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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い (2011/米)(スティーブン・ダルドリー) 75点

2012-02-26 10:11:58 | 映画遍歴

めぐりあう時間たち』で本当に作りたい映画を作ってしまった【ダルドリー】の興業的な思惑から『リトル・ダンサー』へと回帰したいわば二匹目のどじょうでしょうか、、。

花瓶から見つけた鍵一つであんな大捜索をするなんてやはりちょっと小説的過ぎるなんて思ってしまうが、それが最後に単なる徒労であることに気づくのはちょっとひねりがあります。

母親も息子も愛する人の最後の声をあのときに、聞いてしまっていたという運命の至福。しかし転じて忌になることもあるのだ。この映画はそんな二人の行動を、緻密な構成でミステリー手法を使い映画的に見せてくれる。

愛する人の肉声を建物の崩壊音と共に電話機を通して聴くという人類まれな経験をしたニューヨーカーたち。こればっかりはそういうことに遭遇していない日本人には本当のところ分からないのだろう。この映画の主題はまさにそこにある。

私事で恐縮だが私ももうずいぶん前だが父親が入院しているとき見舞いに行こうかどうか迷って、結局はその日はゲームソフトを買いに日本橋に行ってしまったことがあった。父親はその二日後亡くなってしまった。連絡が入った時は家から時間がかかり兄弟のうち僕だけが死に目に会えなかった。

実はそのことが今でも心の闇にひっかかっているのである。何か重要な用事であればこういう気持ちにならないのであろうが、単なるゲームソフトのせいで父親に会わなかったのである。

本当に愛する人が事故で死んでしまう時にその瞬間の声を聞いてしまうということは実はむごいことなのである。ましてや、父親から電話が鳴っており、恐くて取れなかった少年の心はとてもつらく耐えがたいものであろう。日本人たる僕でもこの少年と母親の心情を察するに余りあるものがある。恐らく長く心の闇となって生涯残るのではないか、、。

痛いドラマである。でもさすがハリウッド、こんなつらい映画でも最後はハッピーエンドで終わらせる。アメリカですなあ、、。この作品から、第1クレジット順の【トム・ハンクス】の出番の少なさと存在感のなさを感じるとともに、つくづくアメリカ映画の商業性を感じ取ってしまいました。【ダルドリー】さん、少々あざといデス。


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