Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜公園のチューリップ

2019年04月21日 19時20分52秒 | 山行・旅行・散策


      

 昼から親族とともに「関内桜通り」のヤエザクラを見に出かけた。病気で家に閉じこもらざるを得なかった親族を、妻とともにゆっくりと歩いて巡ってきた。ついでに横浜公園のチューリップも観てきた。チューリップはちょうど見頃だったようだ。ヤエザクラは少し遅かったかもしれない。葉の方が多くなり、花が葉に隠れてしまっていた。それでも十分に楽しめた。

 NTTのマンホールの絵柄は関内桜通りにあった。以前から気がついてはいたが、その場所を離れるとすぐに忘れてしまっていた。本日は忘れないうちに撮影。地図としては大まかであるが図柄として、また案内図としても秀逸。散歩道には有効で、そして楽しいもある。

         

本日は休養・休肝日

2019年04月21日 10時26分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私の日課は、パソコンに電源を入れることから始まる。
 朝8時、血圧を測定し、パンと紅茶とヨーグルトの朝食を済ませる。本当はご飯またはお粥と味噌汁の朝食がいいのだが、それは却下される。朝食後、洗面をしながらパソコンの電源を入れる。これで自分の脳が働きだすような気分になる。
 顔を洗ったのちに、このような文章を打ち始める。日記のような身辺雑記は避けてきたのだが、いつの間にかこのような日記みたいな文章が多くなっている。

 さて、昨日の退職者会の総会で「仕事」は一段落。昨日の経費の清算書を本日中に作成する予定。あとは団地の管理組合の総会が一月後。これも大きな区切りとなる。
 しかしながら、退職者会ニュースの作成の日程が迫っている。連休明けまで原稿作りが続く。例年この4・5月が一番厳しい日程である。印刷会社の休みなどの日程を縫うようにして仕上げなければならない。作業が軌道に乗るまで、気分的にはつらい。

足の筋肉の疲労感

2019年04月20日 23時54分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 もう一つ記事をアップしようと思い、いろいろと考えているうちに、パソコンの前で寝てしまっていた。一日中建物の中で駆けずり回っていたが、それだけで6千歩を超えていた。そして合わせて1万2千歩ほどで本日の運動は終了。
 ひたすら歩いて1万5千歩になるよりも帰って太腿の筋肉は疲労感がある。どこでそんなに無理な姿勢を撮っていたかは思い出すこともできない。
 明日はこの足の筋肉をじっくりと休ませたいものである。

 本日はこれにて就寝。

少し欠けた月と春の闇

2019年04月20日 22時51分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほどようやく帰宅。帰りはタクシーに乗ってしまった。3000円ほど。こんな贅沢は伴十年ぶりだろうか。
 家についてみるとまだ21時前であったのだが、ずいぶんとアルコールが入ってしまった。明日はおとなしく自重、休養日&休肝日としなくてはいけない。

 昨晩と違って、月が綺麗であった。満月のような丸い本日のような月もいいが、どちらかというと三日月や半月などのように掛けていたり、完全な形から少し欠けているような月の方が風情があると思うのは私だけだろうか。

★春三日月近江は大き闇を持つ      鍵和田袖子
★五六機のゆたりと乗りぬ春の月     河東碧梧桐


 第1句、春の三日月ならではの、月の向こうの暗い闇、それも朧を超えた闇の深さを際立たせるのが欠けた三日月である。三日月の弱い光が夜空の闇の深さを教えてくれる。これは近江という地域性にとどまらない。しかし夜空の闇を映し出す広い湖、水の存在があった方がいい。ならぱ琵琶湖に限定しない鑑賞が成立する。
 第2句、蕪村の有名な句「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな」からの着想の句であるのは明白。季節を野分の秋から春に変え、「急ぐ」から「ゆたり」に変え、優雅な王朝世界、あるいは江戸情緒の世界を引き出している。句を取られた方も気分的にゆったり出来たのではないだろうか。

本日は遅刻せず

2019年04月20日 08時47分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨日の反省もあり、しっかりと時計を確認しながら朝の支度をした。時間を間違わずに家を出ることが出来た。
しかし今度は9時前なので危うく女性専用車両に乗りそうになってしまった。普段は9時過ぎでないと地下鉄に乗ることはない。もともと地下鉄にはあまり乗らずに歩いてしまう。本日は荷物が重すぎる。
リュックは膨らみきって、手提げは手に食い込んでいる。
これが山行なら苦にならないが・・・。

突然の雨

2019年04月19日 23時01分02秒 | 天気と自然災害
 22時少し前から突然雨が降り出した。横浜市から防災メールが届き、私の家の辺りでは時間当たり80ミリという予報のメールも来た。80ミリの区域は少し遠かったようだが、外れてはいなかった。
 今は小降りになっているが、いつもならちょうど夜のウォーキングに出かける時間であった。早めにスーパーに買い物に出かけたので雨に会わずに済んだ。買い物のさまさま、と言ったところか。

