Sightsong

自縄自縛日記

鈴木則文『ドカベン』

2014-01-03 01:01:35 | スポーツ

鈴木則文『ドカベン』(1977年)を観る。

山田、岩鬼、殿馬を実写で再現するのだから仕方ないのかもしれないが、これはスラップスティック・ギャグと言うべきか。ハチャメチャを堂々と押し出してくる勢いで、もう爽快にさえなってくる。当時、これがいったいどのような評判だったのか気になる。

永島敏行を売りにしようとしたためか、明訓高校のエースピッチャーは里中ではなく、「長島」。夏子はんがマッハ文朱、殿馬が川谷拓三という配役も笑う前に脱力。そして原作者・水島新司が演じる徳川監督は、むしろヨロヨロの岩田鉄五郎。

いや~、この突き抜け方は何というか・・・。

●参照
鈴木則文『忍者武芸貼 百地三太夫』


『Number』のイーグルス特集

2013-11-16 21:59:44 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)の毎年恒例、日本シリーズ号。今回は当然、イーグルス特集である。

昔はジャイアンツが負けたときの号を買わなかったりもしたが、もう大人、そんな行動は取らないのだ。モンゴルから帰国後、成田空港の売店でいそいそと入手し、さっそく読みながら帰った。

今シリーズのクライマックスは、やはり田中投手にジャイアンツが今年初めて「土をつけた」試合だった。バンコクの大阪居酒屋「432゛」(「しみず」と読む)で、飲み食いしながら、ほぼ最初から最後まで観戦した。

もちろん試合そのものはドラマチックで面白かった。しかし、田中投手にあそこまで投げさせたことは嫌な驚きだった。ある程度予想していたことではあるが、やはり、翌日の新聞には、「本人がいくと言ってきかないし、日本最後の登板だろうから」などという星野監督の談話が載っていた。さらに、田中投手は、翌日の優勝決定戦のリリーフ投手としても登板した。本人の昂る気持をコントロールするのが、まっとうな管理というものではなかろうか。

これもやはりというべきか、本誌でも、そのことを正当化する「熱い」記事が、巻頭に掲載されている。結果オーライならばいいというものではない。登板過多で選手寿命を縮めた投手は数多い。それとも、異議を唱えにくい雰囲気でもあるのだろうか。

対照的な記事が、今シーズンで引退した石井一久投手へのインタビューだった。石井投手は、昔から、投手の「分業制」を意識していた。

「ひたすら「わが身かわいさ」に消耗を避けたということではない。なにごとも気持ちが第一で、「強い気持ちで投げました」と投手が叫び、「魂の○○球」などとメディアも騒ぐ、その極端な精神主義への違和感がひとり分業制の実践だったのだろう。
 「自分の感じでは、男気を出す選手はケガをしやすい気がします。男気を出すよりは任されたところをしっかり抑えるほうが大事だと思うんですが」」

ところで、本誌の巻頭特集の見出しは「絶対エース、渾身の302球。」であった。

●参照
『Number』のホームラン特集
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集


ブライアン・ヘルゲランド『42』

2013-08-07 22:00:00 | スポーツ

バンコクからの帰国便で、ブライアン・ヘルゲランド『42』(2013年)を観る。

1947年に黒人選手としてはじめてメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンと、彼を受け入れて契約したブランチ・リッキーの物語。

ローザ・パークスによる「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」が1955年。キング牧師による「I have a dream」の演説が1963年。それよりもはるかに前の時期において、確かに、「白人のスポーツ」たるメジャーリーグに黒人が参加することへの拒否反応は、大変なものだっただろう。

映画では、ジャッキーは、守旧的な白人至上主義者たちから、言葉に言い表せないほどの差別や脅迫を受ける。いや「主義者」だけではない。彼らは一般市民であり、また、チームメイトたちの中にも、一緒にプレイすることに不快感を示す者たちがいた。もちろん、このような愚か者はどの時代にもいるものであり、本質的には現代日本も同じようなものだ。(言うまでもなく、あなたも私も無縁ではありえない。)

