この邦題はねえ、やはり困りものだ。題名だけで「ローマの休日」と「英国王のスピーチ」を連想してしまう映画ファンの不幸というか、、。
何のことはない、【モレッティ】はそんなこと十分ご承知である、。冒頭の法王の突然の死去のあとの法王選挙(コンクラーベ)、これは見事な描写。みんなぶつぶつ俺だけは選ばないでくれと念仏し、そして全く無名の人物を法王に選んでしまう子供じみた世界。これがかのヴァチカンの実態だ(だったら面白いかな?)と述べる【モレッティ】のひねくれ方がおかしい。
そして新法王はふらふら街に抜け出し彷徨した後捕まえられ、ヴァチカンに戻りサン・ピエトロ広場で信者に挨拶をする。苦悩のあと彼の取った行動は、、。
このラストはあの「息子の部屋」とほぼ一緒であり、特に感動めいた事件が起こるわけではない。ある意味一人の人間の自然な成り行きを追っただけなのであるが、一家族ではなく、ローマ法王という存在であることから、この作品の裏に隠れた【モレッティ】の尊大さと卑俗性が見え隠れする。
あのバレーボール大会も結局何が何だか僕には理解不能であるが、それ以上にチェーホフの「かもめ」の舞台の意味も実は僕にはこの映画を観終わって一番疑問に思うところなのである。
「かもめ」はある男と女の歳月という真実を冷酷に語った演劇であった。この法王になりそこなった男とどうかぶさって来るのだろうか、、。
映像はでも実に立派でしたね。
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