 レインアイよこはまの画面では、県内の雨の区域は無くなっている。しかし気温がかなり低くなっている。

 明日は本日よりも1時間早い9時集合である。本日のように時間を間違えるわけにはいかない。

春の宵

2019年04月19日 22時07分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 歩いて15分のところのスーパーには購入予定の品物はなく、さらに5分ほど歩いたスーパーまで歩いて購入。ウィンドブレーカーを着て出たら汗をたくさんかいてしまった。帰りは重い品物を持って歩いたためさらに汗を大量にかいた。
 往復6千歩ほどを歩いた。もう本日は夜のウォーキングはなし。明日の朝、重い荷物を持って組合の会館まで行くのがつらいと思う。

 本日は十五夜&満月であるが、厚い雲が空を覆い、月はどこにも見あたらなかった。昨日のうちにたっぷりと見ながらウォーキングをしたので良しとしよう。

★能面の翳うるみけり春の宵       橋井律子
★春宵や湯に入れて身の蛍光す      田中敦子


 第一句、この句を読んで坂本繁二郎の能面を描いた作品を思い浮かべた。あの淡い色調、紫色が美しい坂本繁二郎の作品はスキャナーではその色彩を再現するのがとても難しい。
今回もかなり不本意な再現である。独特の色彩は湿気を多く含んだ柔らかい色調である。私は坂本繁二郎の作品に接するといつもホッとする。心が柔らかくなる、といっていい。この句の中七のように画面全体が潤んでいる。
坂本繁二郎の作品は、能面を描いた作品ばかりでなく、月も馬も牛も、あらゆるものが柔らかく潤んでいる。



 坂本繁二郎は、わたしが絵を見るのが好きになった最初の画家の一人でもある。もう一人は佐藤哲三。作風はおおいに違うが、それぞれに最初に受けた印象が強過ぎた。佐藤哲三は神奈川県立博物館で高校1年の頃に見た記憶がある。坂本繁二郎は高校3年の卒業式の前後、ブリヂストン美術館での回顧展で初めて見た。



これより夜の買い物

2019年04月19日 19時36分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日の退職者会の総会のための買い物を頼まれていた。危うく忘れるところであった。横浜駅で購入するつもりであった。夕食後にたまたまメモを見て思い出した。これよりスーパーに行って買い物。深夜まで回転しているスーパーまで片道15分。

 朝の時間の勘違いといい、この忘れ物といい、どうもあまりいい状況ではない。と悲観していてもいけないので、体を動かして気分転換をはかるほうがよさそうである。買い物に行くというのはいい機会かもしれない。

 負け惜しみのような言い方だが、距離的にも時間的にも体を動かすのにちょうどいい。
         

昼酒

2019年04月19日 18時08分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝からの作業は13時過ぎに終了。議案書の印刷は150部ほどであった。それ以外に会場の設えを行うこともできた。机や演壇、マイク、受付場所などのレイアウトも終了。

 実は朝の時間を間違えていた。10時集合なので家を9時前に出ようと考えていた。9時前に出かける用意が出来て、時計を見たときにまだ8時だと思い込んでしまった。実際は時計は9時を指していた。30分ほどボーっとしてから時計をみて慌てた。走って地下鉄の駅に向ったものの15分ほど集合時間に遅れてしまった。
 頭の中でどのような風に判断したのか、思い出せない。最近もこのようなことをしてしまったばかりである。

 どこかで慌てているのか、あるいは認知機能に問題が生じているのか、不安でもある。

 作業終了後、昼食を兼ねてウーロンハイを飲んでから自宅まで歩いて帰ってきた。朝から約1万7千歩。途中喫茶店でコーヒータイム兼酔い覚ましの昼寝。
 暖かい、というよりも暑いくらいの気温であった。


待宵月

2019年04月18日 23時36分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は小望月あるいは待宵月ともいう。明日が十五夜で満月である。夜のウォーキングの間出ていた月は満月のように丸く見える。そして私の視力では星はほとんど見えなかった。

 わたしの視力は弱くなったものである。歳相応に白内障があり、そして緑内障で、斜位の診断。さびしいこと限りない。
 中学二年生までは遠視気味で視力検査では2.0であったが、一年間で一挙に裸眼で0.6まで落ちた。就職した時は0.2だった視力も今では0.1がかろうじて判別できる程度。日によっては判読できない。眼鏡をかけても0.9が判読できない。
 老眼もだんだんひどくなり、本を読んでいて目を上げると焦点が合うまでに1秒近くかかる。次第に焦点が定まっていく時間がとても長く感じる。

