、自分でもわからない。

 さて、二つの作品を見比べると、「見捨てられた街」の方は圧倒的に空の占める空間が大きい。「ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院」には左上の建物の屋根の上に微かに空があるはずだが空としては描かれていない。運河に映った建物群からは空も描かれてしかるべきだが、運河の暗い色に空は映っていない。
 空のある分、建物の内向きのベクトル、建物に内包される何ものか、が暗示されている。「見捨てられた街」の方が私は完成度は高いのかと感じている。また建物から何かしらの物語を感じる。また海から海水が広場に広がってきているように見える。この浸食する海水は、そのまま水没し時が建物内部を侵食しつつも永遠に忘れ去られる人間の存在した「何か」を呼び覚ましてくれる。

東京都美術館と西洋美術館を満喫

2017年08月14日 23時33分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日もはっきりしない天気であった。雲が多く、湿気がとても高かった。
 上野駅で降りて、東京都美術館にて「ボストン美術館の至宝展」ならびに国立西洋美術館にて常設展を見て回った。都美術館では二人共1000円、西洋美術館の常設展は二人共無料。これで美術館に二人でいく機会が増えそうである。

 美術館内ではゆっくり見て回ったので、歩数計単体のものと、スマホにアプリをダウンロードした歩数計とでは、約1万歩で2千歩近くも違いが出ていた。極端にゆっくり歩くと、随分差が出る。
 普段の歩きでは1万歩歩いて200~300歩の差であるから、2~3%の差である。今回は10倍もの差が出た。記録は多い方にしておくことにした。

記事の訂正を今ごろ慌てて‥‥

2017年08月14日 20時25分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中アップした記事は、「ベルギー奇想の系譜」に展示されていたフェルナン・クノップフの作品についての感想が混じってしまった。いくつかの下書きも含めて一緒に保存しているのだが、新しい記事とこの書き溜めた記事の間の改ページボタンを消去したら文書がくっついてしまい、そのまま最後の段落を書き加えてアップしてしまった。最後の段落の最初の文章を直しているときに「変だな」と思いつつ、そのままにした。どうも頭の中がお疲れモードだったようだ。
 上野駅まで上野東京ラインに乗車している間にスマホで自分のブログを読んでビックリ。慌てたが、スマホで訂正してさらに間違いを重ねてはいけないので、帰宅後の今訂正をした。

 本日の「ボストン美術館の至宝展」は開館していたが、それなりに混雑していた。小学生が幾人か訪れていたが、騒がしくはなかった。初めのエジプト美術、中国美術、日本美術のコーナーは混雑していたが、他の階に行くにしたがって人がバラけたようで見るのも楽になった。やはり小学生は科学博物館や動物園の方に興味があるのだろう。そちらはだいぶ家族連れで混雑していた。

   

 なお、日本美術のコーナーではあらためて尾形光琳・乾山兄弟の「銹絵観瀑布図角皿」(1710)、そして作者未詳の「鼠志野草文額皿」(桃山~江戸時代)が気に入った。特に後者は見ていて飽きない。製法について解説に記載があるが、焼き物はよくわからないものがある。

「ボストン美術館の至宝展」再訪

2017年08月14日 10時24分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ぼちぼちと会議のレジュメを作り始めようとしていたら、妻から「ボストン美術館の至宝展」を見たいとのリクエスト。私ももう一度見に行きたいと考えていたので、承諾。ネットで調べたところ本日は月曜日だが開館しているとのことであった。

 ゴッホやオキーフの作品をもう一度見る機会が欲しかったので、喜んで本日妻に同行することにした。体力が残っていれば、ジャコメッティ展も行きたいが、こちらは難しい。残念ながら妻はジャコメッティには興味はないらしい。


【午前中に記載したものは後半は「ベルギー奇想の系譜」の下書きが混ざってしまったので訂正】

明日から作業開始

2017年08月13日 23時18分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では先ほどから雨が降り始めた。今は霧雨のような細かい雨であるが、川崎に接する3つほどの区で弱い雨が降っている。
 本日の横浜の最高気温は29.9℃とのこと。明日の最高気温の予報は28℃。明日は昼前まで降水確率50%と表示されている。午後からの雨の確立は30%という表示になっている。ひょっとしたら雨は午後には上がるかもしれない。
 本日はかなり歩いたので明日は休養日&休肝日とした方が良いと思われる。明日からそろそろ団地の管理組合の19日の会議のレジュメづくり。終り次第20日から退職者会のニュース9月号の原稿づくりを始めなくてはいけない。23日の入稿に向けてひと踏ん張りしなくてはいけない。明日から10日間の集中作業。
 8月はこれまでのんびりしたので、一気に慌ただしくなる。なにゆえか、現役時代と変わらない。

明日からまた車が増えると思うと憂鬱

2017年08月13日 19時49分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日・休肝日にしようかと考えていた。13時までは家でグズグズとしていた。大半はベッドの上で半覚醒状態であった。
 15時に思い立って横浜駅まで歩いた。しかし45歩ほど歩いて横浜駅に着いた頃には休養日・休肝日という思いがいつの間にか頭から消えてなくなっていた。昨晩までの越のダルさなどがすっかりなくなって気分は上々。結局喫茶店での読書タイムののち、かなり遠回りで歩いて帰宅。家に着いた時には歩数計は2万歩近くになっていた。
 曇り空で直射日光に当たらなかったが、気持ちのいい汗を大量にかいた。

 パソコンの具合はまだ本調子ではない。インターネットオプションでいくつかの動作をいじっていたら少し作動がスムーズにはなった。しかしまだ本来の動きではない。引き続きいくつか努力を継続中であるが、果たしてうまくいくであろうか。

 いつもは渋滞の激しい幹線道路も車の数は極端に少ない。信号を無視して赤信号で交差点に強引に入り込み、横断歩道内で平然と止まる図々しい車はさすがに極めて少ない。しかし車の数が少ないと今度は反対車線を乗り回す自転車が傍若無人に動き回る。これもまた困りものである。
 しかし明日からはまた自動車が混み始める。運転すると性格が変わる人がいる、といわれるが、そのうちの大半は歩行者に対する配慮が欠落してしまう人が多いと思われる。