Sightsong

自縄自縛日記

ミルチャ・エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』

2014-10-26 21:37:01 | ヨーロッパ

気が向いて、ミルチャ・エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』(福武文庫、原著1940年)を読む。

本書には、1940年に書かれた2つの短編が収録されている。

「ホーニヒベルガー博士の秘密」は、インドの秘儀を求めた「ホーニヒベルガー博士」に魅せられた研究者が、突然姿を消し、その謎を探ってほしいと研究者の妻が別の男に依頼するところからはじまる。書斎に残された、膨大な文献資料とノートの数々。実は、研究者は、秘儀を半ば習得し、そのために他者から視えなくなっていたのだった。しかし、男がそこまで追求したところで、世界が一変する。まるで時空間が狂ったかのように。この暗欝な雰囲気は、巨人エリアーデが住んだブカレストの街をイメージしてのものだという。

「セランポーレの夜」は、インドのカルカッタ(現・コルカタ)が舞台。ここに人生の意義を求めて集う男たちは、ある夜、魔術にかけられたように彷徨い、半死半生の目に遭う。かれらが入り込んだ世界は、100年以上前の西ベンガルであった。この謎は、論理的に解くことができるようなものではなかった。

いや、久しぶりにエリアーデなんて読むと、奇妙な魅力にやられてしまうね。『ムントゥリャサ通りで』と同様に、唐突に、読者が無重力・非論理の時空間に放置される感じ。未体験の東欧にも、足を運んでみたくなる。

●参照
ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』


柴田三千雄『フランス史10講』

2014-10-14 07:51:39 | ヨーロッパ

柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書、2006年)を読む。

通史というものには癖があって、時代ごとの史実をしっかり頭に刻んでいくように読まなければ、読後に何も得られないことになってしまう。一方で、語り手による大きな歴史の流れをつかむことができる。

本書については、後者のおもしろさがいろいろあって、そのひとつがナショナリズムの生成と国民統合のプロセス。数えきれないほどの革命や統治システムの変更を経て、フランスは今の姿となった。歴史の流れは一方向ではなかったし、過去の見直しによるナショナリズムの強化もあった(ジャンヌ・ダルクは百年戦争に登場した15世紀の人だが、愛国・共和主義的な娘として右翼ナショナリズムの文脈で注目されたのは、19世紀半ばからであるという)。インドシナからの撤退(1954年)や、アルジェリア戦争(1954-62年)によるナショナリズムの変貌もあった。欧州諸国のナショナリズムとEU統合とは切り離せない関係を持つが、ドゴールは、フランスが優位に立つヨーロッパを考えていた。簡単ではない。

しかし、国家という統治システムへの国民参加の歴史は長い。ヨーロッパへの視線はいまも重要である。 


チューリヒ美術館展

2014-09-28 22:24:19 | ヨーロッパ

国立新美術館に足を運び、「チューリヒ美術館展」を観る。

何しろ近代美術の美味しいところ。好きな画家ばかりだ。眼福、こういうものは観るべきですよ。

セザンヌによるサント・ヴィクトワール山の塗り残し。爆笑必至のピカソの裸婦。確かに音楽的なカンディンスキー。神がかりとしか思えないクレーの手仕事。未来派へのつながりを予感させるセガンティーニ。ジャコメッティの極限的な切り詰めは暗黒舞踏。

http://zurich2014-15.jp/artworks/


アーシュラ・K・ル・グィン『マラフレナ』

2014-09-28 00:49:42 | ヨーロッパ

アーシュラ・K・ル・グィン『マラフレナ』(上・下、サンリオSF文庫、原著1979年)を読む。

物語は、19世紀前半におけるヨーロッパの架空の小国を舞台としている。

フランス革命(1789年)、ナポレオン戦争(1803-15年)を経て、ウィーン体制が構築された後の時代。この小国は大公国ゆえ、オーストリア帝国の間接支配下にあった(そのことを象徴することとして、メッテルニヒ外相の名前が幾度となく登場する)。議会も有名無実化していた。