映画としてはさほど優れた作品とは言いがたいが、それでも、このような物語には弱い。どうしても感情移入して、涙腺がゆるんでしまう。

ジャッキーがメジャーに昇格したドジャースは、当時、ブルックリンにあった(それゆえに、ポール・オースターがしばしばジャッキーのエピソードを書いている)。確か、狭い路地で子どもたちが自動車をよけたりしていたために、「ドッジ」する人たち、すなわち「ドジャース」と命名されたのだったと記憶しているが、どうだったか。

バーニー・ウィリアムス『Rhythms of the Game - The link between musical and athletic performance』(>> リンク)によると、カウント・ベイシーが彼に捧げた「Did you see Jackie Robinson hit that ball?」という曲があるそうで、ぜひ聴いてみたいところ。


『Number』のホームラン特集

2013-07-17 08:00:55 | スポーツ

『Number』誌(文藝春秋)が、「やっぱりホームランが見たい。」と題した特集を組んでいる。ところで、ずいぶん前に、ラルフ・ブライアントが表紙のホームラン特集があったような記憶があるが、棚から引っぱりだすのが面倒で確認していない。

多くの名選手が取り上げられている。松井秀喜、落合博満、清原和博、門田博光、秋山幸二、王貞治。現役では中田翔、トニ・ブランコ、ウラディミール・バレンティン、井口資仁、阿部慎之助、山崎武司、中村紀洋、アンドリュー・ジョーンズ、中村剛也。その他たくさん。

ホームランには選手の個性があらわれる。旧西武球場で目撃した「AK砲」はそれを確認するものだった。清原のホームランは「ぶわっ」と空中で弧を描いてなかなか落ちてこず、秋山のホームランは「ぐちゃ」と潰す感じのライナーで外野席に突き刺さった。

個人的にもっとも印象深い記憶は、門田博光のスイングである。ホークスの身売りに伴い博多に行くことを選ばず、オリックス・ブレーブス(1989-90年の2年間だけこの名前)に在籍した時のこと。幸運なことに、東京ドームのバックネット裏のいい席から「ブルーサンダー打線」をみることができた。

門田のフルスイングは冗談みたいに豪快で、空振りするたびに球場がどよめいた、のだった(いや、本当に)。その試合では、ホームランは打たなかった。

●参照
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集


バーニー・ウィリアムス『Rhythms of the Game』

2013-05-03 10:00:00 | スポーツ

バーニー・ウィリアムス『Rhythms of the Game - The link between musical and athletic performance』(デイヴ・グルック、ボブ・トンプソンとの共著、Hal Leonard Books、2011年)を読む。

ニューヨーク・ヤンキース一筋16年の大リーガーにして、プロ級のギタリストである。

本書を読むと、きっと、野球好きとジャズ好きとは重なるに違いないと思わされる。「二足のわらじ」は彼だけではないし、それ以上に、ジャズは野球を題材にし続けた。たとえば、有色人種として大リーグ参加の草分けとなったジャッキー・ロビンソンという選手がいるが(1947年にメジャー・デビュー)、カウント・ベイシーが彼に捧げた「Did you see Jackie Robinson hit that ball?」という曲がある。

バーニー・ウィリアムスが米国代表として参加した日米野球の試合(2002年)を、東京ドームに観に行ったことがある。その時には、なぜ長打力が傑出しているわけでもない選手がヤンキースの4番に座っているのか不思議に思っていたのだったが、それが彼の魅力でもあった。長い手足を使った柔軟なバッティングは本当に魅力的で、イチローが憧れて同じ背番号51を付けたのも納得がいくものなのだった。

