現代風にアレンジした『スタンド・バイ・ミー』ではあるけれど、やはり少し違う。彼らは子供にして早、人生の苦難と悲しみを知ってしまった希求する子供たちであった。だからこそ奇跡をと願う、、。
お兄ちゃんが母親に、弟が父親にそれぞれ分けられ育てられることになる。昔はこんなことはあまりなかったことで、それぞれの親のエゴが底流に流れている。離婚は仕方ないことであるが、兄弟を分離させるのはもっとひどいことなのであると僕は思う。しかも、弟を父親につけると言うのはひょっとしたら子供に親を選ばせたのではないか、というもっと良くない想像さえしてしまう。
弟の悲しみは深く、それを嘘の笑いでごまかしている。それさえ気づかず、会いに来ない弟に自分から電話をかけている母親。兄も年を取っている分、分かろうと(みんなに迷惑をかけたくないという彼の優しさで)我慢しているだけなのだ。だから時々彼は「意味が分からん」という言葉をつぶやいている。
そんな彼ら子供たちが大勢で奇跡を実践しようと小さな旅に出る。悲しみはぬぐうことは出来ないが、現実は慣れることができ、何より時間と身内の愛情が後押ししてくれる。
彼らは小さなことを希求しない。兄は家族の再生よりもっと大きな「世界」を希求する。この「世界」という言葉に僕は少々戸惑ってしまう。ちょうどこの映画の裏側に秘められている東関東大震災へのイメージだ。「個人の願いごと」を超えて、よりもっと大きなところへの「飛翔」という観念が出現する。
この部分がちょっと作られている感じもなくはないが、それまでじっくりドキュメンタリー風に自然に撮っていた【是枝裕和】の顔が一瞬初めて垣間見える重要なシーンだ。
でもこれはこれでいい。だから劇映画足り得るのだ。『誰も知らない』で社会に刃を突き出した彼の一応の現代における位置表明でもある。大人が子供に悲しみを絶え間なくかけ続けているという意味では全く当時と変わらないのである。
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