主人公のイターレは、そのような政治と社会に憤りを覚え、田舎の大きな荘園を捨て、首都に出て反政府活動を行う。かれの名前はやがて広く知られることとなり、危険人物として投獄される。数年後、廃人のようになり出獄。やがて、隣国でのフランス7月革命(1830年)が起こり、次第にウィーン体制は崩壊へと向かう。イターレも首都には居られなくなり、また、田舎の荘園へと戻る。再出発を心に秘めて。

イターレが情熱を注ぎ、大きな犠牲を払って行ってきたことは、何だったのか。まったくの無駄ではなかったのか。そのような、イターレ自身の内省や苦しみが綴られ、読む者も苦しさを覚えないではいられない。また、「わたしは何をしているのだろうか、何者なのだろうか」と、自己の確立に苦しみ、傷を負うのは、イターレだけではない。しかし、作者ル・グィンの登場人物たちに対する愛情が、この作品を、ただの若者の失敗物語でない傑作にしている。

当時の政治情勢だけでなく、荘園地主の権力や、人びとを縛っていた因習なども描かれている。歴史小説と呼ぶべきか、SFと呼ぶべきかわからないが、とても面白く読んだ。


エラスムス『痴愚神礼賛』

2014-08-19 07:23:59 | ヨーロッパ

気が向いて、エラスムス『痴愚神礼賛』(中公文庫、原著1511年)を斜め読み。

オランダ生まれのデジデリウス・エラスムスはルネッサンス期の大知識人であり、それにも関わらず(それだからこそ)、このような奇書をものした。

最初から最後まで、痴愚女神が、権威主義的なカトリック界や賢人なる者を徹底的に莫迦にし、笑い飛ばす。なるほど、ここまで言われてはセンセーションにもなるわけだ。本書はひとり歩きして、マルティン・ルターの宗教改革にも貢献することとなった。

確かに、本書の現代日本版があらまほしきことなり。


中藤毅彦『Paris 1996』

2014-07-19 23:10:40 | ヨーロッパ

神保町すずらん通りの檜画廊で、中藤毅彦さんの写真展『Paris 1996』を観る。DMが届いたのがつい数日前で、今日が最終日だった。会場には、写真家の内藤正敏さんもおられた。

中藤さんのパリといえば、2011年頃から撮られた『ストリート・ランブラー―パリ』に随分揺り動かされ、その写真集『Paris』を入手したばかり。ただ、これは、タイトル通り15年遡り、1996年のパリである。

これらの作品が発表された写真集として、『Enter the Mirror』がある。会場に置いてあったそれ(もはや入手困難)と見比べながら、今回の新プリントをひとつひとつ観ると、随分と異なっている。旧作は、かなりトリミングされ、プリントが濃い。迫る力を持つと言えるかもしれないのだが、ほぼノートリミングだという新プリントにも、依然として、迫りくるなにものかと、色気とがある。中藤さんによれば、当時もコンタックスG2を使っていたという。

今後確実に評価が高まっていく写真家であり、いまのうちにプリントを入手しておくべきかもしれない。

●参照
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー


フランク・パヴィッチ『ホドロフスキーのDUNE』、バルテュスのポラロイド

2014-06-14 22:36:57 | ヨーロッパ

ヒューマントラストシネマ有楽町で、フランク・パヴィッチ『ホドロフスキーのDUNE』(2013年)を観る。

1975年。既に、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を商業的に成功させていたアレハンドロ・ホドロフスキーは、次なる企画として、『デューン』の映画化を開始する。

キャストやスタッフは、ホドロフスキーが直感でこれはいいと思った人。特撮担当として、最初にダグラス・トランブルに目を付けるが、会ってみると多忙で傲慢なビジネスマンであり、怒って他を探す。ちょっと前に完成していた、ジョン・カーペンター『ダーク・スター』(今みるとしょぼい!)の特撮担当ダン・オバノンに決定。さらに、H・R・ギーガー。俳優として、サルバドール・ダリ。お気に入りの料理人をセットにして、オーソン・ウェルズ。さらに、自分の息子には、演技のため2年間武術の特訓を受けさせた。音楽はピンク・フロイド。凄いというかなんというか。

これらのアイデアをひとつひとつ固めていき、設定や絵コンテからなる分厚い企画資料を作成し、スポンサー探しをはじめた。しかし、巨額の予算や、ホドロフスキーの頑固な怪人ぶり(何しろ、12時間の映画にしたいなどと考えていた)のため、資金調達ができず、映画化は挫折した。そのかわりに、結局はデヴィッド・リンチが同作品を映画化したのだが、ホドロフスキーはその駄作ぶりに大喜びしたという。

