Sightsong

自縄自縛日記

中藤毅彦『Berlin 1999+2014』

2016-01-09 20:38:36 | ヨーロッパ

南青山の「ときの忘れもの」に足を運び、中藤毅彦写真展『Berlin 1999+2014』を観る。

『Winterlicht』(2001年)などに発表された写真群であり、1999年のベルリンを撮った作品はいくつも観たことがある。一方、同じ銀塩のゼラチンシルバープリントで焼かれた2014年の写真にあるベルリンは、明らかに、その15年前とは違うベルリンだ。陰鬱に底冷えのするような街、人間臭すなわち汚さの残る街ではなく、どこか小奇麗で、カラリとしている。

私の好みは古いベルリンである。それはもうない。ヴィム・ヴェンダースも、『ベルリン・天使の詩』(1987年)においてとらえたベルリンは、この世から消えてしまったのだとどこかに書いていた。

しかし、いずれにおいても、焼き付けられた粒子がすなわち光の粒々となって、光り、また沈んでいる。これが他にない中藤写真である。

ひととおり観たあと、中藤さんと、金子隆一さん(写真史家)とのトークを聴いた。

○写真表現にはテクノロジーが密接にかかわっている。中藤さんが『Winterlicht』を出すとき、古いグラビア印刷を求めたがそれはすでに廃されており、そのかわりに、当時日本に1台だけ残っていた東ドイツ製の印刷機を使った(それはもうない)。黒がべったりとのる特性があったからこそ、『Winterlicht』が完成した。
○1920年代にライカという機械が登場したからこそ、スナップショットが生まれた。中藤さんはOM-Dも使っているが、これも、液晶画面のライヴヴューではなくファインダーがないと受け付けない。
○これが写真の身体性だ。ノーファインダー撮影も、経験値に基づくものであり、AFではなかなか成り立たないものだった。
○中藤写真は光の写真、それは西日の光、夜の光。真実などではなく光を写している。また、都市も中藤写真も、街並みのパースペクティヴ、人のクローズアップ、モノから成る。それを撮る中藤さんは、写真集のタイトルにもなった「Street Rambler」なのだった(林忠彦賞を受賞)。
○また、中藤写真の光は北の光でもある(実際に、東南アジアなど蒸し暑いところが大の苦手だという)。なぜならば、中藤さんの原風景は、幼少時に訪れた北海道だからであり、とりわけ、納沙布岬から望遠鏡で視た歯舞・色丹という「外国」だからであった。
○中藤写真は、かつて、森山大道のエピゴーネンであると批判された。森山写真も、ウィリアム・クラインという先達なしには生まれなかった。しかし、同じであり、違っている。たとえば、ジャズの「ハードバップ」について語りながらも、ジョン・コルトレーンとマイルス・デイヴィスが明らかに異なっているように。
○このような批判は、写真文化を個人にしか帰着させなかった「観る者のリテラシーのなさ」から来ていた。いまになって、デジタルの普及、インターネットの普及、海外からの視線・批評の輸入によって、ようやく理解が深まってきたといえる。
○日本の写真には独特の大河のような流れがある。表現自体は、他国に比べ、その特性が際立っている。一方、日本の写真批評はお粗末な水準だ。

時代に逆行するかのように日本写真の特異性を語り、単純な相対化を拒否するおふたりの発言に少し驚いたのではあったが、それも、確かにガラパゴスであった日本の写真文化が持ちえたものか。

●参照
中藤毅彦『STREET RAMBLER』
中藤毅彦『Paris 1996』
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー


二コラ・フィリベール『かつて、ノルマンディーで』

2016-01-01 10:27:20 | ヨーロッパ

二コラ・フィリベール『かつて、ノルマンディーで』(2007年)を観る。

19世紀、フランス・ノルマンディー地方の農村において、悲惨な事件が起きた。ピエール・リヴィエールという若者が、自分の父親に対する酷い仕打ちを理由に、母親、妹、弟を鉈で斬殺した。