ところで、その時の日米野球の試合では、イチロー、アロマー、ウィリアムス、ボンズ、ジアンビ、ハンターと続く凄い面子だった。今岡誠がホームランを放ち、上原浩治がフォークでボンズから三振を3打席続けて奪った。渡米直前の松井秀喜が出塁した際、ジアンビに、ヤンキースに来いよとばかりに尻を叩かれていた(まだ、チームが決まっていなかった)。どこかに録画が残されていないだろうか。(>> リンク

本書に書かれているバーニーの考えは本当に面白い。たとえば、すべてが自分のプレイにとって理想的な条件となる瞬間を、「The Matrix Moment」と表現している。もちろん、映画『Matrix』のように、銃弾も何も見通せるという意味である。日本であれば、川上哲治が言った「ボールが止まって見える」か。やはり、スーパースターならではの奇跡はあったのだなと思う。

しかし、意外なことに、ほとんどの頁は、マインドコントロールについての考えに充てられている。ほとんどビジネス書である。楽しめ、準備をして「変数」を減らせ、失敗は成功の母だ、スランプのときにはいつものやり方を変えてみろ、といった具合に。これがまた、勇気づけられてしまうものだった。バーニーでさえ、大事な出番の前には、胃がばくばくし(「蝶が飛ぶ」)、足が震えていたのである。

バーニーのお気に入りの野球選手は、デレク・ジーターであり、マリアーノ・リベラであり、ペドロ・マルティネスであった。

それでは日本選手はというと、野茂英雄のことを、「asymmetrical rhythms」を持つ投手として、パワー・ピッチングの対極に位置づけている(59頁)。メジャー・デビューとなった1995年に、9イニング平均で11.1個の三振を奪ったピッチングが、やはり衝撃的であったようだ。また、イチローについては、「ゾーンを見極めて、どのような状況でも対処できる選手」として、オーネット・コールマンなどフリージャズの音楽家に例えている(71頁)。 

残念ながら、4シーズンをチームメイトとして過ごした松井秀喜のことには、言及されていない。2009年のワールド・シリーズでは、そのペドロ・マルティネスを打ち崩してMVPとなったというのに。


石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集

2013-03-24 00:05:00 | スポーツ

第3回のWBCでは、日本は準決勝でプエルトリコに敗れ、そのプエルトリコを圧倒したドミニカが優勝した。

前回同様に、面白く、興奮させられた大会だった。ちょっとした驚きは、オランダ代表チームの主力が、カリブ海のオランダ領キュラソー島出身のバレンティン(スワローズ)やアンドリュー・ジョーンズ(今年からゴールデンイーグルス)であったことだ。つまり、強豪チームは、米国や日本・台湾・韓国(早々に敗退はしたが)などを除けば、ラティーノのチームなのだった。かつて世界一の称号を欲しいままにしたキューバに2回も土をつけたオランダは、欧州のチームであるというには無理がある。

以前から「やる気」を問われている米国は、今回も途中で姿を消した。ひょっとすると、MLBは間違いなく「世界最高の野球リーグ」ではあっても、もはや、それに対する貢献は米国人が中心だとは言いきれなくなっているのかもしれない。何しろ、WBCのMVPは、ヤンキースの4番を張るドミニカ人・カノーである。 

石原豊一『ベースボール労働移民 メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』(河出ブックス、2013年)を読むと、時代は確実に変わっているのだという思いを強くする。

独自進化を遂げたキューバは別として、このルポと分析を通じて明らかに見えてくるものは、野球という装置による<帝国>の世界的ネットワークが着実に構築されてきていることだ。ドミニカも、プエルトリコも、はたまたコロンビアやパナマも、自国内で完結する野球産業はもはや持ちえず、MLBへの<労働力貯水池>として、MLBに包摂されている。メキシコリーグは独自性を持つという意味で少し異なるものの、もとよりMLBの一部と化している。それらの間では、競技レベルの差による労働移民の越境がなされているのである。

