ゆえに、細かい状況規定という「文脈」(平時の感覚では読み誤る)、そして鳴海孝之というキャラクターの「理解」が君望を批評する上で「最低限」必要だと私は言っているのである。孝之が「なぜそこで自分の意思を言えないのか」だって?それは例えば、相手がその言葉で容態が急変したり、自殺したりする可能性があると感じる場面にも適応できるのだろうか?これは極端な例だが、孝之が迫られている決断は大なり小なりそういった性格のものであることを忘れてはならない(それを理解してこそ、香月の言葉の重みがよりはっきりと感じられるようになる)。繰り返しになるが、このことだけは強調しておきたい。
私は鳴海孝之を生理的・感情的に受け付けないという反応を批判するつもりは毛頭ない。それどころか、孝之が特殊な状況の中で「リアル」に行動していることを思えば、プレイヤーの中に違和感が生じないほうが不思議とさえ思う。 私がこれまで述べ続けてきたことは、多くのレビューが単に孝之への感想を垂れ流すだけで、彼のキャラクターに必然性が存在するか否かには全くと言っていいほど触れていないという問題についてであった。数多くの記号やメッセージがあるにも関わらず、多くのレビューが「感情移入」という言葉を使っていることから、そこに提示された内容が、孝之の描き方の必然性・意味合いを前提とし、さらにその先を意識したものでないことは明白である。要するに、本文を読めていないレビューがほとんどと言える。もちろん、どんな作品にも「誤読」は付き物だし、ゆえに他人のレビューを批判することはあまりしたくない。だが、こと君望に関しては、あり余る情報の提示(それは同時に文脈規定でもある)がわかりやすい形でなされているという事実がある。しかもこれらは、専門知識も深い考察も必要ない。ただ普通に読んでいれば理解できる内容だ。ならば、(記号を無視して「感情移入」云々を問題にするといったように)そこから何も読み取ろうとしないのは、(演出等の)製作側の問題というより、プレイヤーの怠慢と言うべきだろう。そしてその要因の一つは、物語を「感情移入」できるか否かでしか計ろうとせず、作中の状況を把握することやキャラクター理解は二の次にしてしまうところに求めることができる。私が批判してきたのは、根源的にはそういった怠慢さと視点についてなのであった。それを改めて強調しておきたい。
私は鳴海孝之を生理的・感情的に受け付けないという反応を批判するつもりは毛頭ない。それどころか、孝之が特殊な状況の中で「リアル」に行動していることを思えば、プレイヤーの中に違和感が生じないほうが不思議とさえ思う。 私がこれまで述べ続けてきたことは、多くのレビューが単に孝之への感想を垂れ流すだけで、彼のキャラクターに必然性が存在するか否かには全くと言っていいほど触れていないという問題についてであった。数多くの記号やメッセージがあるにも関わらず、多くのレビューが「感情移入」という言葉を使っていることから、そこに提示された内容が、孝之の描き方の必然性・意味合いを前提とし、さらにその先を意識したものでないことは明白である。要するに、本文を読めていないレビューがほとんどと言える。もちろん、どんな作品にも「誤読」は付き物だし、ゆえに他人のレビューを批判することはあまりしたくない。だが、こと君望に関しては、あり余る情報の提示(それは同時に文脈規定でもある)がわかりやすい形でなされているという事実がある。しかもこれらは、専門知識も深い考察も必要ない。ただ普通に読んでいれば理解できる内容だ。ならば、(記号を無視して「感情移入」云々を問題にするといったように)そこから何も読み取ろうとしないのは、(演出等の)製作側の問題というより、プレイヤーの怠慢と言うべきだろう。そしてその要因の一つは、物語を「感情移入」できるか否かでしか計ろうとせず、作中の状況を把握することやキャラクター理解は二の次にしてしまうところに求めることができる。私が批判してきたのは、根源的にはそういった怠慢さと視点についてなのであった。それを改めて強調しておきたい。
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