気が向いて、野茂英雄投手が大リーグに活躍の場を移した95年とその翌年の手記を読んだ。それぞれ、『僕のトルネード戦記』と『ドジャー・ブルーの風』(集英社文庫)である。両方、古本屋で100円。
あれから10年以上が過ぎたいまでも、まっすぐな感性はとても新鮮で面白い。それと同時に、ここで野茂投手によって提示されている問題点は、たぶんほとんど解消されていない。
大リーグでは、フェンスなく、選手に手を伸ばせば握手してもらえるほど、観客と選手との距離が近い。日本では、距離が近いどころか、試合を見ず別の目的で球場に足を運ぶ応援団がいる。しかも経済的にのみ、球団や球場と馴れ合っている。さらに、それ以外の、言葉にできない違いがある、そうだ。
テレビで観戦しても、マンネリと縮小均衡から脱出できない日本プロ野球よりも、あきらかに面白い。とはいえ、それは全体的な話であって、個別に選手を見れば、プロ野球も、もちろん面白いのではあるが。
私は、近鉄バファローズ時代の野茂投手を、一度だけ近くで見たことがある。川崎球場のロッテオリオンズ戦、登板はせず練習のときだった。大柄で、異質な雰囲気があった。
その野茂投手が米国に渡るときの、球界やマスコミの「バッシング」と言ってもいい態度はよく覚えている。そのあたりのことや、活躍するや手のひらを返したような態度に出るマスコミのことを、野茂投手も手記で述べている。いままで知らなかったのは、1年目終了後のシーズンオフに、日本で多くの人々との対談が予定されていたにも関わらず、何かの圧力で1件だけになってしまったということだ。
あらためて、大事にとってある雑誌『Number』(文芸春秋)を開くと、それは江夏豊との対談だった。それ以降、野茂投手との対談や、コメント記事の大半は、江夏豊が関わっている。渡米前の記事を読むと、あきらかな否定記事ではないものの、野茂投手と近しいはずのコーチが「1~2勝しかできない」と断言するなど、逆風のなかで努力する者をなんとか否定したいような雰囲気が目立つ。
私の知る限り、ジャーナリストなどを除き、一貫して野茂投手を応援し、そのときのバッシングのことを繰り返しマスコミ上でリマインドしている野球人は、その江夏豊と王貞治だけだ。もちろん、他にもいるとは思うが、逆に、安全な場所から調子のいいコメントを発していた野球人のことは何人も思いつく。
野茂投手はいまリハビリ中だと思うが、また投げる姿を見たいものだと熱烈に思う。
手のひらを返したような、といえば、桑田真澄投手についての報道だろう。サクセスストーリーになりやすいので、大リーグで「予想外」の好投をするや、とたんに持ち上げている。ついこの間まで、みんなが「どうせ駄目だろ」と言っていたことを、私は記憶しているぞ。
と、いち桑田ファンとしては、いつかゴチャゴチャ言いたかった。
『Number』の野茂投手の記事をかき集めてみた(1991年以降)
二軍戦の桑田投手(2005年、鎌ヶ谷球場) Pentax LX、FA★200mm/f2.8、シンビ200、ダイレクトプリント