Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

盂蘭盆会

2017年08月13日 10時37分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★盆の月ひかりを雲にわかちけり     久保田万太郎
★刃をわたるごとく父来る盆の闇     八田木枯


第1句、この盆の月はかなり膨らんでいる月。半月よりも太い月であってほしい。月の光が溢れるようにして、月の周囲にある雲を照らしている。これは月の光でなければならない。この月の光は泉の水が滾々と途切れることなく、そして空気などの泡が入らないあふれるような光でなければならない。

第2句、この父は亡くなった父なのか、あるいは病身の父が盂蘭盆会に合わせて仮退院してきた父なのか、ふと感じた。素直に読む限り亡くなった父の魂を迎えている盂蘭盆会だとは思うが、幽明境を異にする父と子に限らなくともいいように感じた。
 そして「刃をわたる」の感じ取り方がポイントだ。静かに、すべるように、質感が無く、どのことばもうまく言い表せない。確かに「刃をわたる」なのだ。これは幽霊の体温のなさの延長などと俗っぽい感覚ではいけない。「刃をわたる」に父と子の微妙な親子関係が反映している。父は子に、子は父に何かを言いたいのであろう。しかしそれはそれぞれの個としての生き方に触れて、それを否定してしまいそうな危うい何かにつながる、親子関係では禁忌に触れるものなのである。
 そんな関係を背負いながら盂蘭盆会は連綿と続く。その連続は刃をわたるようにちょっとしたことで破綻をきたしてしまうような親子関係の危うい連鎖で繋がっている。

ネット接続で支障が出てくるようだ

2017年08月12日 23時05分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 パソコンは午前中は快適だったものの、午後になって再び動作が遅くなってきた。いろいろ捜査しているうちに、ネット接続で支障があるようだ。ネットの展開が遅く、またツィッターやブログに文章を直に打って行くと変換がおかしくなってくる。また10文字も打たないうちに、動作がとまりネットの画面がフリーズしてしまう。10秒もすると戻るが、それを4~5回繰り返すと、本当にフリーズしてまったく動かなくなってしまう。こうなると昨晩と同じく強制的に電源を落として再起動しないといけなくなる。
 ネット接続をしないで、一太郎を動かしている分には支障は出ないことも分かってきた。

 これは専門家にお金を出してみてもらった方がよさそうである。

本当に「政治」が試されている

2017年08月12日 12時17分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ツィッターで次のような意見が出ている。私も同感である。

★メルケル独首相「北朝鮮(の核兵器)問題に軍事的な解決策はないのだから、(トランプが)レトリックばかりをエスカレートさせるのは間違っている。国連安保理と、米国および地域の主要国ー中国・日本・韓国の間で解決すべき
★コービン労働党党首「核兵器・核の脅威を弄んではならない。核爆発は国境で止まらないからだ。双方とも冷静になり、電話会談を持て。核所有国は北朝鮮とトランプを瀬戸際から引き返させるべく一致して尽力を」。
★トランプが北朝鮮に対して「人類が未だ目にした事の無い怒りで焼き尽くしちゃる」的な事を述べて核兵器使用をほのめかしている(というよりもっとロコツ)のだけど、日頃「唯一の核兵器の犠牲者」を自認する日本政府から、双方(特にトランプ)に慎重さを求める声明が出ないのはなんでなの?
★米野党議員62人が国務長官に書簡「トランプ氏の発言によって北朝鮮との緊張が著しく高まり、核戦争の不安が増していることを強く懸念する」「発言は無責任で危険だ」。(毎日新聞)
★北朝鮮が米領グアムへのミサイル発射計画を8月中旬までに策定すると表明したことについて、グアムのカルボ知事は10日、北朝鮮の「不安心理」が背景にあると分析、脅威は高まっていないとの見方を示した。グアムには約16万3000人が居住、米軍の基地や施設がある。カルボ知事は、ロイターとのインタビューで「北朝鮮はこれまでは、予測不可能であることを好み、不意打ちでミサイルを発射していた」と指摘。「ところが、今回は事前に知らせている。これは、誤解を避けたいからであり、北朝鮮側の不安心理を反映している」と述べた。知事は、グアムの住民は懸念を抱いているが、パニックは起きていないとしたほか、脅威の高まりはないと当局は確信していると語った。

