Sightsong

自縄自縛日記

北井一夫『写真家の記憶の抽斗』

2017-05-09 07:36:48 | 写真

北井一夫『写真家の記憶の抽斗』(日本カメラ社、2017年)を読む。

本書は、『週刊読書人』における連載(2014-16年)をまとめたものであり、210編の短い文章と写真の組み合わせから成っている。写真は北井さんが若い頃からごく最近のものまで。

こうして通しで読むと、北井さんの衒いのない文章から、人柄や気骨が滲み出てくることが実感できる。驚いてしまうような発言もある。

なぜ25mmレンズを使ったのか。なぜ政治への従属を避けたのか。荒木経惟と東松照明への批判。『村へ』をやめたのはなぜか。中平卓馬と中上健次からの批判。その後の模索と意味。木村伊兵衛。団地。浦安。大阪。中国。道。

●北井一夫
北井一夫『写真家の記憶の抽斗』
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年?)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』 


稲垣徳文写真展『HOMMAGE アジェ再訪』

2017-05-07 08:29:04 | 写真

御茶ノ水のgallery bauhausにて、稲垣徳文写真展『HOMMAGE アジェ再訪』

ウジェーヌ・アジェは19-20世紀にパリの街風景を撮った写真家であり、言うまでもなく、いまもパイオニアとして崇敬されている。

稲垣徳文さんは、その記録をもとにパリを訪れ(事前にgoogle streetviewで丹念に調べたという)、ディアドルフの8×10カメラで同じ場所を撮った。レンズはフジノン180mmのようである。大判であるからシャッタースピードは遅く、10分の1とか、速くても30分の1。わかっている人はじっと待っているが、動いて流れてしまう人もいる。

そのネガが、通常の銀塩の印画紙と、鶏卵紙の両方に焼き付けられている(密着焼き)。稲垣さんによれば、フランス製の紙に、直前に鶏卵等の乳剤を塗り、日光のもとで10分焼くのだという。

比較してみるととても面白い。銀塩では影となって黒く潰れてしまうようなところも、鶏卵紙では細かくディテールが表現されている。片方では出てこない文字がもう片方では出ていることもある。つまり、この特性が、遡って写真撮影にまで大きく影響してしまうことさえも意味する。鶏卵紙は何もレトロな効果を狙うためのものではなく、いまとなっては、まったく新しい表現手段とみることもできるのだ。これには驚いてしまった。

稲垣さん曰く、紙のpHによっても像のでかたが左右されることがわかったから、さらなるコントロールもできるのだという。今後の作品の集積が楽しみである。

ところで、最新の『日本カメラ』(2017年5月号)にはこの作品の一部が掲載されているが、残念なことに、色がすべてモノクロとなってしまっている。


小泉定弘写真展『身辺風景Ⅲ』

2017-05-07 07:57:59 | 写真

研究者のTさんとご一緒し、町屋文化センターにて、小泉定弘写真展『身辺風景Ⅲ』

タイトルの通り、小泉さんのご自宅の庭や、窓からの景色などを撮った写真群。

撮影はかなり前ながら、プリントは5年くらい前にバライタに焼いたもののようである(いまでは他の人に焼いてもらっているとのこと)。また、ボディはキヤノンかライカのRF機、レンズはやはりキヤノンの50mmかライカのズミクロン50mm。小泉さん曰く、「標準が好き」と。

こうして銀塩プリントをじっくりと観ていると、やはり眼が悦ぶのがよくわかる。岩と水との間の感覚なんて実に気持ちがいい。荒川区のケーブルTVの人が取材に来ていて、思いがけずマイクを向けられて、そんなことを間抜けに話した。

小泉さんに、粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』の話をした。故・石原悦郎さんと小泉さんとは同級生でもあり、また音楽好きの仲間でもあった。小泉さんによると、石原さんはSPレコードのコレクションをしており、その一部は中国で寄贈もしたが残りはどうなっているんだろうね、とのこと。

●参照
小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』
小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』
小泉定弘『明治通り The Meiji Dori』
小泉定弘写真展『小さな旅』
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』


陸田三郎『紅旗 271奇跡』

2017-05-05 11:20:13 | 写真

昨日、写真家の海原修平さんから、陸田三郎『紅旗 271奇跡』(健真國際、2016年)という本を頂戴した。海原さんご自身もブログで紹介している

もちろんこの中国製カメラの存在は知っている。同じ著者の『中国のクラシックカメラ事情』(2006年)においても紹介され、興味深く読んでもいた。しかし、実際に見たことも触ったこともない。本書のタイトルにあるように、271台しか製造されなかった希少なカメラである。

