一人の女性の人格を3人の行員に分散させた捉え方がまず面白いと思った。
不倫が始まる時の、そのざわざわ感は観客を巻き込み、気が付くと咽喉の渇きが覚えるほどだ。地下鉄の階段からすらりとした白い足が下りてくるその圧倒感はスゴイです。
何にせよ、頂上へ行き着くまでは結局人間は何でもしてしまうのだ。恋愛にせよ、仕事にせよ、趣味にせよ、上り詰めるために人はエネルギーを使い消耗する。だからそれが下降に向かうと、ひょんなことから精神性が見え隠れする。
銀行内のお局行員小林聡美や現代的風向計大島優子は、実は主人公宮沢りえの分身である。だから若い男と別れた後は大島優子は銀行を去り、その後の人生の清算を考えるに、会議室では小林聡美と対峙する。それはすなわち自分自身と向き合うことだった。
実はその前、宮沢りえは自転車に乗って信号機が青になっても前に進むかどうか迷った時がある。その時ふいと小林聡美が出現し、二人は昼食を食べる。小林は自分の希望しない異動について、「行くべきところに行くだけよ」という。それが結局は宮沢の脳裏に残ることになる。
そして再び会議室での対峙場面。二人は追われる・追いつめるという立場から一挙融合してしまう。強固なガラスの壁を椅子で割って、宮沢は小林と一緒に行こうと告げるが小林はとどまる。宮沢は走る。走り続ける。
そしてタイにまで来てしまう。もう分身だった若い女の部分(大島)もなくなり、硬いルール縛りの精神性(小林)もなくなり、彼女は初めて自由になる。なった、かに見える。しかし、そこで彼女が実際見たものは少女時代の原点となったトラウマを現実に思い起こさせるものだった、、。
この作品は本当に映画的には吉田の才能を彷彿させるものが映像のあちこちに溢れている。不倫という欲望でさえ頂上から落ちるとそこにあるのはただのどこにでもある日常に過ぎない。
今僕たちが生きていること自体「紙の月」ではないのか。生きていることが架空かもしれないのか。現実のすべての出来事が紙に書かれた絵空言だとしたら、、。
中々面白い作品でしたが、やはり女性目線の映画でもありましたね。吉田にしてはそこが少々残念かなあ、、。
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