 付け加えるならば、弾道ミサイルは韓国領内の上空でもう宇宙空間を飛ぶので、打上げ失敗でなければ基本的には「日本の領空」ではない。そんなことをいったら、すべての数万個といわれる人工衛星に目くじらをたてて、落ちるかもしれないという臨戦態勢を撮り続けなければならない。もしも打ち上げ失敗で日本国内に落下するかもしれないという極めて限定的な態勢について真剣で現実的な議論はされてきているのか、また現在の「防御兵器」の検証がされているのか、オープンな議論が行われたことはないのではないか。
 さらに北朝鮮にとってみれば、途中で日本の迎撃で撃ち落とされれば、それは北朝鮮に対する「宣戦布告無き宣戦布告」に等しい。これはもっとも避けなけばならない事態である。一昨年の戦争法に対する国会審議からすればどうなるのか、キチンと検証が必要ではないか。
 私はそれこそ当事者であるグアムのカルボ知事の方が、日本の政権よりは余程冷静に分析して判断していると思える。
 軍事目標と経路を事前に提示して攻撃するというのはもともとナンセンスな軍事である。その前提を無視しているのは、交渉のテーブルに載ってほしいという北朝鮮側のSOSとも取れる。この攻撃をしてしまったら北朝鮮という国は存立が危ぶまれるであろう。アメリカが公海上で海上封鎖をするなりの口実を与える。トランプという狂犬ならば現実的な攻撃をすることもあり得る。あるいはグアムではなく、ハワイやアリューシャン列島東部やアラスカへの攻撃なのかもしれない。こうした情報戦で相手の出方を見極めている可能性の方が大きい。
 ドタバタする日本の政権の右往左往を見て面白がられているとしたら、日本の政権の現在の状況はあまりに恥ずかしくないか。

 広島・長崎で安倍総理と政権側は「真に「核兵器のない世界」を実現するためには核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。わが国は非核三原則を堅持し、双方に働き掛けを行うことを通じて国際社会を主導していく」と大見えを切った。是非その立場で発信して、北朝鮮とアメリカの戦争と核を弄ぶ政権に対して、戦争回避・核廃絶への実を上げてもらわねば困る。ことばだけの政治とは如何に空疎なものでしかないことの証明に終わっては、それこそ国民を守れないのである。

今朝のパソコンは快適‥

2017年08月12日 10時35分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩ひどかった一太郎の動作の不具合、今朝は特に異常にはなっていない。いつものとおり素早く立ち上がった。
 昨晩はソフトの入れ替えなどはせずに、まずはこの半年近くのパソコン内のすべてのデータを1時間半かけて外付けのハードディスクにバックアップした。これは年に3~4回行っているものなので、もともとそろそろしなくてはいけないものであった。これで一応パソコンのD領域のデータは破損されても復元できる。時間があまりに遅くなったので就寝。
ふたたび動作がおかしければ一太郎などのいくつかのソフトを再インストールしてみるつもりでいたが、今の作動状況は特に問題はない。途中で動かなくなることも、変な変換をすることも、画像処理に長い時間がかかることもない。何が原因だったのであろうか。当分様子見とすることにした。

パソコンの不具合の原因はわからないまま‥

2017年08月12日 00時48分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 パソコンの調子がやはりおかしい。反応や動作が遅くなる時が頻繁に起きる。特に一太郎の動作で頻繁である。急に変換が出来なくなったり、正常な変換ではない変換が行われる。そして動作が止まってしまう。
 普段は、一太郎2013とAdobe Photoshop Elements 12、エクセル、プリンターのアプリ2種、PDF、筆まめ23、ブルーライトの削減、ウィルス対策等のソフトをフル活用している。
 エクセルやPDF、プリンターの作動には特に支障はない。ワードは月に2~3回程度の頻度でしか立ち上げない。先ほど使ってみたが特に異常があったり、踏査が遅くなるなどの症状は出ていない。
 結局私の頭では原因がわからない。

