Sightsong

自縄自縛日記

2010年6月12日、イースタンのジャイアンツ

2010-07-10 02:03:17 | スポーツ

野球を観に行ったのは数年ぶりである。久しぶりのジャイアンツ球場(よみうりランド)、娘が「Take me out to the ball game」といった主旨のことを繰り返すので連れて行った。混むのは嫌いなので二軍戦、確実に良い席。ファイターズの鎌ヶ谷球場も好きだが、ここも悪くない。もっと二軍戦を観よう。

二軍とは言え、ジャイアンツの選手であれば結構知っている。矢野、中井、エドガー、小林雅、マイケル中村らが出ていた。ちょうど太田は一軍に呼ばれたばかりで、残念ながら登場しなかった(その後すぐ戻ってしまった)。矢野なんかは一軍でもっと観たいのだが!

懐かしい勝呂コーチの姿もあった。ジャイアンツのショートストップとして出てきた年、青田昇は「向こう10年間のジャイアンツのショートが決まった」などと断言していた。しかし、すぐに川相が定着した。評論家の言うことはあてにならない。


中井は力強い


三塁コーチャーズボックスの勝呂コーチ


先発登板の高木が足をひねってしまった


栂野


小林雅


バントを失敗する矢野


マイケル中村

すべて、Pentax MZ-S + FA★200mmF2.8、ベルビア100。

公式記録 >> リンク


パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』

2010-05-31 00:13:53 | スポーツ

過日テレビを観ていると、カナダ・バンクーバーにおいて戦前に活躍した野球チーム、バンクーバー朝日軍の特集が組まれていた。かなりの実力があったチームで、日系移民のみならず人種を超えて人気があったという。思い出した、このチームの本を持っていた。パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』(1992年)だ。何年か前に、古本屋のワゴンの中で見つけ、500円くらいで買ったのではないだろうか。パラパラと頁をめくって楽しんでいたものの、そのまま放っていた。

当時の集合写真も、スナップも、寄せ書きも、新聞の切り抜きも、OBたちが寄せた文章もある。日系移民だから日本語、英語が混じっている。よく見ると、その中に登場する人たちの何人もの万年筆による署名がある。おそらくはOBに近い人が持っていて、みんなに書いてもらったものだろう。

ここには、日系移民向けの日本語新聞の切り抜きがいくつか掲載されている。例えば、カナダ人チーム、ホワイトロックとの試合結果について。

「(略)其間に北川又二塁へ走り何のことはない球が人間より遅い為め朝日は安打なくして三、二塁を奪ひ得たのである、次にバツトを握つたは中村兄二回目のバントが成功して山村本塁に突進、ホ軍は大狼狽を始めて中村を一塁に生かし二塁をお留守にして盗まれて了ふ、・・・・・・」

といった具合である。まるでラジオの名調子、いまの野球の記事もこんなふうであったならもっと愉しいだろう。

この野球チームについてもっと知りたくなって、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』(2009年、東峰書房)を読んでみた。著者は、朝日軍のエースピッチャー、テディ・フルモトの息子である。

父親をはじめ、大勢の思い出を引き受けて、講談のようにチームの推移を描きだしていて、とても面白い。19世紀後半、カナダに初めての日系移民となる人が密入国した。彼は日本式の投げ網で鮭を獲って財をなし、「銀鮭王」、「塩鮭王」と呼ばれるようになる。紅鮭以外は現地で食べないため、キングサーモンや銀鮭を缶詰にして輸出したのだった。成功した者が家族を呼び寄せ、次第にバンクーバーには日系移民が増えていった。日本人排斥の動きがあったものの、ここで結成されたバンクーバー朝日軍という野球チームは、人種間の垣根を取り払う力を持っていた。しかし、第二次世界大戦により、日系移民は強制収容され、強制移住させられる。チームの突然の終焉であった。