外観はライカM4とキヤノン7に割と似ている。本書によれば、横幅はライカM4の138mmに対し143mmと少し長く、重さもライカM4の560gに対し620gと少し重かったようだ。だがそんなことよりも、性能自体は大したものだった。わたしは見くびっていた。いま残るものはいまだ動作品が多く、ファインダーフレームはピント位置にあわせて自動的に動き(レンジファインダーは一眼レフと違い見えたものはそのまま写らない)、しかもライカMマウント。用意された35mmF1.4、50mmF1.4、90mmF2.0のレンズの描写は、ライカの同時期同スペックのもの(それぞれズミルックス、ズミルックス、ズミクロン)と変わらないほどのものだった。

さすがに、国を挙げて作られたカメラである。江青が1949年の中国建国から20周年を記念して開発、「ライカに負けないカメラを作れ」と指示したのだという。「紅旗」のロゴは毛沢東の筆。なお、日本がライカに追いつけ追い越せでコピーを作っていたのは、M型より前のバルナック型の時代である。しかし紅旗が開発されたころには、既に1954年のM3ショックを経て、一眼レフの時代に入っていた(このあたりは、神尾健三『ミノルタかく戦えり』にも詳しい)。その意味でも、極めて面白い歴史である。

●参照
朝日ソノラマのカメラ本
神尾健三『ミノルタかく戦えり』
『安原製作所 回顧録』、中国の「華夏」


カメラじろじろ(3)テヘラン篇

2017-02-03 21:08:13 | 写真

テヘランの古くて大きいバーザールは、たとえば、時計、下着、絨毯などと品物の種類別に店が寄り集まっている。カメラはというと、外の明るいあたりに集まっていた。

何も期待していなかったのだが、いきなり旧ソ連の二眼レフ・ルビテルに目を奪われた。日本の古いコンパクトカメラやマニュアル一眼レフもある(コシナのC3は輸出仕様だったか)。しかしそれらはさして珍しくもない。

そして、おっと、ライカM3があった。訊いてみるとズミクロン50mm付きで1600ドル、完動品なら安い。誰が持ち込んだんだろう。革命前からテヘランにあったのかな。別の店にはM2もあったし、フォクトレンダー・ヴィトマティックIIもあった。

旧ソ連製はゼニットのマニュアル機に苦笑、さらになんと、レニングラードが鎮座していた。ゼンマイ式の自動巻き上げと先進的であったが、壊れていない個体はないと言われる代物である。実際にカメラ店に置いてあるのを視るのははじめてだ。値段も訊かなかったし作動の確認をするでもなかったのだが、やっぱり、触らせてもらえばよかった。

まあ、悔いを残しておけば、また足を運びたくなるというものだ。


ルビテルの何か、横にはヤシカの何か


ライカM3、ズミクロン50ミリ付


ゼニットのぺかぺかのマニュアル一眼レフ


キヤノンFTとかコシナC3とか


ヤシカエレクトロとかゾルキー4とかフォクトレンダー・ヴィトマチックとか


レニングラード

●参照
カメラじろじろ
カメラじろじろ(2)


北井一夫『写真家の記憶の抽斗』

2017-01-09 08:24:13 | 写真

南青山のビリケンギャラリーにて、北井一夫さんの写真展『写真家の記憶の抽斗』

「週刊読書人」における連載をまとめた本(日本カメラ社)の出版を記念した写真展であり、これまでの北井さんの作品がピックアップして展示されている。

『神戸港湾労働者』(1965年)や『過激派』(1965-68年)では、ミノルタSR-1が使われている(北井さん曰く、頼りにならないのでニコンFもその後使っている)。前者の吊り下げられる男、後者の放水車に群がる男たちの写真などとても良い。

三里塚の写真以降はほとんどキヤノンIIbとIVSbにキヤノン25ミリ。ここでは、三里塚での写真のうち、DMにある少年行動隊(ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのジャケットにも使われている)や、放水車に向かって抗議の手を広げる農民女性の後ろ姿が展示されている。農民の手と放水の線が重なっているのでレンズの悪戯かと思ったが、偶然である。『村へ』(1970年代)も25ミリばかり、長屋の写真などはフィルムが傷だらけである。