この「ピエール・リヴィエール事件」について、ミシェル・フーコーを中心とするチームが分析を行い、事件の因果関係の語られ方に関していくつものパラレルな言説体系・権力体系があることを示した(ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』、1973年)。それを基にして、同じ地方の農民を俳優として作られた映画が、ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)であった。映画は、フーコーが示すパラレルな言説の複数性を形にできず、裁く側と裁かれる側とを見せたに過ぎず、傑作とは呼べないものだった。

しかし、30年後、この別の映画によって、また別の言説があらわれる。撮る者と多数の撮られる者によるものである。撮る側もたいへんな苦労をしていた。フィリベールはアリオ映画の助監督でもあり、実の父が演じた箇所がカットされたという心残りもあって、再び、ノルマンディーに足を運んだ。

かつて俳優となった農民たちは、人生に映画という事件を刻まれていた。甘美な記憶として語る者も、複雑に顔を歪める者もある。人生を見つめなおすきっかけになったと言う者もある。日常生活では忙しくてあまり言葉を交わさない人たちが、顔を見合わせる。そして、肝心のピエール・リヴィエール役は、その後も俳優を志してジャック・ドワイヨンの作品に出演したりもするが、映画界が肌に合わず、神父になってハイチに住んでいた。何ということだろう。

あらたに不思議なパラレル世界を示してくれるという点で、この映画は傑作。

●参照
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)


ジョン・ボイン『The Boy at the Top of the Mountain』

2015-12-29 15:56:38 | ヨーロッパ

ジョン・ボイン『The Boy at the Top of the Mountain』(Doubleday、2015年)を読む。イランに持って行った本を読み終えてしまい、帰りにドバイの空港内で買った。ボインは、映画化された『縞模様のパジャマの少年』を書いた作家である。

パリの少年ピエロ。母親はフランス人、第一次大戦後に亡くなった父親はドイツ人。その母親も亡くなってしまい、孤児院に入る。やがて、父方の叔母がピエロの所在を突き止め、ドイツに呼び寄せる。そこはヒトラーがしばしば使っていたベルクホーフの山荘であり、叔母は使用人として働いていたのだった。危険がピエロの身に迫ることを考え、叔母は、ピエロの名をペーターに変えさせ、パリに残るピエロのユダヤ人の友達から来る手紙も止めさせる。

ピエロはヒトラーにかわいがられ、ヒトラーユーゲントに入り、権力の味を覚えていく。そのために、ヒトラーに逆らった運転手や叔母を死に追いやり、言うことをきかない初恋の娘を街から追放させることになってしまう。

そしてヒトラーも、エヴァ・ブラウンも、ヒムラーも、ゲッペルスも山荘から去り、ナチスドイツは戦争に敗れる。ピエロは拭い難い罪を抱え、いったんは何も話さないことを決断する。それは最大の罪であり、続けおおせることなど不可能だった。

ヤングアダルト向けに書かれた小説だけあって言葉は平易であり、とても読みやすい。その分、ステレオタイプで浅い物語だと思いつつ読み進めた。しかし、犯してしまった罪をどのように見つめ、どのような行動に出るべきか、かつての友だちとどのように接するべきかなど、簡単には答えの出ないテーマが次々に提示されることに気付く。良い小説である。

●参照
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』


フランソワ・トリュフォー『夜霧の恋人たち』

2015-12-25 07:21:14 | ヨーロッパ

ドバイからの帰国便で、フランソワ・トリュフォー『夜霧の恋人たち』(1968年)を観る。

軍を除隊になったダメ男。ホテルで働くがクビになり、その原因を作った探偵会社に雇ってもらうがまったく冴えない。潜入した靴屋では依頼人の妻のことが好きになり、結局は探偵を辞めてしまう。次に修理業者となり、以前からの恋人が敢えてテレビの修理を依頼してくれたために、その恋が成就する。公園でふたりで座っていると、ストーカーのような男が近づいてきて不安爆発。