 一太郎の動作の不具合も、時々なるが、快適に動く時間が長くなってきた。動作が終了してしまう時間はほとんどなくなってきた。
 もうしばらく様子をみるしかないのだろうか。私にとっては致命的な事態となっては困る。



パソコンのご機嫌が悪い

2017年08月11日 22時54分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
一太郎が起動しなくなった。しばらくはパソコンと格闘しなくてはいけない。
この記事はスマホから操作している。とても操作しづらい。
もしもパソコンが壊れてしまったらという、恐怖心が頭のなかを占領している。

間もなく8月15日

2017年08月11日 20時10分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日の最高気温は15時直前の24.0℃であった。終日雨模様。15時前に雨がいったん上がったのを利用して横浜駅まで歩いてみた。途中の国道はお盆休みということで、いつもよりも車の数は少なかった。正月三が日とこのお盆の時期だけこの国道は車の数が少なくなる。

★割箸の割れのささくれ敗戦日     辻田克巳
★敗戦日少年に川今も流れ       矢島渚男
★濡縁のとことん乾く敗戦日      宇多喜代子


秋の蝉

2017年08月11日 10時26分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 気象庁のデータを見ると本日の最高気温は昨晩1時前の23.2℃の表示のままとなっている。現在もその程度の気温なのであろう。
 そして昨晩からの弱い雨が続いている。この雨の区域は神奈川県内では横浜・川崎・横須賀のごく一部にかかっているだけであるが、停滞している。私の住んでいる地域だけが降っているとすら思えてしまう。
 長雨と気温からは梅雨の時期かと思ってしまう。これに紫陽花が咲いていれば間違いなく梅雨である。
 小雨なので蝉が控え目に鳴いている。弱々しく聞こえる。しかし季語はすでに「秋の蝉」である。

★やがて死ぬけしきは見えず蝉の声    芭  蕉
★蝉鳴けり泉湧くより静かにて      水原秋櫻子
★聞くうちに蝉は頭蓋の中に居る     篠原 梵
★秋の蝉高きにありて愁ひあり      柴田白葉女

 第1句、死は常に突然である。それは人間に限ったことではなく、動物全体に言えるのではないか。小さな動物ほど、小鳥や昆虫・小魚ほどその死は突然である。彼等が個体として死を自覚しているか、認識しているか、それは人間にはうかがえない。それゆえにといったらいいのか、その死は美しさと裏腹である。
 第2句、泉が滾々と豊かに湧き上がるように、蝉の声は膨らんでくる。1匹が鳴き始めると次第に周囲の蝉を引き込んでやがて庭の一角、ひとつの山全体が蝉の声で溢れる。その膨らみ方は動的で、かつ「静かに」という形容がピッタリである。
 第3句、蝉の声は同じ繰り返しである。だから脳内に居ついてしまう。ごく自然に。雨などがふと強くなって蝉が突然鳴き止んでも、頭の中では蝉の声が居座っていることがよくある。これがしつこくて厭わしい、という人もいれば、好ましい記憶と結びついている人もいる。
 第4句、秋となると蝉の生も切羽詰まってくるように思える。短い最後の生の輝きが、弱々しく感じてしまう。個々の蝉にとっては鳴き始めたばかりなのかもしれないが、全体としては鎮まる傾向として哀愁を誘う。

明日から世間はお盆休み

2017年08月10日 23時41分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜は近くのドラッグストアにちょっとした買い物に二人で出かけて、途中から雨に降られた。結構強い雨だったのでわずか10分だが、1本321円のビニール傘を購入。
 本日も昼食後横浜駅で喫茶店に入り、再び歩いて帰ろうとしたら小雨が降り始めた。結局バスで帰ってきたが、途中で雨はあがってしまった。しかし現在また雨模様である。
 明日からお盆休みで出かける人も多いようだが、今年は安定しない天気が続く予報となっている。