本書を読んでいて高揚する気分は、まさにWBCのときと同じものだ。もちろん、このナショナリズムには良い側面も悪い側面もある。

去年の春、WBCが終わり、「来年の春、われわれはWBCの不在に気付いて、寂しさと物足りなさを覚えるのではないか。」(芝山幹郎)という言葉があった。確かにそれはそうだが、米大リーグも日本プロ野球も依然として面白い。韓国や台湾やメキシコやベネズエラやキューバでの国内リーグも観ることができれば、さらに世界が広がって愉しいに違いない。

今年の開幕時、『Number』2010/4/15号を読みながら、さてどうなるかなと思っていた。今のところ、ジャイアンツの東野が自分としてはピカイチだ。渾身の球を投げ込み、打たれても、抑えても、ボールと判定されても、愉しそうに悔しがったり会心の表情を見せたりするのが良いのだ。


WBCの不在に気付く来年の春

2009-03-24 21:27:05 | スポーツ

WBCは日本代表が優勝した。ちょうど大阪伊丹空港に着いたのは、ダルビッシュ有が投げはじめた9回裏、テレビの前には凄い人だかり。韓国代表が同点に追いつき、悲鳴があがった。サヨナラ負けを見る度胸がなく、すぐに搭乗手続を行ってゲートに移動した。延長戦に入っていた。そこから、飛行機に乗り込むぎりぎり前に、運良く試合終了までを見ることができた。


10回表のイチローのタイムリー後(左)、大阪伊丹空港での優勝の瞬間(右)

それにしても、異常なほどの盛り上がりようだ。日本の国旗の真ん中は日の丸ではなく野球のボールだ、と言ったのは、ロバート・ホワイティングだったか。普段プロ野球やMLBに興味を持っていなさそうな人でも、ここのところ、職場で一喜一憂している。監督交代のごたごたがあったためか、それとも、メディアの宣伝が奏功しただけなのか。(保守寄りの発言を繰り返す前代表監督が、これで人気を得て、政界に登場するような醜い姿を見ることがなかったのは、少なくとも、ほっとすることである。)

どう少なく見積もっても日本には野球評論家が500万人はいるだろうから、日本代表の試合ぶりを云々することはやめておくとして(ただ、浦安の星・阿部慎之介がいまいち活躍しなかったのは残念だ)。CATVで録画しておいたキューバ対メキシコ、米国対ベネズエラ、米国対プエルトリコ、ベネズエラ対プエルトリコなんかをあとで暇潰しに観るのが楽しみである。ちょっと観ただけでも、キューバ代表選手たちの動きはとても魅力的で、空振りしたバットが観客席まで飛んでいくような豪快さもある。ドラゴンズで今ひとつ活躍できなかったオマール・リナレスの姿は、やはり峠を越していたそれだったのだな、と改めて感じたりした。

国威発揚という面でいえば、韓国の保守系新聞である『朝鮮日報』『中央日報』『東亜日報』の日本語版を、毎日チェックしていた。奉重根のピッチングがイチローを抑えたからといって、安重根(名前が似ている)と伊藤博文に重ね合わせて「奉重根義士」「イチロー博文」と書いていたのにはさすがに驚かされた。ただ、別の背景を持つ声に耳を傾けることは、テレビのバラエティで「侍ジャパンがどうじら」と騒いでいるのをみるよりも遥かに大事なことだ。むしろ、それに対する日本側からの過剰なコメントを読むのはその何万倍も嫌なものだった。それから、フィデル・カストロの声はとても人間的だった。そういえばベネズエラのチャベス大統領も野球好きだったはずだが、何か面白い発言をしていないだろうか。

今回は、『Number』(文藝春秋)が、WBC開催前に特集号を組んでいる。今度改めて出されるであろうWBC特集号がとても楽しみだ。3年前の特集号では、地下鉄の吊り広告に使われていた写真が素晴らしく、よほど引き抜いて丸めて逃げようかと考えた。今度はどんなライヴ写真が採用されるのだろう。

来年の春、われわれはWBCの不在に気付いて、寂しさと物足りなさを覚えるのではないか。」(芝山幹郎、前回WBC特集号より)