若者の目の前のことしか見えない有様が支離滅裂なコメディとして昇華、色恋でさらに視野が狭くなったりして、じつに巧い。感情移入してしまう観客も少なくなかったに違いない。

わたしはトリュフォーの作品を熱心に観てきたわけでもないので知らなかったのだが、ジャン・ピエール・レオを主役とするダメ男もの「アントワーヌ・ドワネルの冒険」は『大人は判ってくれない』から連なり、その後結婚したり離婚したりというシリーズになっているのだった。ちょっと追いかけてみたいところ。

『大人は判ってくれない』(1959年)
『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』(1962年)
『夜霧の恋人たち』(1968年)
『家庭』(1970年)
『逃げ去る恋』(1979年)

●参照
フランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』


田中一郎『ガリレオ裁判』

2015-11-24 07:25:53 | ヨーロッパ

田中一郎『ガリレオ裁判 ―400年後の真実』(岩波新書、2015年)を読む。

ガリレオ・ガリレイは、17世紀に、ローマ教会の異端審問所により有罪の判決を受ける。言うまでもなく地動説を唱えたためだが、それは、後世に語り継がれるような「科学対宗教」の結末ではなかった。あくまでも、争点は、キリスト教においてその考えを許容できるのか、すなわち聖書に書かれていることを冒涜するものではないか、異端かどうかという点なのだった。

もちろん、既に天体観測により、アリストテレスによる天動説にはかなりの無理が出てきていた。本書を読むと、前世紀に新たな考えを拓こうとしたコペルニクスは、あくまで仮説として許容される微妙なものだったことがわかる。ガリレオの発見と論理展開が明晰であったがために、その微妙さまで直視せざるを得なくなったということだろうか。

それにしても、この異端審問と宗教裁判の膨大な記録が、ナポレオンの介入により失われたのだということには驚かされた。ナポレオンは、教会の後進性を論証するために、ローマからフランスへと資料を輸送させ(冗談ではないほどのオカネがかかった)、その後の失脚と復活の騒動の中で、消えてしまったのだという。

その18世紀は、ニュートンによる万有引力の発見とともに、科学興隆の時期でもあった。どうやら、このときに「それでも地球は動いている」というガリレオの言葉が後付けで追加され、固陋な宗教界とたたかった科学の英雄というストーリーが確立されたようである。そして、そのストーリーは今でも生きている。


玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』

2015-10-25 23:03:29 | ヨーロッパ

玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』(ちくま新書、2015年)を読む。

本書に描かれている歴史は、ヨーロッパが、数百年をかけて如何に世界を征服していったかという移り変わりである。

中世までのヨーロッパは、アジアに比べて軍事的にも経済的にも弱い地域であった。モンゴルにもイスラームにも、陸から勝つことはできなかった。世界を変えた手法は、海路というインフラ整備である。そして、それを利用したアフリカ大陸とアメリカ大陸からの収奪構造を構築し、ようやく、経済がダイナミックに成長をはじめた。

過度に奪うところを作らなければ回らない、血塗られたシステムのはじまりである。すなわち、開拓という名のもとに「ただ取り」する対象は、アフリカの奴隷という人的資源であり、南米の銀であり、ブラジルの金であり、ブラジルやカリブ海地域の砂糖であった。南米の銀は、石見の銀と同程度に中国の需要を満たし、それでこそアジアからものを買うことができた。一方、16世紀以降、明国では、銀本位の市場が成立していた(杉山正明『クビライの挑戦』)。

その概念がファジーではありながら、15世紀以降、はじめに主導権を握ったスペイン、ポルトガル、オランダといった海洋国家から、如何にイギリスが世界支配の帝国と化していくかについての分析は面白い。前者は国家がというより商人たちの欲による開拓に国家が付いてくる形、後者は国家主導の形。さらに、通信、保険、言語という新たなインフラによって、他者がそれに乗っかってくるしかない構造を作り上げた。ルールを作る奴が強いという、いまでも通用する法則である。

