水子供養ねえ・・・葬式との関連か、お寺と結びつけられるものであるが、それが一般に行われるようになったのは1970年代以降でかなり新しい現象とされる(たとえば最近の研究では、鈴木由利子「水子供養に見る胎児観の変遷」『国立歴史民俗館研究報告』第205集 2017を参照)。人工妊娠中絶の一般化とそれに対する反発の中で盛り上がってきた行為(という意味ではプロチョイス・プロライフ運動などとの . . . 本文を読む
どこぞの宮殿にでも迷い込んだかと思わせた後は、荒野と点在する石碑が私を出迎えた。
このような情景は日常的に馴染みがない(現代では強いて言うと工事現場?)という意味で、やはり異世界感を存分に漂わせている。否、それは正確な言い方ではないだろう。というのも・・・
美しい紅葉と剥き出しの地肌の共存がそこにはあるため . . . 本文を読む
門をくぐると、そこにはまた別世界が広がっていた。
駐車場からしてどこか異様な雰囲気を漂わせていたが、その正体を頭が論理的に整理する前に、その境内の趣は一瞬自分をラストエンペラーか何かになったように錯覚させた(←大げさw)。
この異世界感は、そもそもイリンクスを好む(というかそのためにこそ旅をしている)私としては最も歓迎すべきものだが . . . 本文を読む
恐山の寺へ入場という時に、瓦の支援(購入)に関する掲示が目に入った。
ふむ、サン=ピエトロ大聖堂修築のために免罪符が大々的に販売されたことなどを思えば、まあこういうのはあるあるだよね。もっとも、その案件を受けてマルティン=ルターは「神は金を受け取らない」、つまり免罪符による救いは欺瞞だして教会批判が始まり、それが宗教改革となっていったわけだが。
ただ、それに比べ . . . 本文を読む
むつ市を通り過ぎる前に廃校の垂れ幕を見て地方の実情を考えているうち、山道へ辿りついた。思いのほかなだらかな坂を上り続けていると、視界が開けた先には不思議な景色が広がっていた。
今は月曜昼だというのに、それなりの車が停まっているあたりはこの地の隆盛を思わせるが、何より紅葉と砂利、そして海と山という本来二つか三つぐらいに分かれているはずのパーツが合体した景色は、何とも不思議な異世界感 . . . 本文を読む
恐山を目指していると、その途中で「ほたて観音」なる像に出くわした。これが建っているのは陸奥湾が見渡せる広い敷地で、隣にローソンが建っているのが何ともミスマッチな感じでおもしろい。
まあこの観音に惹かれて立ち寄る人々のことを思えば、この併設は当然のことかな。それにしても、実に美しい景色であることだなあ。
きっとここは夕暮れ時 . . . 本文を読む
朝7時頃に起きて外に出てみると・・・昨日の寒さは嘘だったんや(゚∀゚)アヒャという期待も虚しく、やはり冷えるのは変わりなし。まあ日本海側にいた時の強風(体感では常時十数メートル級)がなく、晴れてるってのが救いか。体感では10度くらいだが、10月でこの気温ってまじ東北怖えー((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
昨日は青森を死の都とディスったわけだが、月曜の . . . 本文を読む
青森駅前に着いたのはもう20:00近くだったように思われる。
温泉で甦った身体もいささか疲弊していたところで早速ホテルの前にくると・・・ベンヤミンかよ!!うん、まあエキゾティックな響きがあるし、知っている人にとってはオシャレなネーミングだということで採用したんだろうが・・・
駅前にもかかわらず死亡中っぽい建物もあり、なんというか全般的に衰退の . . . 本文を読む
白神山地を出て不老不死温泉に浸かった後、その場で予約をした青森駅前のホテルに向かった(目指すは下北半島の恐山)。
もうすでに外は暗く、景色を見ながらのんびりと・・・という風情ではなくなっている。秋~冬で旅行に行かないのは、その時期にまとまった休みを取りにくいのもさることながら、景色を楽しむ時間が減るのが勿体ないと感じるからである(まあそれでも今年=2015年は日月休みという珍しい . . . 本文を読む
今回の旅行は4/30と5/1は快晴、5/2の夕方から5/4の午前中はメイストームの攻撃に苦しみ、その後はまた快晴というジェットコースターのような変化を味わった。
不思議なもので、ただ快晴が続くよりも、曇天の後の雨上がりの景色の方がよりいっそう美しく感じられるのは、やはり落差というものが人の印象に強く残るからだろうか?
雨上がりとのギャップという意味では昼の光がも . . . 本文を読む