今回開催前の特集号


前回開催後の特集号


前回特集号の吊り広告に使われた写真


山際淳司『ルーキー』 宇部商の選手たちはいま

2009-02-12 21:04:13 | スポーツ

風邪をこじらせて家にこもっていた(風邪の家族内循環)ので、あれこれ本を読んだり録画した映画を観たり。図書館で借りてきた山際淳司『ルーキー もう一つの清原和博物語』(毎日新聞社、1987年)は午前中あっという間に読んでしまった。

なぜ「もう一つ」なのかというと、清原を一人称とした語りは行わず、清原の周囲にいたり、すれ違ったりした人たちから見た清原像、そしてその人の人生に残した影響を描いているからだ。これが書かれたのは、清原が1年目のシーズンを終えた後である。

昨年かぎりで清原が引退したいま、その後の姿を予感しているような山際の目利きには驚かされる。清原は、シーズン最終打席、ホームランを狙ってもいいようなゲームの状況にあって(もう1本打っていれば、高卒ルーキーのホームラン数新記録だった)、巧く合わせてライト前に運ぶ。

「それだけの巧さを、清原はルーキーの年から持っていたのだと、いわれるようになるのだろうか。それとも、往年のホームランバッターのようにとてつもない空振りを覚悟して強引にバットを振り抜こうとはしなかったと、ややかげりを帯びたトーンで語られるようになるのだろうか。」

清原を語る人たちの中で、私がもっとも気になるのは、高校三年生時の夏の甲子園決勝で対決した宇部商(山口県)のエース、田上昌徳だ。田上は本大会で調子を崩し、決勝ではついに1球も投げさせてもらえなかった。試合後、テレビのインタビューで「投げたかった」と言いつつ顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた姿が忘れられない。代わりに先発した控えの古谷友宏は、「あのPL」相手にあそこまで投げたということで賞賛の的になった。また、1大会通算ホームラン数では清原に抜かれたが、打点記録を作った藤井進についても同様だった。

この本によれば、田上は、レフトを守りながらPLに勝ってほしいと思ったのだという。

「このまま宇部商が勝っちゃったら自分はどうなるのか。みじめですよ。せっかく予選を勝ち抜いてきてここまでやってきたのに・・・・・・。そういう感情ですね。あのときはそんなこといえなかった。一年たった今だからいえる。同時に、負けたくないという気持ちもある。矛盾しているでしょう。勝ちたい、だけど勝ってほしくない・・・・・・」

田上は新日鉄光に在籍しながら、数年後のプロ入りを希望していたが、結果的にそれは叶わなかった。藤井も古谷も、(宇部商のレギュラーをつとめた私のにわか親戚も)プロ入りはしなかった。若くして亡くなった山際淳司だが、もし健在なら、その後の宇部商の面々の状況、清原の様子を見て、何かを書いただろうか。

いま、あの地元の英雄たちは。

●田上昌徳 新日鉄光、現在は桜ヶ丘高校(山口県)コーチ
●古谷友宏 新日鉄光、その後、協和発酵コーチ、野球部の廃部後は?
●藤井進 青山学院大学、現在は東光食糧勤務(>> リンク

この次の宇部商の英雄といえば宮内洋だが、住友金属を経て、確かプロ入りに(社会人だということで)契約金が邪魔になるのならと退社までして、横浜ベイスターズに入団した。打つのはピカイチだったが、守備と走塁の評価が低かった。そして、入団早々、監督が権藤博に代わった影響もあるのかないのか、ほとんど一軍で使われず、4年間の通算成績は16試合出場、ヒット1本だった。現在は球団職員だそうだ。

※敬称略

『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』


『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』

2009-01-22 23:19:41 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)が、引退したばかりの清原和博の特集を組んでいる。

実は、PL学園時代、ライオンズ時代、ジャイアンツ時代、バファローズ時代と振り返ってみても、清原ファンであったことが一瞬もない。プレーを見て凄みを覚えたこともない(あるとすれば、ジャイアンツ1年目の後半戦に荒々しくなったころ)。しかし気になる選手であり、テレビの野球中継でもついまじまじと見ている。この原因は、メディアによって過剰につくられた幻影と実像とのギャップにあったに違いない、と勝手におもっている。この『Number』の特集を読んでも、その印象が強くなる。