作品は完成しなかったが、ホドロフスキーが撒いた奇抜な種は、あちこちで芽をふいた。『スター・ウォーズ』、『エイリアン』、『ターミネーター』、『プロメテウス』など、新旧の名作群に、『デューン』のコンセプトが活かされている。つまり、作品のかわりに世界を創った男というわけであり、これは愉快だ。

それにしても、何かに憑かれたように愉しそうに話し続けるホドロフスキーに、圧倒される。劇場からもときどき呆れたような笑いが起きる。何なんだ、この人は。こちらまでヘンに元気になってくる。学生のころ、『エル・トポ』の気色悪さに辟易して、他のホドロフスキーの映画を観ていないのだが、これはつまりわたしがお子ちゃまだったということだ。

ついでに、近くの三菱一号館美術館にて、「バルテュス 最後の写真 ―密室の対話」展を観る。

晩年のバルテュスは、身体的にデッサンが困難となり、ポラロイドで少女の写真を撮り続けた。狭い会場には、ほとんど同じポラがずらりと展示されている。アトリエでは自然光以外を拒絶していたくせに、フラッシュもときどき焚いている(DMの写真もフラッシュ一発写真)。しかし、薄暗い中で、ぶれてはいても、自然光のみで撮ったポラのほうが断然良い。

美しいといえば美しいし、変態的といえば変態的。(だってそうでしょう)

ホドロフスキーもそうだが、バルテュスも、思い込んだら意地でも方向を変えない。無理だがわたしもこうありたい。

●参照
バルテュス展


フランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』

2014-06-06 23:20:19 | ヨーロッパ

仕事帰り、久しぶりに早稲田松竹に立ち寄り、フランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973年)を観る。

フランス・ニースでの映画撮影。ワガママで幼児的な主演男優(ジャン=ピエール・レオ)。精神不安定から回復し、英国から渡ってくる主演女優(ジャクリーン・ビセット)。個性的なスタッフたち。プレッシャーのため、毎晩悪夢に苦しめられる監督(トリュフォー本人)。

ずいぶん昔に、ヴィデオで観たときには、サブタイトル通り、満ち溢れるほどの映画への愛情が印象的だった。今回もその印象は変わらない。その一方で、一時的な興奮状態という映画づくりに対する自虐的な思いと、諦めのような念もまた伝わってくる。

学生時代の合宿とおなじである。あまりにも愉しい時間と人恋しさ、しかしそれが永遠に続くとしたら、どこに足場を見出せばよいか。ポール・オースターが引用した言葉、「As the weird world rolls on.」(このけったいな世界が転がっていくなか。)を思い出してしまう。

それにしても、ジャクリーン・ビセットは魅力的。そして困ったことに、「構ってちゃん」のジャン=ピエール・レオの情けない姿は、ときおり、自分を見ているようでもある。(わたしだけではないだろう?)


ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』

2014-05-28 23:24:54 | ヨーロッパ

ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』(岩波文庫、原著1938年)を読む。

1936年、オーウェルはフランコ将軍の反乱軍に抗するため、個人として、共和国を応援する民兵部隊に参加する。フランコ側を独伊のファシズム国家が支援し、英仏は直接には干渉しない方針を取った。ファシズムとの闘いという意義をわがこととして身を投じたのは、スペイン国内のみならず、世界中から集まった義勇兵たちでもあった。その意味で、スペイン内戦はまたスペイン市民戦争でもあった。

オーウェルが属した組織は、労働者による革命を先行させようとしたPOUM(マルクス主義統一労働者党)。その他に、アナキズム色の強い組織や、ソ連が支援する共産主義組織があった。オーウェルが体験し、見たものは、革命よりも中産階級・ブルジョアを含む層を取り込んだ国家形成の方を先行させようとする共産主義組織による醜い同胞粛清であり、それはソ連の意向を汲んだものなのだった。

このルポルタージュは、スペイン戦争が単純な図式によって語りうるものでないことを、生々しく示すものだ。オーウェルが共感し、伝えたかったことは、後付けの歴史の欺瞞、そして、ファシズムに抗するために集まった人びとの連帯感の実感なのだろうと思える。