『湯治場』(1970年代)の写真もある。ところで、たまたま東京に来る途中だった記者のDさんに写真展のことを紹介したところ、そのあと合流して飲んでいるときに、身体を快復させ自分と向き合うためには、あのような湯治をすべきであると助言された。わたしは寒いところは苦手なので東北に行く気はしないが、湯治という考えはいままでの自分にはなかった。北井さんからもゆっくりした方が良いとの言葉をいただいた。今後湯につかることがあれば、この写真のお導きである。

中国の写真は、木村伊兵衛らと旅をした『1973 中国』(1973年)や、『北京―1990年代―』(1990年代)から数点。後者のころにはほとんどエルマー50ミリだという。

『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)の写真は2点、猪木のファイティングポーズと、猪木を待ち構える観客。思わず買おうかとしてしまった、いい写真である。『アサヒカメラ』1982年4月号には、使ったのはライカM5にズミルックスの35ミリと50ミリ、それにトライXとあるのだが、前者を撮ったレンズは、このために買ったエルマリートの135ミリだそうである。

『新世界物語』(1981年)からは3点。やはりズミルックス35ミリを使っている。北井さんによれば、大阪の写真は東京ではあまり売れないのだという。わからなくもないが、呑み屋で脱力する女性など良い瞬間だ。

『フナバシストーリー』(1989年)からは3点。団地で撮られた女性が、以前に船橋で開かれた写真展で、これはわたしですとあらわれて仰天したことがあった。これらもズミルックス35ミリ。

カラーもいくつかの作品群からピックアップされている(写真集になっていない『フランス放浪』、『信濃遊行』、『西班牙の夜』(1978年))。白黒作品だと思っていた『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)にもカラー作品があった。『フランス放浪』などはエクタクロームで退色しており、『西班牙の夜』はコダクローム64ゆえそうではない。面白いことに、北井さん曰く、カラーは退色したほうがいいんだよ、と。

ちょうど、粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』において取り上げられたためか、お客さんが妙に多いらしい。オリジナルプリントの展示という写真文化を切り開いた人の評伝である。北井さんのプリントはいつ観ても素晴らしいので、ぜひ足を運んでほしいと思う。

ところで、北井さんはソニーのアルファにライカレンズを付けてデジタル写真に取り組んでいる。以前はまだ慣れるところだということだったのだが、ついに、2017年1月20日発売の「日本カメラ」に7点が掲載されるようだ。これは楽しみである。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年?)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』 


粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』

2016-12-07 17:23:29 | 写真

粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(小学館、2016年)を読む。

六本木のZen Foto Galleryで、北井一夫さんに、すごく面白いから読んだ方がいいよと薦められた。迂闊にも本書の最終章まで気が付かなかったのだが、このギャラリー名は、Zeitと似たZen、そしてドイツ語表記のFotoを使うなど、ツァイト・フォト・サロンからインスパイアされたものなのだった。Zen Foto代表のマーク・ピアソン氏は日本在住の英国人であり、ツァイトを立ち上げた故・石原悦郎さんから木村伊兵衛の貴重なプリントを購入もしている。

つまり、日本の写真家が日本人以外の眼によって正当に評価され、そのプリントを売買するということが、石原さんが行ってきたことのひとつの象徴的な結実なのでもあった。写真が、報道の手段や、単なる印刷原稿としてのみ評価されていた時代にあって、石原さんは、オリジナルプリントを額に入れて展示し、販売する場として、ツァイトを作った。

商売という意味では暴挙だったのだろう。しかし、結局は、当初から共鳴した北井一夫さんもプリント販売を主な収入源とするようになり、森山とアラーキーを嚆矢として日本人の若手写真家を売りだすことにも成功した。これが石原さんの蛮勇とも言えそうなヴァイタリティによってこそ実現したのだということが、本書を読むとよくわかる。パリに渡り、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノー、アンドレ・ケルテス、ブラッサイら伝説的な写真家たち、またプリンターのピエール・ガスマンと実に人間的な交流をしているところの描写など、まるでドラマのようで、とても面白い。

石原さんが2016年2月に亡くなったあと、小泉定弘さん(同級で音楽仲間でもあったらしい)も、北井一夫さんも、ツァイトや石原さんのことを話してくださった。大きな存在だったのだな。またお話を伺ってみたい。