PL学園の4番バッターとして活躍していたときの印象もじつはあまりないのだ。記憶にあるのは桑田投手の笑みを浮かべた顔であり、3年夏の甲子園決勝で対戦した宇部商藤井選手であり(大会ホームラン数を決勝で清原に抜かれた)、登板できず試合後に号泣していたエース田上投手であり、好投した2番手の古谷投手であり、それから自分の親戚だった。宇部商のレギュラーだったこの親戚だが、そのときにはじめて親戚だということを知った。いまだ会ったことは一度もない。宇部商の選手たちはひとりもプロにはならなかった。

最近、ジャイアンツのヨイショばかりをするテレビ「G+」で、清原が活躍した試合をほぼ丸々放送するシリーズが3回あった。全部懐かしく、ついつい見てしまった。しかしこれも、つい騒いでしまうのはほかの選手の登場シーンである。そういえば、93年だか94年だかに西武球場でAK砲のホームランを見たが、凄いとおもったのは秋山選手の外野席に突き刺さるようなライナーだった。

幻影といえば、『FRIDAY』で、勝手に清原の語り口で綴った日記らしきもの、『番長日記』(講談社、2003年)がまさにそれだ。ブックオフで105円で買って読んだ。やたら笑えるが、いまとなっては何がこういったものを成り立たせていたのかわからない。くだらんのう。

●参照
『Number』の野茂特集
野茂英雄の2冊の手記


『Number』の野茂特集

2008-10-18 10:35:51 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)が、「野茂英雄のすべて。」と題した特集を組んでいる。

「永久保存版」と大上段に構えているだけあって、これまでのタブー的な領域に踏み込んだ記事が多い。具体的には、大リーグ移籍時のバッシングと、その布石となった近鉄バファローズ鈴木監督との確執だ。

バッシングについては、その後手のひらを返したような反応を見せたメディアと野球界が、如何にネガティブ・キャンペーンを張ったかが手短に検証してある。その底には、多くの日本人が大事にしてきた日本野球が傷つけられることへの過剰な反応がありそうだ。

大リーグで活動することにより「日本野球の実力を白日のもとに晒してしまうことへの恐怖」は、幸福な形で解消されている。ただ、野茂をパイオニアとして日本野球と大リーグとの障壁が小さくなったいまでは、そのメンタリティは、WBCや五輪への過剰な反応にあらわれてきている。もちろんそれは、ナショナリズムとの危ういバランスのうえに成り立っているものの、決して悪いことではない。じつは私も一喜一憂している。

立花龍司コーチ、鈴木啓二元監督、野茂の前のエース・阿波野の野茂に対する印象が同じ特集内に掲載されるのは、「あれ」から長い時間が経ったことを示すものだろう。その意味で、「井戸の蛙」タブーを皆が正視できるようになったと言うこともできそうである。

しかし、さらに問題の根っこにある、日本のプロ球団が選手を縛り続け、人権を軽視していることについては、対談の発言という形でしか示されていない。ここが、「井戸の蛙」タブーの次のタブーなのだろうとおもえる。

ところで、野茂を実際に見たのは、川崎球場でのロッテオリオンズとの試合前に外野でストレッチをしている姿だけだ。もっと見ておけばよかったと後悔する。

●参考 野茂英雄の2冊の手記


北京にあわせて『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』

2008-08-11 23:59:52 | スポーツ

北京オリンピックのことを忘れていてラーメン屋に入ったら、開会式を中継していた。あそこまで国力を見せつけようとされると、ビビりながら白けまくってしまう。演出は張芸謀(チャン・イーモウ)だそうだが、何でこんなもの引き受けたのだろう。中国映画の大物がハリウッド化する現象と同じか。テレビで、張芸謀の『単騎、千里を走る。』(2006年)を観ようとおもったが気が乗らずやめた。

かように苛々させられる政治の祭典オリンピックだが、競技自体はもちろん面白い。野球についてもいろいろと腹が立つこと満載なのだが、やはり応援する。初戦の対キューバは先発投手がダルビッシュ有(ファイターズ)か和田毅(ホークス)という予想のようなので、気になっていた、佐野真『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(講談社現代新書、2005年)を古本屋で105円で買って読んだ。