オーウェルが英国に戻ったあと、フランコが内戦に勝利し、日本は、早々にフランコ政権を支持した。フランコ独裁体制は、その後、1975年まで続くことになる。すなわち、この歴史は現在と地続きのものである。

●参照
スペイン市民戦争がいまにつながる
ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』
室謙二『非アメリカを生きる』


ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』

2014-05-24 09:26:30 | ヨーロッパ

ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』(1985年)を観る。

フンベルトは、ヴェルナー・ペンツェルとともに、フレッド・フリスの音楽活動を追った『Step across of the Border』(1990年)や、ユセフ・ラティーフ晩年の独白をとらえた『Brother Yusef』(2005年)を撮った人である。この映画でも、フレッド・フリスと、ウード奏者アラム・グレチャンとともに音楽を担当している。

ヴォルフスグルッブは、ドイツ南部バイエルン州の山村。そこに、フンベルトの母親エヴァがずっとひとりで住んでいる。彼は、電車に乗って、森と雪のなかに帰ってゆき、エヴァにカメラを向ける。エヴァの語りはおそらくヴィデオで撮られているが、母の寝る姿、薪を割る姿、自分だけの食事を作り食べる姿は白黒の16ミリフィルムで、村の風景やどこかに描かれた素人画はカラーの16ミリフィルムで撮られている。やはり、16ミリの持つにじみやざわめきのようなものに、魅かれてしまう。

エヴァの父親は、ユダヤ人であった。結婚後すぐに移り住んだ山村にも、ナチスの脅威がじわじわと浸透してくる。医者でありながら作家を志す父は、すべてを諦め、ひとり中国へ旅立ち、もう母娘と会うことはなかった。ナチスにより、エヴァは市立学校から公立学校への転校を余儀なくされ、さらに、「ユダヤ人のハーフは公立学校に通ってはならない」、「結婚してはならない」というおそるべき政策が出されることになる。

エヴァは、その生活のなかで多くを学んだのだという。それによって培った心があった。戦後、ドイツにおいても、「まずは服従を学ぶべきである」、「国家のいうことに従わないことはあってはならない」といった言説が虫のように湧いてきたという。エヴァは、そういった毒に対し、とんでもないことだと断言する。まさに、個人の裡に醸成された力だと思えてならない。(ウルリケ・マインホフへのシンパシーも示すのである。)

同様の過ちを犯し、罪と恥から多くを得るべきだった日本はどうなのか。このフィルムを広く上映してみてはどうか。

ところで、エヴァ少女時代の思い出話で出てきた「臭いチーズ」こと「Backsteiner」。家に持ち帰ると、エヴァの母親は本当に嫌がっていたそうである。どれくらい臭いのか、いつか試してみたい。

●参照
ユセフ・ラティーフの映像『Brother Yusef』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャン・ルノワール『自由への闘い』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
アラン・レネ『夜と霧』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
『縞模様のパジャマの少年』


笠原清志『社会主義と個人―ユーゴとポーランドから』

2014-05-20 23:03:42 | ヨーロッパ

笠原清志『社会主義と個人―ユーゴとポーランドから』(集英社新書、2009年)を読む。

著者は、ユーゴ解体前のベオグラードに留学生として住み、また、ポーランドも研究のフィールドとして、決して一枚岩の物語でも、権力移行の物語でもありえない歴史を、個人の社会参加、個人史という観点から、両国を観察している。

ユーゴスラヴィアは、戦後、ソ連とは距離を置いた共産主義政権を運営した。それは、冷戦時代にあって、単に独自な社会を希求したということではない。チトーを含む主流派とソ連派との間には、陰惨な闘争があった。人々は、監視社会の下で、息を潜めて生きた。セルビアやクロアチアなどの間の民族主義による暴力的な衝突も、外部からは狂気としか見えないものであったが、それは歴史のひとつの帰結でもあった。