「ただ取り」構造を作り上げなければ、このような資本主義システムは回り続けることができない。それは例えば、アメリカが南米に、中国が内陸にその「資源」を求めたこと(デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』)、国家の内部でも格差を絶えず作りあげてきたこと(トマ・ピケティ『21世紀の資本』)。「ただ取り」資源は永遠に出てくるわけではないから、このシステムは今後も同じ構造ではありえないというのが、著者の見立てである。

この先を予想することは難しい。読後、では「ただ取り」資源が枯渇するなら、別の形で作り出せばよいのだと想像した。これまでは、戦争を企図せぬものとしながら、あえて緊張状態を作り出して、あるいは起きてしまった戦争への対応として、それに伴う活動(軍事産業)が成立していたのだとすれば、さらなるシステムの発展形は、先のことを視野に入れての破壊そのものである。そうすれば、さらにこの血塗られたシステムが回り続ける。

●参照
トマ・ピケティ『21世紀の資本』
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』
『情況』の新自由主義特集
ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』
白石隆『海の帝国』、佐藤百合『経済大国インドネシア』
杉山正明『クビライの挑戦』
上里隆史『海の王国・琉球』


ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』

2015-07-06 07:33:34 | ヨーロッパ

ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(白水uブックス、原著1984年)を読む。

ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』において、ボヴァリー夫人ことエンマの瞳の色の説明は茶色だったり黒だったりと矛盾しているという。フローベール(ここでは「フロベール」と翻訳)が作品を書くときに参考に使った鸚鵡の剥製は、1つならず残されているという。フローベールの情事や死には、まだわかっていないことが少なくないという。

この小説は、そういった疑問に答えるものでも、解き明かそうとするものでもない。むしろ、作家の生涯や小説が生み出された時代背景といった批評・評論の馬鹿馬鹿しさを、これでもかと笑い飛ばす小説である。読んで不快に思った文学研究者もいただろうね。さすがバーンズ(といって、あまり面白かったわけでもないのだが)。

●参照
ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(2011年)
ジュリアン・バーンズ『Pulse』(2011年)
ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(1857年)


ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』

2015-06-24 22:50:55 | ヨーロッパ

モンゴルへの行き帰りに、ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(新潮文庫、原著1857年)を読む。今年の新訳である。

19世紀、フランスの田舎。父とふたりで暮らす美しいエンマは、開業医のシャルル・ボヴァリーと結婚する。シャルルは真面目で誠実な男だが、冒険を志向するロマンチシズムも、はみ出した面白さも皆無であり、心のはみ出した部分こそが反乱を行うという機微を解することがない。逸脱に向かう潜在性を持ったエンマは、絶望的な退屈に耐えられず、女たらしの色男や、文化を愛する青年を激しく愛するようになる。そして、放縦すぎる生活が、やがて破滅をもたらすことになる。

今回の新訳は、原文の文体への忠実さを心がけたのだという。「自由間接話法」、すなわち、「私は」という直接話法に近いものではあるが、主体は「かれは」という間接話法。しかし第三者の言動や思考を、神の視点で語るわけではない。これがフローベールによる革命であったのだという。

そのように、語り手がつぎつぎに遷移していくことで、愚鈍かつ誠実なシャルルや、卑近なものにしか影響されない大勢の登場人物たちが世界を創り出していく様が、実に面白く描かれている。しかし、その中でもエンマは特別である。内奥のわけのわからないものに衝き動かされて、自己認識に至ることはできない。フローベールは「ボヴァリー夫人は私だ!」と言ったという。読者も、相対化できないエンマを主体として自己に重ね合わせ、「ボヴァリー夫人は私だ」と呟きたくなるにちがいない。