著者によれば、アジアの野球も、その構造に組み込まれてしまっている。明らかに、日本のNPBを頂点とするピラミッド構造があり、それはさらにMLBのピラミッドとリンクしているというわけだ。ひとつの曲がり角は、野茂英雄が海を渡った1995年だった。勿論、先にカリブ海地域がMLBのピラミッドにビルトインされたのは、そこが米国の政治的な裏庭だったからである。そして、最近では、中国にも、米国によって野球装置が据え付けられつつあるという。

成程ね、と、複雑なダイナミクスを垣間見たような気にさせられる。少なくとも、WBCで米国が敗れ、MLBを支えているドミニカや日本がナショナリズムを高揚させることは、MLBという資本システムにとって、悪い話ではないわけである。

ところで、『Number』誌(文藝春秋)のWBC特集号が発売されたので、いそいそと買って読んだ。

何だか、また、台湾戦での井端のヒットやオランダ戦での打線爆発など、興奮が蘇ってきてしまう。やはり采配批判がなされているが、4強となって日本野球の存在感を示すことができたのだから、良しとすべきである。

次はまた4年後か・・・。

●参照
WBCの不在に気付く来年の春
平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』(米国の野球ルーツ捏造)
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』(かつての移民による野球)
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集(事前のメンバー予想との違いが面白い) 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集


スポーツ報知と日刊スポーツの松井秀喜特集号

2013-01-09 00:49:12 | スポーツ

「スポーツ報知」が、松井秀喜引退特集号を出しているはずだと思い、通勤中にコンビニに立ち寄ったところ、「日刊スポーツ」も同様の特集号を出していた。

パワーヒッターというより、自分にとっては、鞭のようなキレを持ったバッター。同じジャイアンツの吉村禎章を数倍グレードアップしたような・・・。

読んでいると涙腺がゆるむ。WBCに出てほしかったな。


マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』

2012-12-15 22:46:06 | スポーツ

マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』(1980年)。中古DVDを500円で入手した。

元ボクシング世界ミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタの映画化である。時代は主に1940年代から50年代。ラモッタは「怒れる牡牛(レイジング・ブル)」の渾名の通り、ワイルドなスタイルで闘った。伝説的なシュガー・レイ・ロビンソンとのファイトも再現されている。

映画はドキュメンタリー風のつくりであり、ラモッタの人間的な側面や弱さを押しだしたものだった。NYの顔役たちとの付き合い、嫉妬、DV、離婚、ショービジネス。

さすがのスコセッシ、完成度が高く充分に面白いのではあるが、どうも巧みすぎる似非ドキュメンタリーが気にいらない。破綻のない予定調和のドキュメンタリー「風」なんて何の意味があったのか。

当時のカメラはやはりスピードグラフィックなどの大判がほとんどだ。ウォーレンサックのラプター127mmF4.5というレンズがアップになる場面がある。中途半端な焦点距離なのではなく、単に5インチというだけである。調べてみると、同スペックで、戦後レンズが足りなかったライカにLマウントレンズを供給したり、引き延ばし用レンズとして売ったりもしていたらしい。このような米国レンズもちょっと使ってみたいが、どんな感じだろう。

●参照
マーティン・スコセッシ『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』、ニコラス・ローグ+ドナルド・キャメル『パフォーマンス』
鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』(ボクシング映画)
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』(ボクシング映画)


『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集

2012-11-10 21:45:15 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)が、「BASEBALL FINAL 2012」特集を組んでいる。てっきり、毎年のように日本シリーズの特集だと思って楽しみにしていたので、その扱いの小ささに、少しがっかりした。何しろ、ジャイアンツ久しぶりの日本一に興奮していたのだ。

日本シリーズ特集では、ファイターズ栗山監督のことを「ロマンチスト」だと評している。確かにそうに違いない。斎藤祐樹を実力度外視で開幕投手に指名したり、なかなか打てない中田翔を4番に据え続けたり。その結果、斎藤は完投勝利し(活躍は続かなかったが)、中田は何だかただものでないオーラを漂わせるようになっている。シリーズ第6戦、澤村から打った同点スリーランには慄然とした。