 私は明日からの3連休、特に出かける予定がない。静かに読書タイムとするのがよさそうである。全国的に人が出かけるときは、退職者はおとなしく家にいるのがベストだと思っている。だが、退屈をするとむずむずとして出かけたくなるのも事実である。


ふたつの「かささぎ」

2017年08月10日 21時57分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 クロード・モネに「かささぎ」(1869)という私の好きな作品がある。2014年9月にこのブログで取り上げた。オルセー美術館展(2014、国立新美術館)で展示されていた。
 そこで「かささぎの止まっている木の枠は、手前の農園と向こう側の道を仕切る門であろう。かささぎが人工物である門に止まっている。しかし仕切られている門の手前と向こう側には人の歩いたような跡がある。早朝に、すでに人が一仕事を終えた痕跡がこの絵にはある。人はいない風景画であるが、人の労働や活動の痕跡を何気なく描き込むことで、動きが暗示されていないだろうか。何かしらのドラマも潜んでいるとの暗示を感じる」と私は記した。この最後の「ドラマ」が何か暗いものを暗示しているような気分は確かにあった。
 太陽の光のの明るさとは正反対の何か不吉なものを感じた。それを雪と太陽光が隠してしまってわからなくなっているものとは何だろうか。そんなことを考えていた。



 そんなおり、「怖い絵」(中野京子、角川文庫)を書店で立ち読みしていたら、ブリューゲルの「絞首台の上のかささぎ」(1568)を取り上げていた。すぐに購入して喫茶店で続きを読んでみた。
 そこではかささぎがヨーロッパでは「偽善」「魔女」「悪魔鳥」「盗み」「おしゃべり」「中傷」そして「密告」などの暗喩となっているとのことが述べられていた。
 中国・朝鮮半島・日本では反対に鳴き声が好まれ、幸福・吉報を呼ぶ鳥とされた。
 フリューゲルの頃のネーデルランドでは宗教改革の嵐の中やスペインの支配を受けることで、魔女狩りや異端審問が激しかった。この作品についてブリューゲルがつ前の夕言で「かささぎによって口煩い人々を表し、絞首台に送った」と述べているというエピソードがあるらしい。小池寿子は「かささぎは中世以来、悪魔や魔女に使える不吉な鳥とされるか、ここでは絞首台やかささぎ、右手前の牛の頭蓋骨などが死の脅威を感じさせる。‥身近な暮らしとそこにひそむ不安を広大な自然と共に描いた」と記している。(ブリューゲルへの招待、朝日新聞出版、2014)。
 モネがかささぎにどのような意味づけをしたのか、これはわからなかった。フリューゲルの時代からひきづる不吉なものの暗示として描いたか、あるいは新しい美術の新しい表現の一環としてそのような古い観念から脱却した、「かささぎ」を描きたかったのか、それは今のところ不明である。
 私は「かささぎ」は黒と白の鳥であるが、モネの作品では黒い鳥として描かれれている。そこからカラスを連想した。日本でも「カラス」の取り扱いはなかなか微妙である。古事記のころのカラス天狗のイメージ、和歌の世界からはカラスは決して「雅」なものではなかったが、芭蕉が「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」で新しい俳諧の世界にカラスを位置づけ、絵画では暁斎が「カラス」で一世を風靡した。明治以降「七つの子」の童謡に歌われたようにカラスは郷愁を誘うイメージだったが、高度成長時代の都市化の進展で一気にゴミをあさる悪者のイメージが定着して今ではすっかり悪者・嫌われ者の扱いになっている。このように鳥のイメージは大きく変わるものである。
 モネとフリューゲルの描いた「かささぎ」、それぞれに重要な意味合いがあるようだが、特にモネは果たしてどのようなイメージでかささぎを描いたのであろうか。とても気になってきた。

オキーフ「グレーの上のカラー・リリー」(2)