石川竜一『CAMP』@tomari

2016-10-17 08:46:17 | 写真

那覇のtomariに足を運び、石川竜一『CAMP』。沖縄ではなく、最小限の設備で本州の山に身を置き、撮った作品群である。

石川竜一のこれまでの作品には、ヒトの生々しさが慄然とさせられるほどのヤバさで焼き付けられていた。どう考えてもタダモノではない写真家なのだった。

この作品群からも、(以前の衝撃の余震かもしれないのだが)ヤバさらしきものが届いてくる。つまりバランス感とか調整とかいったものを力でねじ伏せるか暴力的に目を瞑るかによって葬り去り、なにか視てはならないものを顕示させられてしまったような感覚である。プリントを凝視していると、自然の中で、音が聴こえること、皮膚が感じること、自分の身体がそこにあることなどを、敢えて剥ぎ取って写真というものにしたのだという声が聴こえてくるようだ。在廊されていた石川さんとはそんな話はしていないのだけれど、どうなのだろう。

●参照
「日曜美術館」の平敷兼七特集(2016年)(石川竜一氏インタビュー)
『越境広場』1号(2015年)(豊里友行氏と石川竜一氏との対談)
松下初美、川島小鳥、石川竜一、サクガワサトル(2015年)


川内倫子『The rain of blessing』@Gallery 916

2016-09-10 08:33:37 | 写真

竹芝のGallery 916で、川内倫子の写真展『The rain of blessing』を観る。

この写真展は4つのシリーズで構成されている。そのいずれも水や空気といった相との接触点に近づこうとしているように見える。

実際に被写界深度はとても狭く、ときにハイキーな露出も相まって、世界における相とのかかわりが非常に瑞々しく迫ってくる。何度見てもさらりとした鮮やかさ、これが川内倫子写真である。倉庫スペースを贅沢に利用した展示も効果的。

ギャラリーの一室では映像も上映している。田畑に群がる鳥や、鉄の溶湯を花火のように壁に投げつける様子が収められている。後者は何だろうと思っていたのだが、パンフに解説があった。河北省の「打樹花」という祝祭であるらしい。


「街の記憶・建物の記憶」@檜画廊

2016-06-11 08:47:52 | 写真

神保町の檜画廊で、「街の記憶・建物の記憶」と題したグループ写真展が開かれている。毎日のように歩くすずらん通りなのに、赤城耕一さんのツイートを読むまで気が付かなかった。

グループ展とは言っても、飯田鉄、中藤毅彦、なぎら健壱とキャラが屹立した人たちの作品である。実に見ごたえがあった。

飯田鉄さんの、ちょっと距離を置いて渋く優しく撮る写真は結構好きで、ここでは、昔の浅草がとらえられている。大きな印画紙の中央部に焼かれた佇まいはとても魅力的。焼き込みも丁寧で素晴らしい。

中藤毅彦さんが印画紙に黒々と焼き付ける風景は、これまでの作品とはまた違う様子で異化された東京。かつて根津にあった曙ハウスはそれ自体が古い医療器具のような不思議な存在感をもって迫ってくる。建て直される前の上野聚楽はまるで底冷えのするヨーロッパだ。まるで灯台のような高輪消防署は、以前に飯田鉄さんもタクマーの標準レンズで撮っていたと記憶しているが、ぜんぜん違うモノのように見える。

なぎら健壱さんの写真群は、やはりというべきか、裏道の飲み屋街に身体から入っていく感覚。北千住の大橋眼科を撮った写真は周辺がぼけまくっているが、これはベス単レンズででもあろうか。

石川栄二さん、森田剛一さんの作品を凝視していると、まるで古い自分の記憶をまさぐられるようで、それは東京ではなく山口の片田舎なのだが、それでもこの感覚は面白いような切ないような。

●参照
飯田鉄『レンズ汎神論』と、『名機の肖像』のライカM型特集
飯田鉄、北井一夫、榎本敏雄、清水哲朗
コムラーの24mm
中藤毅彦『Berlin 1999+2014』
中藤毅彦『STREET RAMBLER』
中藤毅彦『Paris 1996』
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー


北井一夫『流れ雲旅』

2016-05-30 21:26:24 | 写真

この日曜日に青山のビリケンギャラリーに足を運び、北井一夫『流れ雲旅』を観た。

てっきり、つげ義春+大崎紀夫+北井一夫『つげ義春流れ雲旅』(朝日ソノラマ、1971年)の復刻なのだろうと思い込んでいたが、そうではなかった。今回の作品は北井さんの写真集なのであり、しかも、そのほとんどは改めて選ばれ、新たにプリントされている。