先日大阪に足を運んだ際に、駅の売店で、スポーツ報知の「巨人日本一特別号」を買って、モノレールの中で読んだ。当然というべきかヨイショ記事ばかり、何と言うこともない。やはり『Number』の方が断然知的で面白い。

今年のジャイアンツは、何と言っても、途中の松本哲也の復活が嬉しかった。浦安の星・阿部の打撃も凄かった。東野は出番を与えられず(干されていたということか)、シリーズ後にトレードでブレーブス移籍となってしまった。良い球を投げ込むと良い顔をする良い投手で、割と好きだったのだが。

ところで、『Number』では、工藤公康・仁志敏久・田口壮の3人が、WBC日本代表のスタメンを勝手に選んでいる。こういった、プロが語るプロという趣向の記事が『Number』の醍醐味。

それによると、

(投手)
黒田、吉川、前田、岩隈、ダルビッシュ

(野手)
1番レフト 長野
2番センター 青木
3番ショート 坂本
4番キャッチャー 阿部
5番ファースト 中島
6番DH 稲葉
7番ライト 糸井
8番サード 松田
9番セカンド 本多

う~ん。ぜひ松井秀喜をDHで入れてほしい。代打要員に金城と畠山が欲しい。ショートは坂本より鳥谷。

と、勝手に妄想を膨らませてみる。いやあWBC楽しみだな。

●参照
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集
WBCの不在に気付く来年の春


プロ野球助っ人外国人フィギュア

2012-10-09 01:10:19 | スポーツ

ジョージアの缶コーヒーに、おまけとして「プロ野球助っ人外国人フィギュア」が付いている(>> リンク)。懐かしさのあまり、精選して確保した。いい歳をして、コンビニのドリンク棚をごそごそしているのは見られた姿ではないのだが。

そういえば、最近は「助っ人」と呼ばないな。

 
オレステス・デストラーデ(西武ライオンズ)、ブーマー・ウェルズ(阪急ブレーブス時代)


ラルフ・ブライアント(近鉄バファローズ時代)

 
ウォーレン・クロマティ(読売ジャイアンツ)、ランディ・バース(阪神タイガース)

他にも、アニマル・レスリー(阪急ブレーブス)、ロバート・ローズ(横浜ベイスターズ時代)、アロンゾ・パウエル(中日ドラゴンズ)があるが、特に思い入れもないため見送った。

1990年の日本シリーズでは、清原を警戒するあまりにデストラーデに打たれ、ジャイアンツは4連敗を喫した(かなりのショックだった)。三振かホームランかのブライアントは、角盈男から打った東京ドームの天井直撃弾が凄まじかった。ブーマーは、ホークス時代、ホームランを打った門田博光をハイタッチして脱臼させた(関係ないか)。いやー、個性の塊みたいな連中で良いねえ。

このシリーズは、80年代から90年代くらいに活躍した選手が中心のようだ。それなら、松井秀喜を抑えてホームラン王を取ったドゥエイン・ホージー(ヤクルトスワローズ)、「ワニ男」ことラリー・パリッシュ(ヤクルトスワローズ、阪神タイガース)、メジャー黒船時代のボブ・ホーナー(ヤクルトスワローズ)やビル・ガリクソン(読売ジャイアンツ)、打席でも外野でもやたらくねくね動いていたロイド・モスビー(読売ジャイアンツ)、バットの先を投手に向けていたフリオ・フランコ(千葉ロッテマリーンズ)なんかも仲間に入れてほしかった。

第二弾切望。


勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』

2012-06-09 15:52:03 | スポーツ

勅使河原宏『ホゼー・トレス』(1959年)、『ホゼー・トレス Part II』(1965年)を観る。

プエルトリコ人ボクサーのホゼー・トレス(日本での表記はホセ・トーレス)が、WBA・WBC世界ライトヘビー級チャンピオンになる前となった時のドキュメンタリー映画である。