その背景には、著者によると、戦時中の虐殺事件(ヤセノヴァツ収容所など)に対して、ドイツとは異なり、事実と歴史を直視せず、政治的処理で対応してきたことがある。加害者と被害者とを明確に区別できない難しさもあった。それに加え、ドイツとオーストリアがクロアチアとスロヴェニアの独立を支持し、さらに米国が有害な善意で介入したことが、ミロシェヴィッチやカラジッチを生んだ。ある時点での、知性の欠如による民族主義の暴走、では片付けられない。

ポーランドでは、ソ連傘下の共産党支配に対し、ワレサ率いる連帯が抵抗し続けた。その結果、80年代には共産党はかなり無力化し、89年以降の東欧革命において、遂に、連帯が政権参加するにいたった。このことは、もちろん、否定しがたい偉業である。しかし、その一方で、ワレサの権力志向、さらには政権に参加し、大統領に選出され、政権運営したプロセスが、あまりにも非民主的であったことを忘れてはならないという。(これは、アンジェイ・ワイダ『ワレサ』を評価できない理由でもある。)

著者は、かつて共産党政権で権力の一端を握った者たちに対する追跡調査を行っている。かれらの中には、所与の環境下で、「誰かがやらなければならない」仕事をまじめにこなした者が少なくなかった。もちろん、それだけでは、ナチ官吏として自分の仕事をこなしたアドルフ・アイヒマンや、旧日本軍において率先してアジアの人々を殺した兵隊と、本質的なちがいはない。ただ、連帯の側にも、権力にすり寄り、組織の手先として活動した者も多かったことを、同時に考えなければならないのだと書いている。

そして、もっとも大事なことだが、多かれ少なかれ社会参加はなんらかの権力に加担することを意味する。著者の不快感は、その個人史における記憶が、各々自身によって微妙に修正されていることにあった。これも、何も東欧に限った現象ではない。

「・・・成立した政治システムは独自のメカニズムで人々を惹きつけ、彼らの夢や意志まで包み込んで動き始めることになる。このような国家や社会システムの下で、一般の人々は日々、何を考え、職場や地域でどのように生活していたのであろうか。
 この問いかけは、人々それぞれの立場の逆転を意味し、過去との関係で自らを相対化することを求める。つまり、市民一人ひとりが被害者ではなく、場合によっては加害者として過去の体制と向き合うことを求められるということなのである。遠い過去の場面や職場での自分自身を歳月の堆積の下から掘り起こし、今の自分の目で見つめなおさなければならない。」

●参照
アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』 


アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』

2014-05-19 07:31:00 | ヨーロッパ

アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』(2013年)を観る(岩波ホール)。ここでワイダの映画を観るのは、『コルチャック先生』、それから『灰とダイヤモンド』のリバイバル上映以来である。

レフ・ワレサ(ヴァウェンサ)。1970年頃から労働運動や政府批判を開始し、幾度となく当局に投獄される。つねに監視下にあり、また当局からも、運動内部からも、ときには市民からも、苛烈な批判を受けることもあった。それでも、ワレサは心を折ることなく、「連帯」を率いて、ポーランドの民主化を主導していく。そして、ついに大統領となる。

あらすじはこれだけであり、実際に、映画もほとんどそれだけだ。上映後出てきた観客のなかから、「ほとんどワレサの成功物語だけになっていた」、「投獄されて受けたはずの拷問が、なぜほとんど描かれないのか」、といった声も聞こえてきた。物足りなさはわたしも同じである。おそらく、ワイダは祖国の英雄に呑まれてしまったのだろう。

当局が国内的には威張りながらも、ソ連に対しては戦々恐々としている姿は興味深いものだった。

ところで、1980年に、ワレサの許をイタリア人女性ジャーナリストが訪れる場面がある。当然、建物の外で当局が監視しているのだが、そのときに当局が使っていたカメラは、ソ連Zenit(クラスノゴルスク機械工場)製のダブルラン・スーパー8(16mmフィルムの100フィートのリールを右左で2回使う8ミリカメラ)であるQuartz DS8-3に見えたが、どうだろう。


バルテュス展

2014-04-29 23:25:09 | ヨーロッパ

東京都美術館に足を運び、「バルテュス展」を観る。

さまざまな先人たちの影響を受けたらしい20代前半までの作品は、さほど面白くもない。ところが、25歳以降に描かれた、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』のための挿絵にいたり、バルテュスがバルテュスになっていることに気が付く。この変貌は誰の目にもドラスティックなものであり、思わずニヤリとさせられる。