 明日は朝から組合の会館で作業。明後日の退職者会の総会の議案書100部ほどの製本作業である。既に月曜日には原稿は確定しているので、夕方までかかってしまったりすることはないと思われる。作業そのものも困難ではない。輪転機での裏表の印刷で50ページほど。



「行人」(鮎川信夫)

2019年04月18日 21時19分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 行人     鮎川信夫

崖がくずれ
斜面に枯草がそよいでいたりする
ひろい眺めのところどころで
電線がひうひう鳴っていたりする
そんな街はずれに立っていると
なぜか一服の煙草もひどくうまいのである

真昼の月の下を
売れた道がつづいているのみである
ときに一人の男が
遠くからこちらへ近づいてきたりする
それだけのことで
世界の秋はふかくなってゆくように思われる
孤独な道を歩いてくる男だけが
高貴な冷たい旋律を感じているにちがいない

すべては過ぎさる
しかし黙ってすれちがう一瞬にも
なんという美しさを見出すことだろう
黒い喪服をつけた男の
悲しみにあおざめた額のうえに
たとえば小さな捲毛の渦をみつけるような!


 この詩にも読んだ当時に付けたとも思われるチェックが付いているのだが、ただ読んだという印なのか、何か心にひかかったことで付けたチェックなのかわからない。今の私には響いてこないのである。
 「孤独な道を歩いてくる男だけが/高貴な冷たい旋律を感じているにちがいない」あたりに何かを感じたのかもしれない。しかしどこか映画的な場面でもある。
 当時は孤独感と疎外感ばかりが募っていた時期である。孤独感に酔っていたといわれてしまいそうである。

「俳人・金子兜太が見た戦争」

2019年04月18日 12時23分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中に、NHKのラジオで昨年8月7日に放送された「俳人・金子兜太が見た戦争」を聴いた。今年の8月6日まで「ラジルラジル」の「聴き逃し」一覧から聴くことができる。
 故郷の秩父地方での太平洋戦争開始直前の社会状況から聞きだしている。地域の人びとが生活の苦しさ、閉塞感から戦争を待望し、戦争によって当時の状況から逃れたいという世相や、治安維持法・特高警察による俳句結社への弾圧などが語られる。
 トラック島に配属された時の軍部の無策、飢餓状況、戦争そのもののに対する告発、戦後の金子兜太の出発点も語られた。
 戦後、この戦争体験を根っこにして日銀での労働運動へのかかわり、最晩年の「平和の俳句」への関りなど興味深く聴いた。

 何故戦争はなくならないのかという質問に、「ひとことで答えさせてください。物欲の逞しさ。あらゆる欲のうちで最低最強の欲ですが、制御不能、かつ付和雷同を生みやすい欲。そこに人間の暮らしが武力依存をつのらせる意味もある。」

 半藤一利、澤地久枝、黒田桃子、いとうせいこうが登場する。

 番組で取り上げていた句は、

・魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ
・海に青雲生き死に云わず生きんとのみ
・水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
・銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
・湾曲し火傷し爆心地のマラソン
・梅咲いて庭中に青鮫が来ている
・曼殊沙華どれも腹出し秩父の子
・おおかみに蛍が一つ付いていた
・よく眠る夢の枯野が青むまで
・東西南北若々しき平和あれよかし

「夕陽」(鮎川信夫)

2019年04月17日 21時28分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 終日曇り空であったが、寒くはなかった。最高気温は正午前の19℃であった。
 午後から20日(土)の退職者会の総会の準備のために、買い物や配達依頼をしてから、組合の会館へ。若干の準備作業をしてから帰ってきた。
 後は爽快の議案書の印刷・製本が残っている。金曜日がその作業日である。

 夕食後、こんな詩を思い出した。思い出したのはいいが、本棚の何処を探したら元の詩が出てくるか途方に暮れていた。さんざん本をひっくり返しているうちに、ようやく「鮎川信夫著作集第1巻」の中に見つけた。1973年8月の発行となっている。学生時代に2500円という大金を払って購入していた。この第1巻は詩集なのだが、拾い読みした記憶は残っている。
 いくつかの詩が私の心に響いた。「アメリカ」「風景」「1948年」「秋のオード」「行人」「繋船ホテルの朝の歌」「橋上の人」「神の兵士」などに印がついている。心の片隅のどこかに記憶していた。購入した1973年は私が大学に在学して4年目、学部の学生であった。どうしても馴染めず、学部に在籍していてもほとんど配属された研究室に顔を出すこともあまりなく、顔を出しても美味しくもないインスタントコーヒーを飲んで一時間ほどで抜け出して、仙台の街中を彷徨する毎日だった。学校での疎外感が募るばかりでひたすらもがいていた時分である。
 ただし授業以外、研究室での課題以外の本は実にたくさん読んだ。その中の一冊である。この詩のことが心に残っていた理由はわからない。本当にふと、心に浮かんできた。