第一部ではまだ無名の存在であったようで、『前衛調書』によると、写真家の石元泰博とのつながりから出逢うことができたのだという。ストイックな練習を行い、試合に勝つ。このとき勅使河原宏みずからがリングサイドから16mmで撮影しており、ボクサーの背中のマッスが素晴らしい映像となっている。その後のシャワーシーン、誰もいなくなったリングサイドでの恋人との抱擁なども収めており、20分そこそこながら密度が非常に高い。

第二部の冒頭では、王者のタイトルマッチを示す前に、既に勝利したトーレスが、ニューヨーク・ハーレムのプエルトリコ人居住区において、ベランダから姿を現し、大喝采を受ける。映画の中心はファイトシーンだが、撮影の許可が得られず、コミッショナーが撮った映像を編集するにとどまっている。そのため、面白くはあっても、第一部に結実したような、観る者に迫ってくる肉体の生生しさはない。

王座についた夜、トーレスは、ニューヨークのノーマン・メイラー邸に招待され、歓喜の表情を見せる(誰がメイラーなのかよくわからない)。のちにモハメッド・アリマイク・タイソンの伝記をものすインテリのトーレスに、文章の手ほどきをしたのは、このメイラーであったという。

2本とも、森川ジョージ『はじめの一歩』で知った、「ピーカブー・スタイル」を視ることができる。これを使うトーレスは天才であったが、タイソンはそれを上回る天才であったという。2009年に亡くなったトーレスを偲ぶコラム(>> リンク)を読んでいると、彼のタイソン伝を読んでみたくなる。

ところで、タイソンのPRIDE参戦はなぜ消滅したのだろう。幕ノ内一歩の世界挑戦はいつだろう。

●参照
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)
勅使河原宏『おとし穴』(1962年)
勅使河原宏『燃えつきた地図』(1968年)
鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』


『完本 桑田真澄』

2011-12-30 22:26:34 | スポーツ

『完本 桑田真澄』(文春文庫、2010年)を読む。買わずに放置していたら、もうブックオフで105円。

『Number』誌の昔からの記事をいくつか集めたオムニバスである。ずっと桑田ファンだったこともあり、いろいろと思い出しては単純にも感慨に耽ってしまう。

PL学園時代の不敵なニヤニヤ笑い。1990年、登板日漏洩疑惑に伴う謹慎明けからの連続完封(無言の迫力があった)。1994年、運悪く勝ち星をいくつも落としたものの、14勝でMVP(20勝くらいの勢いがあった)。1995年開幕第2戦、完封目前にしてスワローズ飯田の頭部への死球退場、その後の故障と復帰。長嶋監督時代の不遇(思いつきで抑えをやらされた)。2002年の復活、タイガース井川との投げ合い(延長10回、福井のホームランで勝利)。同年ライオンズとの日本シリーズでのやりたい放題(石井貴を騙してヒットも打った)。また勝てなくなり、勝利投手の権利を得ても野手の失策や継投の失敗で1勝が遠かった時期。そして2007年、MLBのパイレーツ入団。

桑田という存在は、執念と怨念と頭脳によって奇跡的に成立していた。そうか、もう4シーズンもプレイを見ていないのか。


二軍戦の桑田投手(2005年、鎌ヶ谷球場) Pentax LX、FA★200mm/f2.8、シンビ200、ダイレクトプリント


二軍戦の桑田投手(2005年、鎌ヶ谷球場) Pentax LX、FA★200mm/f2.8、シンビ200、ダイレクトプリント

●参照
『Number』の「決選秘話。」特集
山際淳司『ルーキー』 宇部商の選手たちはいま


『Number』の「ホークス最強の証明。」特集

2011-11-26 09:58:23 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)が、「日本シリーズ完全詳報 ホークス最強の証明。」と題した特集を組んでいる。はじめてこの雑誌を読んだのが1989年ジャイアンツ優勝時の特集号で、やはり表紙はシリーズMVPの駒田だった(まだ大事に持っている)。