2017年08月10日 11時14分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 先日「ボストン美術館の至宝展」で取り上げたジョージア・オキーフ(1887-1986)の「グレーの上のカラー・リリー」(1928)。
 これは人間の肖像画に模した作品ではないのかと、ふと思い至った。白い花弁の部分を顔に見立て、緑の部分が上半身だとすると、人間の姿に見えてくる。自画像なのか、具体的な対象のない人間一般なのかはわからないが、ちょっと興味のある視点かな、と思っている。人物とすると背景の布がカーテンとして生きてくる。一見地味な人物像になるが、気品ある姿に見える。形態からも、表題からも女性に思える。
 オキーフという画家のことは知らないので、今度調べてみたいという気持ちがさらに湧いてきた。

震度3の地震

2017年08月10日 10時09分11秒 | 天気と自然災害
 昨日の横浜の最高気温は正午過ぎの35.1℃、さすがに外に出る気はなかった。15時過ぎに曇り空になったのを見てから神奈川大学のキャンパスをとおって遠回りで横浜駅まで歩いた。
ときどき厚い雲が陽射しをさえぎり特に暑さは感じなかった。雲が切れて陽射しが回復するとさすがに暑かったが、それほど長続きはしなかった。



 今しがた9時36分、関東地方で震度3の地震。私の住むところも震度3の標示である。
震源地は千葉県北西部(北緯35.8度、東経140.1度)で柏市の付近。震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は4.9という速報が気象庁のホームページに掲載された。
 深度3ではとりあえず被害はなさそうである。小刻みな縦揺れが5~6秒程度続いたのちにおおきめの揺れが来た。震源は近くだと直感した。横浜市の防災メールが来ていつもの地震の巣のところと判明した。太平洋プレートの沈み込み帯のうえにフィリピン海プレートが乗ってやはり沈み込んでいく地形。下の太平洋プレートのさらに下部の部分に震源域が集まっている。

やはり空疎だった安倍首相挨拶

2017年08月09日 22時50分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の長崎市の平和記念式典で、安倍総理は次のように述べた。

 「真に「核兵器のない世界」を実現するためには核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。わが国は非核三原則を堅持し、双方に働き掛けを行うことを通じて国際社会を主導していく決意です。そして昨年12月、ここ長崎で開催された、核兵器廃絶に向けた国際会議での真摯(しんし)な議論も踏まえながら、核拡散防止条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう積極的に貢献してまいります。」

 いつも思うのだが、次の点が不明である。
1.この「非核三原則を堅持」は「法制化」することで諸外国の信用が得られるものではないのか
2.「双方に働き掛けを行うことを通じて国際社会を主導」という「主導」という上から目線のことばは諸外国に信用されないのであらためるべきである。
3.さらに「具体的にどのように、どの国に働きかけ、どのような反応があったのか」明確ではないので、明らかにする義務が政府にはある。
4.「核拡散防止条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう」おこなうという具体的な「貢献」が何ら示されていない。

 具体性のない提案は実に空疎なことばの羅列でしかない。だれもそれを信用しない。安倍総理のことばが「軽い」「空虚だ」といわれるのは、いつも具体帝がなく、そして行ったことを平気で無かったことにするからである。
 具体的で、責任ある言動こそ、政治家が信用される最低限のことである。


長崎に原爆が落とされた日

2017年08月09日 20時12分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日、長崎に原爆が落とされた日である。以下のようなブログを見た【⇒http://blog.goo.ne.jp/rurou_2005/e/ae459f91e2969b410dcd32a325e2c1d5】。
 私のブログにリンクの貼ってある「言葉の泉一粒の種から言の葉が茂ることを願って」というブログである。
 是非お目とおしを。

2017年長崎・平和祈念式典 平和への誓い

2017年08月09日 12時20分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
「核は人類と共存できない。戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはならない」

★長崎・平和祈念式典 平和への誓い 深堀好敏さん

 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

 2017年(平成29年)8月9日          被爆者代表 深堀好敏