在廊されていた北井さんに伺ったところ、今回はプリントはご自身ではなく他の方に焼いてもらったのだということ。そして、ほとんどは当時使っていたキヤノンの25mm(ボディはキヤノンのIIBかIVSb)で撮られたのだということだった。この25mmは癖玉で、北井さん曰く、「結局は信用できなかった」。しかし、その癖は実にいい効果をあげていて、青森県東通村の民家の前で撮られた家族写真には見事な光芒が写り込んでいる。一方で、青森津軽の森の中に立つ馬も激しい逆光で撮られているものの、写りは現代のレンズのようにクリアだ。北井さんによれば、個体差もあり、また使い方によってずいぶん違うのだという。

それにしても素晴らしく沁みる写真群だ。青森も、四国のお遍路も、九州の国東半島もある。いくつかには、当然、つげ義春さんや、ご夫人の藤原マキさんが写っていて、実に味がある。既につげさんの写真にはすべて買い手がついていた。

今回出された写真集(ワイズ出版)を求め、せっかくなので、手持ちの古い『つげ義春流れ雲旅』にご署名をいただいた。前日の展示初日にはなんとつげ義春さんご本人もいらしたそうで、「昨日来ればふたりの署名が並んだのに」と笑いながら言われてしまった。

帰宅してから新しい写真集を紐解いてみると、確かに違う。東通村の民家の写真が、左右がトリミングされず、良い印刷がなされているのは嬉しい。また、恐山の宿で部屋を覗き込む少女は、今回の写真ではなんと笑っている。下北半島尻老の海岸の写真では、前の版では遠くから遊ぶ少年をとらえていたところ、今回はより近く寄って座り込む少年たちを写している。眼が悦ぶような、新鮮な驚きがあった。

北井さんは既にソニーのデジタル一眼を使っている。以前に尋ねたときには、まだ試している段階だとのことだったが、この日は、そろそろ発表を考え始めてもいいかなと呟いていた。50mmと35mmのエルマーをアダプターで付けておられるそうである。来るべきデジタル・カラーの北井写真を観る日が楽しみだ。


東通村、旧(左)と新(右)


恐山、旧(左)と新(右)


下北半島尻労、旧(左)と新(右)

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


小泉定弘写真展『小さな旅』

2016-05-16 00:01:33 | 写真

町屋文化センターで、小泉定弘写真展『小さな旅』を観る。

ちょうど1年前の写真展『漁師町浦安の生活と風景』のときと同様に、会場の入り口に、ご本人が原稿用紙に万年筆で書いた挨拶文が掲示してあって、これがまたユーモラスで味がある。今回の写真は、1-2泊の小旅行で撮られたスナップばかりだということだ。

写真は、まったくこれ見よがしでないものばかりである。霧がかかった山、水場を遊ぶ子ども、海岸、水面に写る富士山、淡路島の畑であそぶ人たち、どれもなんともしみじみ良い。

小泉さんがおられたので、少しお話をした。ライカM6にズミクロン50mmF2.0、たまに35mmだがだいたいは標準レンズを使うということ、ズミルックスや他の焦点距離のレンズも持ってはいるがやはりズミクロンということ、バライタ紙を使っていて今ではプリンターに焼いてもらっているということ、動きのある被写体が好きだということ、ツァイト・フォト・サロンのこと。

せっかくなので、持参した写真集『都電荒川線 The Arakawa Line』と、『隅田川 The Sumida』にサインをいただいた(その万年筆で!)。前者は荒川線沿線のスナップ、後者は橋の途中から隅田川をひたすら撮った過激な作品である。表紙を開いたところで、しばらく、うーん写真のフレームと一緒でどこに書くかで性格が出るんだよなと5分くらい悩んで、片方には日付を英数字で、片方には漢数字で、書いてくださった。このペースがまさに小泉写真。嬉しくなってしまった。

ところで、この2冊は同じ判型とつくりであり、もう1冊『明治通り』という写真集とで3部作なのだという。

「ああ、それはもう1冊持っておいた方がいいよ」
「はい、どうしてでしょうか」
「荒川線がだいたい10キロ、隅田川がだいたい20キロ、で、明治通りがだいたい30キロ。10キロずつ伸ばしていった」
「!!」

●参照
小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』
小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』


柊サナカ『谷中レトロカメラ店の謎日和』

2015-10-29 23:31:42 | 写真

日本カメラ博物館のウェブサイトに紹介してあった、柊サナカ『谷中レトロカメラ店の謎日和』(宝島社文庫、2015年)を読む。

変人の男と謎めいた女とが繰り広げるカメラ・ミステリー。軽いのですぐに読めてしまうのだが、ツボを突かれていちいち愉快。

登場するカメラは、コダック・シグネット35、フォクトレンダー・ベッサII、ワンテンのハリネズミカメラ、リコー・オートハーフ、ニコンF、ステレオグラフィック、ローライドスコープ、ライカIIIf。古い銀塩カメラは人間的で、ひとつひとつが違って、やはり愛すべきモノなんだな。

