イギリス映画って市井の生活が見事に描写されているのが多いよね。この映画も最初そうなのかなあと思って見ていたけれど、どうも珍しく馴染めなかったかなあ。
男の寂寥感はまあそんなとこ。人生最後とは行かないけれど、60前で連れ合いを亡くし仕事もない男の日常ってそんなものだろう。八つ当たりをされる近所の人たちがある意味気の毒でならない。
一方、生活は上級クラスだが、肝心の連れ合いがDVで愛情さえ真実存在するのかどうか不明瞭な女がこの映画のキーポイント。
最初僕たちの前に出てくる時の彼女は敬虔なキリスト教徒。神を信じているように思える現代でも希有な女性として描かれる。ところが、ラストの近くでそれは大いに逆転してしまう。
でも、あんなことをしてしまったあとで、男の家に寄り、男の友人の葬儀にも出、何食わぬ顔で男の家で過ごす女に我々がどう思うかがこの映画の批判力のキーだと思う。ここで大いに考えてしまう。
やはりあの行為自体はさて置いたとしても、彼女の一連の行動は到底、愛を持って迎えることのできるものではない。僕はあのけがれた体(精神)で葬儀の場に出たことがどう考えてもまともな人間のすることのようには思えないのだ。
最後は究極の癒しのエンディングのようにスイッチングしているが、どうも僕はすっきりしない。何とも後味が悪い。ブラックな映画とも思えないので、イギリス映画にしては少しあざといなあとも思うのである。
でも後で調べると映画賞を多数取っているんだね。まあ毛色は変わっているけれど。
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