アルフレート・クビーン『裏面 ある幻想的な物語』

2015-05-02 09:35:23 | ヨーロッパ

アルフレート・クビーン『裏面 ある幻想的な物語』(白水社、原著1909年)を読む。

クビーンは1877年・チェコ生まれの画家であり、その後、ドイツでカンディンスキーらの<青騎士>に参加したり、多くの挿絵を描いたりしている。ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』(1920年)のセットにも参加の話があったが、本人が断ったとか、あるいは、制作側が「クビーン」を「キュビズム」と間違えたからたち消えたのだとかいう話がある。本書は唯一の小説。

ドイツに住む男は、インドとエジプトに旅に出ようと計画していた。その矢先に、かつての同級生の使者を名乗る者がやってきて、中央アジアに作られ外部には知られていない「夢の国」に招待する。その国は、古いものばかりが集められ、奇怪な人々が暮らす地であった。同級生は、魔物のような権力者として、国に陰のように貼り付いていた。数年後、国は獣や虫に侵略され、人工物はその形をとどめることができなくなり、人々は欲に溺れ、国が加速的に崩壊していく。

昔からクビーンは気になる画家だった。偏執狂的に、迫りくる死やなにものかへの不安を描き続けた人である。そのクビーンが、このような奇妙な小説まで手掛けていたとは知らなかった。ヨーロッパにおいて世紀末の記憶がまだ生々しかった時期であることを汲み取ることができる作品であり、また、アメリカという巨大な異物への警戒心のようなものも感じられる。

かれの作品は、ミルチャ・エリアーデローラン・トポールといった人々に影響を及ぼしている。さらには、この系譜はボルヘスら中南米文学や、スティーヴ・エリクソンらの現代アメリカ文学にも認められるものに違いない。作品としての完成度はクビーンの子たちによってむしろ高められるのだと思うが、しかし、そのオリジンに触れることができて嬉しい。

●参照
ローラン・トポール
ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』(表紙にクビーンの絵が使われている)
ミルチャ・エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』


ヤン・オーレ・ゲルスター『コーヒーをめぐる冒険』

2015-04-06 00:55:00 | ヨーロッパ

ヤン・オーレ・ゲルスター『コーヒーをめぐる冒険』(2013年)。

一応は飽きずに最後まで観たけれども。どうしても、ダメ男が出てくる映画は(それが自分に似ている要素があろうとなかろうと)、胸が痛くなるか苛々するか。この映画はその両方だった。何が「自分探し」だ。

それに原題の『OH BOY』が、なぜこの邦題になるのか。ポップなコメディでもなんでもないし。


メトロポリタン美術館のフェルメール、ティルマンス、キャリントン

2015-04-02 14:36:12 | ヨーロッパ

ニューヨークでは、フリック・コレクションの他に、メトロポリタン美術館でもヨハネス・フェルメールの作品を観ることができる。

せっかくの機会なので観ておこうと入ってみたが、なにしろ広すぎて話にならない。したがって、フェルメールと近現代美術に絞ることにした。「みんなのうた」に、「タイムトラベルは楽し、メトロポリタンミュージアム」なんて歌があったが、そこまで余裕を持って鑑賞できる人はいるのだろうか。

そんなわけでフェルメール。「眠る女」、「水差しを持つ女」、「リュートを調弦する女」、「少女」、「信仰の寓意」の5点が展示されていた。実際に観ての印象としては、「眠る女」以外にはさほどの神通力を感じなかった。しかし、一見可愛くないように見える「少女」であっても、肉体と空気との間が融合しているような光の描写には驚きがあった。


フェルメール「眠る女」(部分)

19世紀後半-20世紀の作品群については、ちょっと疲れていてだらだらと見流す程度。しかし、ヴォルフガング・ティルマンスが広角でないレンズを使って撮った建造物の写真群の上映は、こうして人間の営為を40分も続けてみせられると、何かを畏れる気にさせられてしまうものだった(実は結構寝た)。

