恥ずかしながら南河内万歳一座の演劇を見るのは今回が初めてです。それもお気に入り「空晴」との合同公演だから見たというのが真相で少々恥ずかしい限り。
で、いつも見ている「空晴」の役者たちを重要な役柄に起用したこの劇を見て、彼らがいつもとは全然違う演技をしていたのにまず驚く。
「空晴」の役者たちが他劇団の客演でいつも好演しているのは見て知っている。自前の劇団よりむしろ力を発揮している役者が多いのではないかとさえ思ってしまうことも知っている。でも、そういった印象とは今回また違うんですね。何だろう、、。
それはやはり内藤裕敬の作品で劇を構築しているものだから、彼らの役が内藤色に染まっているからだろうと思われるのである。なんだ、そんなの、当たり前だと思われるかもしれないが、これは重要なんですね。
今回の劇が題名通り「隠れ家」という抽象的で、SF的であり、さらにコミカル色を呈してはいるが、意味を考えても、過去と未来から現在の今を見据えるといったちょっとした別役モノに近い不条理ものではないかと思われるからだ。
内藤は正々堂々と不条理ものにしたくないのか、観客を楽しませるためか、男性役者たちに全員赤フンを強制したり、女性役者たちにはセーラー服を着せたりして、テーマの持つ真面目さから逸脱させてはいる。でも彼らの発するセリフはまさにまともな現代警鐘的なものが多いのである。
僕自身、この大きな包括的な劇をちゃんと理解できているわけではないが、内藤演劇を初めて見て、本格的な演劇志向を目指している劇団だなと思いました。
それにしても、「空晴」の面々のいつもとは違う人物造形の妙味と言ったら、これはいつもの「空晴」では絶対見られない代物ですネ。今年の演劇鑑賞でも白眉です。
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