 夕陽        鮎川信夫

夏草のうえの屋根が
すっかり見えなくなった
さっきまで子供たちが戸口から顔を出していたのに
みんな見えなくなってしまった
わたしの背後で
町はだんだん小さくなってゆく
なにもかも光と影のたわむれにすぎない
ほそい声で虫がないている
なんだってはじめからやり直したりするのか
思出の片隅でじっとしていればよいのに

さあ丘をのぼるとしよう
この夏さえすぎれば
また冷たい風が吹いてきて
わたしの心をいたわってくれるけれど
空を追いつめて ここまでくると
これはもう丘とはいえない
高いところへ追いつめられて
さらに高い頂きから
より高い青空の窪みへ落ちてゆく
ああ 虚心の鏡に映る
いちばん深い青空よ
これは爽快だ わたしにも
とおくて近いこんな夕陽が沈みつつあったのか


 この詩は、鮎川信夫が1952年に作った詩の中におさめられている。この詩の「夕陽」という題名も不確かであった。「こんな詩があったな」くらいに心に浮かんできた。しかしめくってみると「サイゴンにて」の次に鉛筆でチェックがこの詩の題名のところにもついていた。確かにこの詩が心に浮かんだ詩であった。
 読み易かったからか、意味が通じたからか、ただ46年前の鉛筆の跡を懐かしく思い出した。
 この詩の最後の「より高い青空の窪みへ落ちてゆく/ああ 虚心の鏡に映る/いちばん深い青空よ/これは爽快だ わたしにも/とおくて近いこんな夕陽が沈みつつあったのか」に印がついている。こんな風な表現ができることが羨ましかったのだろうか。

 もう一度、この著作集第1巻を読み返してみたくなった。解説は「鮎川信夫の詩」と題した大岡信、「ゆたかな地平線とくるしい黙祷」と題した渋沢孝輔である。

【追記】
・1973年8月は第4次中東戦争をきっかけとした異常な物価高騰の直前であった。インフレに対する切実感はなかった。当時仙台での学生のアルバイトは肉体労働で1500円を少し上回りかけ、軽作業のアルバイトで1200円であったから、2500円という本の定価はアルバイト二日分であり、極めて高価であった。2019年の現在でも2500円の本はおいそれとは購入できない。美術展の図録に相当する。
・就職してから購入した、復刻本の「荒地詩集」「詩と詩論」にはこの詩は含まれていない。わたしが1971年か72年に初めて目にした鮎川信夫の戦争を色濃く引きづった詩とはおもむきの違う一面に新鮮な印象を受けたと思う。



8カ月ぶりに納豆

2019年04月17日 12時17分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 8カ月ぶりに納豆を食べた。
 昨年8月中旬に具合が悪くなり、食欲が無くなってから納豆は口にしていなかった。9月初めの入院以降は納豆禁止をきつく言われた。
 ダメと言われると食べたくなるもの。しかも納豆は好きで、昼食がご飯のときは食べる機会が多かった。夕食でも食べる機会は多かった。昼食と夕食あわせて一週間に3回くらいは食べていたと思う。次第に納豆を食べたいという欲求が強くなっていた。

 先週月曜日にワーファリンの服用がなくなり、今週月曜から食事制限は解除になった。一昨日、2パックで180円という高めの納豆を妻が買ってきてくれた。
 先ほど、ネギのみじん切りと少量の小さくちぎった海苔を添え、醤油をかけて食べた。次回は卵の黄身を混ぜて食べてみようと思う。

 これからは居酒屋でも「まぐろ納豆」や「いか納豆」が食べられる。楽しみである。

スケジュール管理

2019年04月17日 10時49分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午後に出かけて、20日の退職者会の総会の懇親会用の買い物と配達依頼でお店を3軒まわってから組合の会館へ。

 エクセルで作成しているスケジュール帳は順次パソコン上で更新している。スマホでもそれを見ることできるが、打ち出して持ち歩いてもいる。打ち出したものに書き加えたり、毎晩夜に更新している。ふだんは打ち出しは2週間に一度位である。
 しかし3月の中旬からこの一カ月は1週間に2度ほど打ち出しを余儀なくされている。変更が多いし、打ち出したものに書き加えても書き加えで読めなくなる。1か月がA5判サイズでは小さくて書き込みにくい。かといってB5、A4にすると大きすぎる。
 プリンターのインク代がもったいない、と歎きながらも続けている。たぶん今月中はそんなことが続きそうである。
 何かいい方法はないだろうか。