タイトルの「ホークス」にはオーナー企業名を付していない。自分はこれを良しと思ってきたが(Jリーグ方式)、そうすると本当に地域密着型のプロスポーツとして商業ベースに乗るのかどうか。単に読売だけの問題かもしれない。

今回はほとんどテレビ観戦していないが、それでも面白く、夜中まであっという間に読んでしまった。やはり江夏豊をはじめ、プロがプロを語る方法が興味深い。語るべきことを持つ「解説者」(そもそも、精神論しか語れない解説者が多い)が仮に野球中継で何かを発言したとしても、そのほとんどは消えてしまうからだ。

平田、野本、堂上兄弟など、大器と目されているドラゴンズの若手がなぜレギュラーとして定着しきれないか。江夏豊は、「落合監督になってから、中日がドラフトで指名した選手は、誰一人として、一度も規定打席に達したことがない」と指摘して、その理由として、「落合監督が調子を見極めて、目の前の試合を勝つためにうまく選手をとっかえひっかえ起用してきた」こと、「勝つことにこだわって、育てることは二の次になってしまった」ことを挙げている。一方、福留孝介は、荒木・井端と小池・平田の「狙い球と違ったときの見送り方」の違いをもとに、「むしろ若い選手の方に育とうとする自覚がまだ足りてない」と指摘している。

桑田真澄による吉見論も面白い。ピンチでのセットポジション時に、吉見は早く投げたがるピッチャー心理を抑制し、ボールを長く持つことができているのだという。

こういったディテールを精神論でなく技術論として語る技術があってこそのプロ解説である。

ところで、優勝翌日にスマホの調子が悪くソフトバンクのショップに足を運んだところ、ビラを貰った。「日本一」のあとに丸で囲んだ「ダ」とあるのは何だろう。ダイエーのこと?

●参照
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集
平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』
2010年6月12日、イースタンのジャイアンツ
WBCの不在に気付く来年の春
山際淳司『ルーキー』 宇部商の選手たちはいま
北京にあわせて『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』
野茂英雄の2冊の手記


『Number』の「決選秘話。」特集

2011-10-29 00:17:47 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)が、「秋のプロ野球名勝負 決選秘話。」と題した特集を組んでいる。何しろジャイアンツの桑田ファンであったから、1994年の「10・8」が表紙であれば買わないわけにはいかない。

珍しく感情を剥き出しにした「10・8」の落合博満、89年のラルフ・ブライアントのホームラン連発、軟らかい今中慎二のピッチング、88年「ロッテ近鉄戦」の阿波野秀幸、ライオンズ商売カラーなんぞに浸されてしまった清原和博、92年日本シリーズでの杉浦享のサヨナラ満塁ホームラン、翌年の日本シリーズで清原を見事に抑えた高津信吾、いちいち懐かしくて、そのころの自分のことも思い出したりして、身動きが取れなくなってしまう。ああ、プロ野球は面白かったんだなあ。

もちろん今でも凝視したい選手は何人もいる。ダルビッシュ有や林昌勇や杉内俊哉のキレ、和田毅のタメ、鳥谷敬のシャープな打撃、金城龍彦の規格外の動き、藤川球児の渾身の球、阿部慎之介の天才的な振り。

セパ交流戦やクライマックスシリーズは、確実に日本シリーズのかけがえのなさを奪ってしまったし、それがプロ野球の愉しさも減じてしまったような気がする。この雑誌にまるで神話であるかのように記された過去のドラマを反芻すると、なおさらそう思う。それに、西本聖や桑田真澄のような怨念の塊的な選手がいなくなってしまった。ジャイアンツの東野峻にあの怨念が少しでも乗り移ったなら凄い選手になると思うぞ。

