反社会的勢力に関する閣議決定が示すもの:保身のためのポジショントークとそれが暗示する弊害

2019-12-20 13:26:33 | 歴史系

毒書会で出た話題の一つとして、反社会的勢力についての閣議決定がある。今の底が抜けた政治状況である程度のことには驚かないつもりだったが、さすがに今回のには驚愕している次第だ。

色々なところで批判記事も出ているので手短にしか書かないが、この閣議決定が公共の利益のためではなく自分たちの保身のためになされたことは誰の目にも明らかだろう。一般市民はもちろん、取り締まりにあたっている警察組織などにだって悪影響しかないのだから。

そして、この閣議決定のあり方から我々が連想したのは、治安維持法とその恣意的適用である(相方は『治安維持法小史』、私は『証言 治安維持法』とまるで示し合わせたかのように本を買っていたのには驚いた)。この法律は提出された段階から「朝憲を紊乱」・「社会の根本組織」といった文言が曖昧だと学者やメディアから批判が起こったわけだが、案の定曖昧な理由で逮捕・拷問・投獄された例は枚挙に暇がない。先に述べた「反社会的勢力の定義はない」というような、つまり行政府がその気になれば、民意を問う事なく弾圧の対象を作り出すことができるとこうもわかりやすく示した例はなかなかないのではないか。

しかも、治安維持法の肩を持つわけではないが、当時はロシア革命が起こって8年という時期でいわゆる世界革命の機運が非常に強く、独占資本主義と帝国主義が生み出した植民地と第一次大戦の惨禍にresistする意味で各地に共産党やそれに類する組織ができた頃であった(高橋是清内閣や加藤高明内閣といった、ゴリゴリの反共・タカ派とは言い難い政権で社会主義の弾圧に関する法律や治安維持法が成立している点に注意を喚起したい)。それにより政府が転覆される可能性があるとして政府が警戒したこと自体は、理解できる対応ではある(たとえばアメリカでも、この頃にサッコ・バンゼッティ事件のような冤罪による死刑が行われたりしていた。ちなみに私は別の視点も必要だと考え、『ゾルゲ事件』『ヴェノナ』『緒方竹虎とCIA』『原発・正力・CIA』などを読んでいるところである)。

しかし、今回の件は全くそれと趣を異にする。どうひいき目に見ても、せいぜい政府がその脇の甘さを糾弾され、それを逃れるための「決まり」をでっち上げただけである。繰り返すが、そこには何らの公共性もない。私はここで倉山満の『お役所仕事の大東亜戦争』を思い出した。つまり、明確な理念とか戦略的思考というよりはむしろ、ポジショントークと保身によって人が動き、そのキメラ的組織の暴走の結果としてアメリカとの戦争に突入したという話である。平時でさえこのような驚天動地の行動をする現政府を見ていれば、仮に複雑な国際関係と日々変化するシビアな状況に置かれた時、それと同様かそれ以下の対応しかできないであろう、と想像するのは容易である。

そんな政府が、憲法改正を謳っているのはもはや茶番を通り越して悲劇でしかないが、逆に言えば憲法改正を掲げながら、先のような行動・言動ができてしまうあたり、人の保身にかられた行動の恐ろしさ(cf.アイヒマン)を思わずにはいられない。そして、安倍政権を支持するという大澤昇平が己の発言の謝罪にあたって「AIの過学習」だとして驚愕の自己正当化を図ったあたりも、なるほど類は友を呼ぶとはこういうことか、と思う今日この頃である(やたら自分を東大特任准教授だと誇示したがる権威主義的パーソナリティなども、劣等感の埋め合わせと考えるとわかりやすい)。

ちなみに、今回冒頭に掲載した動画は今述べたことと通じるものだが、他者への理解、すなわち己と他者との交換可能性を思い相手の文脈で思考できるようになるのが重要というのは全くのところ同感だが(この話は鷲田清一や平田オリザの文章に拠りつついずれ触れるかもしれない)、その点についてはネタとして(笑)あえて真逆の状況を書いた「ユニコーンの角はどこへ行く?」を参照していただき、おそらく日本はそれと全く逆の状況に突き進んでいくであろう(つまり社会全体はもちろん、私的関係性も劣化が止まらない)と予言しつつ、この稿を終えたい。


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