また、レオノーラ・キャリントンの有名な作品に遭遇できたことも嬉しかった。英国で生まれ、メキシコで活動したシュルレアリストである。


ティルマンスの映像


キャリントンの「自画像」(部分)

●参照
フリック・コレクションのフェルメール
テート・モダンとソフィアのゲルハルト・リヒター


フリック・コレクションのフェルメール

2015-04-01 20:37:43 | ヨーロッパ

ヨハネス・フェルメールの作品を観るため(だけ)に、フリック・コレクションに足を運んだ。文字通り、ヘンリー・クレイ・フリックという人物が住んだ邸宅において、かれのコレクションが展示されている。

3点のフェルメールとは、「中断された音楽の稽古」、「婦人と召使」、「士官と笑う娘」である。特に後者の2点が素晴らしい。「婦人と召使」は、薄暗がりの中に浮かび上がる人物のエッジが溶けるようだし、「士官と笑う娘」は、窓から差し込む光を受けた娘の描写が美しい。光の研究をしていたフェルメールならではだ。

ところで、1999年に「手紙を書く女」、2000年に「恋文」が来日し足を運んで以来、「真珠の耳飾りの少女」も「牛乳を注ぐ女」も見逃している。いまはルーヴルで観た「天文学者」が来日中、また観に行こうかな。何しろ日本のフェルメール人気は大したものなので、混雑しているのかと思うと出かける気にならないのだが。


フリックのフェルメール3点

●参照
テート・モダンとソフィアのゲルハルト・リヒター


ミラン・クンデラ『冗談』

2015-01-12 01:02:55 | ヨーロッパ

チェコ出身の作家ミラン・クンデラ『冗談』(原著1967年)が、なんと、岩波文庫から新訳として出された。

これまでのみすず書房版(改訂版)は1991年にチェコで出版されたものを底本としているが、岩波文庫版は、クンデラ本人が全面的にチェックした1985年のフランス語版を底本としている。プラハの春(1968年)の後のソ連軍侵攻以降、クンデラの作品は母国において発禁となり、本人はフランスに移住するのだが、そのフランス語への訳出時に少なからず改悪がなされた。今回の底本は、それを含め、クンデラ自身が冗長な箇所を削ったりもしたものだという。したがって、これがクンデラの望む版だということができる。

それにしても、最近の岩波文庫は、ラテンアメリカ文学も含め、現代小説にも力を入れているようで大歓迎だ。

若く気位の高いルドヴィークは、共産党の仲間のガールフレンドを狼狽させようと、手紙に、「楽観主義は人民の阿片だ!」「トロツキー万歳!」などと書いた。もちろん若さゆえの軽々しい冗談だったが、そのことが発覚し、ルドヴィークは党に査問され、弁解も受け入れられることなく、党を追放される。かれの行先は炭鉱であった。

絶望と諦めの中で、かれは、イデオロギーや理想とは無関係なところで生きる女性ルツィエと出逢う。ルドヴィークはルツィエに性をもとめ、そのために彼女を失う。ルツィエは犬のように別の町に逃げた。

時が経ち、ルドヴィークは、おのれの人生を狂わせた男の妻ヘレナと出逢う。かれが実行したことは復讐であった。しかし、敵であったはずの男は軽々とイデオロギーを捨て、また、妻も捨てていた。

小説のプロットは斯様に恐ろしいものだ。冷戦時代にあって、東欧の共産主義国家という過酷なポジションや、全体主義の非人間性といった側面が注目されたことはわからなくはない。

しかし、この小説の価値はそのような政治的な背景にあるのではない。登場人物たちの独白がつぎつぎに入れ替わり、かれら・かの女たちそれぞれの声が時間と肉体を超えてお互いに反響するさまが、素晴らしいのである。反響は全体の構成ゆえのものでもあり、またその一方で、ひとつひとつの独白には哲学の襞が描きこまれている。そして、随所で語られるモラヴィア地方の伝統音楽が、作品全体に重なってゆく。洗練と執念とが同居しており、見事という他はない。読みながら感嘆し、唸ってしまう。