でもWBCは楽しみだな。そのうち勝手なベストオーダーを作ろう。

●参照
平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』
2010年6月12日、イースタンのジャイアンツ
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北京にあわせて『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』
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平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』

2011-03-25 01:27:41 | スポーツ

地震と原発事故が起きてからというもの気もそぞろ、忙しいこともあって、何かをまともに読もうという気が起きない。そんなわけで、快楽中枢を刺激するものはプロ野球であるから(それさえも開幕延期)、平出隆『ベースボールの詩学』(講談社学術文庫、原著1989年)を読む。

同じ著者の『白球礼讃』(岩波新書、1989年)は出た当時読んだが、これは知らなかった。『白球礼讃』は、米国において野球発祥の地とされるクーパースタウンから名前を取った草野球チームをやっているという話だった。確か、ロッテ・オリオンズを引退した後のレロン・リーを助っ人として呼び、試合の最後に代打として登場させるエピソードがあった。彼の打球は内野フライ、しかしひたすらに高い高い打球であった、というのだった(なんて良い話だろう)。同じころにリーの妻が『リー、思いっきり愛』という本を出し、渋谷の紀伊国屋書店でサイン会があったことを覚えている。本を買いもせず横で眺めていただけだが、リーの迫力は凄いものがあった。

この『ベースボールの詩学』では、クーパースタウン神話が歴史の捏造であったことに触れている。スポーツ用品業としても大成功したスポルディングという男は、ボストン・レッドストッキングス(レッドソックスではない)に所属し、はじめて200勝をあげた大投手である。しかし彼は、いわゆる<アメリカ>であった。国技としての神話を創るため、英国からのルーツを故意に抹消したというのだ。野球の<アメリカ>神話化は今でも生きているから、その始点を示されたような気がした。日本野球をコケにしたボブ・ホーナー、ビル・マドロック、ケビン・ミッチェルといった奴らもいたし、第1回WBCでの日米戦では西岡剛のタッチアップについて明らかに米国寄りの采配があったし、パイレーツに入った桑田真澄を吹っ飛ばした巨漢の審判だってそうかもしれない。

米国内だけではない。スポルディングは野球の伝道師として、1888年、はじめての世界遠征を企画実行している。ニュージーランド、オーストラリア、スリランカというクリケットの国を経て、エジプトではピラミッドをバックネット代りにして、フランスではエッフェル塔の下で試合を行っている。滅茶苦茶だ。それでも、やはりクリケット王国の英国ではそれなりに受けたようだ。いまだに私にはクリケットのルールがわからないのだが、スリランカのマータラという町でクリケットをテレビ観戦していると、隣りのオヤジが「彼はこの町の出身で、打って良し、守って良し、走って良しの三拍子揃った選手だ」と話していたことを思い出す。まあ野球と同じ、原初の欲望においては同じなのである。

1845年に結成されたニッカーボッカーズのルールには、「走者にボールを投げつけることの禁止」が入っていた。著者はこれが、硬くて反発力のあるボールを使うことにつながり、近代野球の扉を開いたものと評価している。歴史的にも、このころからベース間の距離はまったく変わっていない。盗塁や内野安打のぎりぎり感を思えば、その絶妙な距離の不思議さを感じざるを得ない。ああ面白いな。

ついでに、空港の売店で目についた、愛甲猛『球界の野良犬』(宝島社、原著2009年)を読む。野球で野良犬というと、長嶋茂雄の立教大学時代のエピソードを思い出してしまう。

「おい、映画を観に行くぞ!」
「長嶋さん、何の映画ですか?」
「ノヨシケンっていうんだ!」

それはともかく、愛甲先生、いかにも悪そうだったが、本当に悪かったんだな。あのバットを垂直に立てたフォームが好きだった。「テレビじゃ見れない川崎劇場」の川崎球場で一度見た。千葉マリンスタジアムの売店には、愛甲とマイク・ディアズのオリオンズ時代のユニフォームが飾ってあったが、まだあるのかな。