しかも、舞台が日暮里~谷中墓地~夕やけだんだん~谷中銀座~へび道あたり。学生時代に住んでいた近くで、先日も「ザクロ」というペルシャ料理の店に行く道々で、ここは変わった、ここは前と同じだなどと呟きながら歩いていると、懐かしさでどうしようもない気持ちになってしまった。

カメラや写真のメカニズム的なものをネタにした小説といえば、高齋正『透け透けカメラ』『UFOカメラ』、真保裕一『ストロボ』。それから、ハヤカワ文庫の翻訳ミステリで写真家が出てきて、一見何も写っていないネガの秘密を解く話・・・作家名すら覚えていない。(思い出した。ディック・フランシス『反射』だった。)

●参照
コダック・シグネット35は色褪せたポスターカラー
フォクトレンダー・ヴィトマティックII


北井一夫『北京―1990年代―』

2015-09-12 23:04:32 | 写真

京橋のツァイト・フォト・サロンに足を運び、北井一夫さんの写真展『北京―1990年代―』を観る。移転後のツァイトを覗くのははじめてだ。

愛しの北京。土埃やその他いろいろなものが舞っている。光がそれらで乱反射する空気感もとらえた写真群である。おそらくはエルマー50mmF3.5などのレンズが、それをねらいとして使われているのだが、この柔らかさは本当に見事である。冬青社から出された写真集『1990年代北京』も置いてあり、いくつか比較してみると、写真集の印刷のほうがメリハリがある。オリジナルプリントの柔らかさをさらに実感した。

もちろん、レンズの描写だけではない。冬に野積みにされたり窓の外に置かれたりする白菜。たたずむ老人。金魚鉢、鳥籠。リヤカー(「石家荘」と書かれているので北京ではなく河北省石家庄において撮影されたのかと思ったが、写真集で確認すると、北京のムスリムが集まる牛街であった)。また北京を歩きたくなってくる。もう4年半もご無沙汰している。

日本カメラにおいてモノクロプリントの審査をされているからか、すでに展示されたプリントは完売。なお、1枚16万2千円とのことである。『80年代フナバシストーリー』のときは1枚5万円だったと記憶している。買っておけばよかったなあ。

いつも北井さんは土曜日に在廊されている。デジタル移行の話を訊いてみると、やはり本当だった。ソニーのαに古いライカレンズを付けているとのこと。しかもカラー。ファインダーをのぞいたり、液晶を視て撮ったりだというが、なかなかその姿は想像しにくい。まだ、どこかに公表する前の段階だという。どんな作品が生まれてくるのか楽しみだ。

「だってもう50年もやったから。あんたたちはまだフィルムを使わなきゃダメだよ!」

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


松下初美、川島小鳥、石川竜一、サクガワサトル

2015-04-20 07:14:39 | 写真

研究者のTさんと新宿のギャラリーをハシゴ。

■ 松下初美『ディアベイビーナナ』(ギャラリー蒼穹舎)

ヘルシンキで撮られた日常のスナップ。ハーフ版カメラにネガカラーを使っており、画面中心だけピントが合っていて周辺は流れぼやけている。滲み、くすんでいて、夢のようである。なんでも、ゴールデンハーフというトイカメラを使ったということだ。

■ 川島千鳥(コニカミノルタプラザ)

台湾で撮られた「カワイイ」写真。梅佳代に続く系譜を描くことができるのかな。確かに巧い。Tさんによれば、ニコンF6にネガカラーを使っているようだ。

■ 石川竜一(コニカミノルタプラザ)

川島小鳥とともに木村伊兵衛賞を受賞しており、川島コーナーの奥に石川コーナー。沖縄出身であり、すべて沖縄で撮られている。いきなりハッセルブラッドにデジタルバックを使い始めたという。しかも人物に向かい合ってストロボ一発。

これが凝視すればするほど怖い。怖くて、そしてヤバすぎる。あまりにもリアルである、ということは、すべてに死の影がへばりついており、観る側にもそれは伝染する。森山大道が嫉妬したという話もわかる気がする。

■ サクガワサトル『A Sign Bar』(コニカミノルタプラザ)

宜野湾市普天間飛行場そばのバーで撮られた写真群。こんな暗いところでクリアーにとらえられるのはデジタルならではだ。