それ以降の作品は、多様化と円熟があるのみだ。バルテュスの本質的な幹が、あまりにも偉大なる個性として迫ってくる。倒錯と変態性は隠しようがない、というより、奇跡的に作品として昇華している。また、本来の意味でシュルレアリスティックでもある。

傑作を次々に観ていて、「運動」ということばが浮かんできた。身体のパーツおのおのが、バルテュスの目と脳と手を通過して、もっとも欲望を体現するように置かれ、曲げられ、配置される。その結果、全体の調和などよりも、違和感と緊張感とが突出する。そして、このときの作品化の乗り物が、バルテュスにとって、身体をあらわにした少女だったのだろう。


ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』

2014-04-06 19:57:19 | ヨーロッパ

ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』(新潮社、原著2002年)を読む。

英国の住宅街、とある通りで生活する様々な人びと。

パキスタン系の家では、やんちゃな双子の兄弟が、外でクリケットをしたり、悪戯をしたり。やけに身の周りを小奇麗にした口髭の男は、近くでバンジージャンプを行う。いつも自分の車を洗う男もいる。ドライアイの若い男は、収集癖があり、記憶とともに缶詰に封じ込めようとする。眉にピアスをした若い男は、やかましい。老夫婦はいつも上品。

その中にいるメガネの女の子が、3年後、自らの妊娠と恋愛について語りはじめる。物語は、3年前の群像劇との間を行きつ戻りつし、絡み合う。

作者のいう「奇跡」(remarkable things)は、決しておとぎ話でない。むしろ、登場人物それぞれの小さな身のこなしや心の機微を丁寧に追うことで、物語の絡み合いが、一期一会の大事なものとなって見えてくる。つまりこれは、読者の物語にも転じうるものである。

マグレガーの最新短編集『This isn't the sort of thing that happens to someone like you』(Bloomsbury、原著2012年)は、随分「英国的」に、屈折した奇妙な魅力を持つものだった。この作品から10年を経たものであり、その間に、作者も20代から30代になっている。この興味深い変化を追うためにも、ぜひ、他の作品も邦訳してほしいところ。

●参照
ジョン・マグレガー『This isn't the sort of thing that happens to someone like you』


ベルナルド・ベルトルッチ『ラストタンゴ・イン・パリ』

2014-03-23 10:05:08 | ヨーロッパ

ベルナルド・ベルトルッチ『ラストタンゴ・イン・パリ』(1973年)を観る。

公開当時は性描写の凄さばかりが取り上げられたというが、さすがに40年以上前の映画であり、もはやさほどの過激さを感じることはない。しかし、主演のふたり(マーロン・ブランド、マリア・シュナイダー)は、この映画に出てしまったために、私生活でも散々な憂き目を見たという。1976年には、大島渚『愛のコリーダ』がやはり猥褻映画だとして大騒動の元となっており、両作品は時代にぶつけられた爆弾のようなものだったのかもしれない。 

そのような興味よりも、この映画の見所はたくさんある。

ヴィットリオ・ストラーロの撮影による黄色くハイコントラストな映像、舐めるようなカメラワークには目を奪われる。

オープニング画面には、いきなりフランシス・ベーコンの絵が2枚現れる。欲の塊となったふたりの姿でもあるようだ。

全編に流れ続ける、ガトー・バルビエリの塩っ辛いサックスも素晴らしい。 

このとき、マーロン・ブランドは40代後半(映画では45歳という設定)。醜さを発散する演技はさすがなのだが、実は、『ゴッドファーザー』も同じ年に公開されている。同じ時期に、かたや欲望を漲らせた中年男、かたや枯れたマフィアのボスを演じたということだ。ちょっと信じ難い。

●参照
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』(1987年)
ベルナルド・ベルトルッチ『魅せられて』(1996年)
ガトー・バルビエリの映像『Live from the Latin Quarter』(「Last Tango in Paris」を吹く)
ガトー・バルビエリ『In Search of the Mystery』
フランシス・ベーコン展@国立近代美術館
池田20世紀美術館のフランシス・ベーコン、『肉への慈悲』
『人を動かす絵 田中泯・画家ベーコンを踊る』