これによると、和田の球が遅いのに打者が振り遅れてしまうのは、縦スピンの驚異的な回転数によるものだという。縦スピンによる揚力が重力とバランスする条件は、何でも「球速・時速150キロならスピン・毎秒50回転」なのだが、これは人間には無理で、平均的なプロ選手は30回転、松坂大輔は38回転。しかし初速と終速の差は平均10キロ、松坂が7、8キロに対して、和田は4、5キロだとする。したがって、和田が投げる球の縦スピンはもの凄いに違いないという理屈。

だいたいは推測で固められた論理なのだが、プロ野球は記録のスポーツであり、妄想のスポーツであり、神話のスポーツであるから、これでいいのだ。

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野茂英雄の2冊の手記

2007-07-09 23:55:01 | スポーツ

気が向いて、野茂英雄投手が大リーグに活躍の場を移した95年とその翌年の手記を読んだ。それぞれ、『僕のトルネード戦記』と『ドジャー・ブルーの風』(集英社文庫)である。両方、古本屋で100円。

あれから10年以上が過ぎたいまでも、まっすぐな感性はとても新鮮で面白い。それと同時に、ここで野茂投手によって提示されている問題点は、たぶんほとんど解消されていない。

大リーグでは、フェンスなく、選手に手を伸ばせば握手してもらえるほど、観客と選手との距離が近い。日本では、距離が近いどころか、試合を見ず別の目的で球場に足を運ぶ応援団がいる。しかも経済的にのみ、球団や球場と馴れ合っている。さらに、それ以外の、言葉にできない違いがある、そうだ。

テレビで観戦しても、マンネリと縮小均衡から脱出できない日本プロ野球よりも、あきらかに面白い。とはいえ、それは全体的な話であって、個別に選手を見れば、プロ野球も、もちろん面白いのではあるが。

私は、近鉄バファローズ時代の野茂投手を、一度だけ近くで見たことがある。川崎球場のロッテオリオンズ戦、登板はせず練習のときだった。大柄で、異質な雰囲気があった。

その野茂投手が米国に渡るときの、球界やマスコミの「バッシング」と言ってもいい態度はよく覚えている。そのあたりのことや、活躍するや手のひらを返したような態度に出るマスコミのことを、野茂投手も手記で述べている。いままで知らなかったのは、1年目終了後のシーズンオフに、日本で多くの人々との対談が予定されていたにも関わらず、何かの圧力で1件だけになってしまったということだ。

あらためて、大事にとってある雑誌『Number』(文芸春秋)を開くと、それは江夏豊との対談だった。それ以降、野茂投手との対談や、コメント記事の大半は、江夏豊が関わっている。渡米前の記事を読むと、あきらかな否定記事ではないものの、野茂投手と近しいはずのコーチが「1~2勝しかできない」と断言するなど、逆風のなかで努力する者をなんとか否定したいような雰囲気が目立つ。

私の知る限り、ジャーナリストなどを除き、一貫して野茂投手を応援し、そのときのバッシングのことを繰り返しマスコミ上でリマインドしている野球人は、その江夏豊と王貞治だけだ。もちろん、他にもいるとは思うが、逆に、安全な場所から調子のいいコメントを発していた野球人のことは何人も思いつく。

野茂投手はいまリハビリ中だと思うが、また投げる姿を見たいものだと熱烈に思う。

手のひらを返したような、といえば、桑田真澄投手についての報道だろう。サクセスストーリーになりやすいので、大リーグで「予想外」の好投をするや、とたんに持ち上げている。ついこの間まで、みんなが「どうせ駄目だろ」と言っていたことを、私は記憶しているぞ。

と、いち桑田ファンとしては、いつかゴチャゴチャ言いたかった


『Number』の野茂投手の記事をかき集めてみた(1991年以降)


二軍戦の桑田投手(2005年、鎌ヶ谷球場) Pentax LX、FA★200mm/f2.8、シンビ200、ダイレクトプリント