ところで、解説によれば、ソ連侵攻前に、この『冗談』がチェコにおいて映画化もされたのだという。映画化されたクンデラ作品は『存在の耐えられない軽さ』だけではなかった。

●参照
ミラン・クンデラ『不滅』


ジャック・ゴールド『脱走戦線』

2015-01-03 01:41:25 | ヨーロッパ

ジャック・ゴールド『脱走戦線』(1987年)を、VHSで観る。

原題は『Escape from Sobibor』、すなわち、『ソビブルからの脱出』である。ソビブルは、アウシュビッツ、トレブリンカ、マイダネクなどと並び、6つの絶滅収容所の1つである。絶滅収容所は強制収容所と異なり、はじめから、ユダヤ人を殺すことを目的として作られた(マイダネクとアウシュビッツは強制収容所を兼ねた)。映画では、収容されるユダヤ人に対し、当初は労働だと偽装している。

ナチスによるソビブルでのユダヤ人への対処は凄惨を極めた。しかし、家族が殺されても、ナチスに従わなければならなかった。脱走した者はすぐに捕らえられたため、囚人たちは、収容者全員(600人)で脱出することを計画する。そのために、示し合わせてSSたちを殺し、鉄条網を突破して森へと走った。見張りのウクライナ兵たちが乱射し、逃げる囚人たちは次々に倒れていったが、300人ほどは森へと逃げ込み、戦後も生き延びた。

芝健介『ホロコースト』によれば、この武装蜂起は1943年10月14日になされ、数十名が地雷原を超えて森に脱出したとある。人数のことはともかく、ユダヤ人がソ連軍捕虜(ルドガー・ハウアーが演じる)と協力して蜂起したことは史実に沿っている。同書によれば、ソビブルにおいてガス室が稼働していた約1年半の間に、約25万名が殺害されている。6室で1日に約1300名の殺害が可能であり、遺体は、長さ50-60m、幅10-15m、深さ5-7mの巨大な穴に遺棄されたという。

もちろん、使命感と義務感でここまで残酷になりうるのかということは想像を遥かにうわまわる。映画ではいかにもサディスト的なSSたちが登場するのだが、やはりアクション映画の閾を超えるものではない。なぜならば、個々の狂に耳を傾けなければならないからであって、それはプロットによって語ることはできないと思えてならない。

『ショアー』を撮ったクロード・ランズマンが、その後、ソビブル絶滅収容所について手がけたドキュメンタリー『ソビブル、1943年10月14日午後4時』を観ると、歴史を物語として語ることの困難さを実感する。

●参照
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』


アンジェイ・ワイダ『カティンの森』

2014-12-28 17:31:28 | ヨーロッパ

アンジェイ・ワイダ『カティンの森』(2007年)を観る。

1941年、独ソ戦争勃発。ポーランドにはこの2国が侵攻した。ソ連が捕虜としたポーランド軍将校たちは、1943年、「カティンの森」において、ソ連軍に虐殺された。当初はドイツによって国際的に喧伝されるが、ソ連は、戦争に勝利すると、このことをドイツの犯罪だとする物語を構築しようとする。ポーランド政府は、その嘘に加担し、異を唱える者を弾圧した。

友人や家族を誰が殺したのか嘘を付けない者たちや、強権政治と密告社会を恐れる者たちへに対する、ワイダの淡々とした視線が印象的だ。ことさらに告発し、あるいはヒロイックな物語にしたとすれば、この迫真性は得られなかったに違いない。

そしてまた、仮に日本において、史実を自虐史観だと攻撃する者と、それに怯える者とを映画化したと想像してみれば、この映画の凄さが実感できようというものだ。

●参照
アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』