ブルジョアと移民層、肌の色、生活レベル、文化、そして身体障害者・健常者の違いをもってしても、友情というものはそれらが何の障害にもならないということをこの映画は教えてくれる。
いかにカネがあろうと身体不自由の身となったブルジョアは、雇われ人の自分に対する憐憫、あざけり、ビジネスタイプの応対から人間扱いしてくれないことへ憎悪と共に締観の気持ちにまで至っている。
そんな時、自分を人間と認めてくれる型破りの介護者と接することになる。それは忘れていた、または凍結させていた自分の感情を融解させ取り戻す過程の始まりとなるのだった。それは終わっていた、死んでいた自分を生き変えさせる出来事でもあった。
介護者の方も相手を尊重する過程で人間の本質を正しく見るようになり、見失っていた自分を取り戻していく。
何と美談であろうか。そして小説的であろうか。だがこれが実話だという。このことに映画を見ていた我々は実は感動することになる。この映画の強みである。
冒頭部の車の暴走シーン。それがラスト近くの彼らがいったん離れた後の時間軸だったことを知る巧妙なプロット。ふたりの人間的な自由空間の素晴らしさ。いい映画である。
でも一点だけ疑問。予告編の採用理由を告げる時の言葉。「彼だけは私を対等に扱う」が本篇では省略されて「彼の過去は問わない」だけになっていたこと。このセリフはこの作品の核となる部分だと思うのだがいかがなものでしょうか、、。
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