ひぐらしのなく頃に 業:新ED「不規則性エントロピー」2番の歌詞と考察

2021-02-08 11:42:42 | ひぐらし

前回は「不規則性エントロピー」1番の歌詞について考えてみたんで、今回は二番の方をやっていくよ~(マスオ並感)。

 

 

〇群がる価値観に 芽生えゆく不信 視線は宙を舞い 狂気に囚われ

第18話の展開も踏まえると、学校や村が「開放的」になったことで様々な価値観に晒されることになり、人の流動性が高まって不信感が生まれ・・・とかそういう感じなのかな?だとすると、「外の世界を見たいAとそれまでの閉じた世界で一緒にい続けたいB」という図式でいずれ書こうと思っていたが、「シュガーラッシュ・オンライン」のラルフとペネロペみたいなことになってくるなあ(ラルフ=沙都子、ペネロペ=梨花)。

だとすると、「シュガーラッシュ・オンライン」は現代のグローバル化による(過剰)流動性と多様化、それによる社会変化と不安(中間層の没落や分断、移民排斥や陰謀論の跳梁跋扈→『全体主義の起源』とリンクする)を背景にしているので、「ひぐらし 業」をそういう風に読み解くこともできるだろう。

 

〇正しい事や 人の痛みさえも いとわない 異形文脈 かなり重症

ここで気になるのが、「人の痛み」はともかく、「正しい事」を「いとわない」とはどういうことなんだろうか?「いとわない」わけだから当然マイナスのものを否定しないみたいな使い方をするわけで、これはどうも引っかかる。まあとりあえずは、「昭和58年」における「北条沙都子」が梨花を屈服させる(雛見沢を認めさせる)動きを表現したもの、ぐらいに考えておくのがいいのかな。

 

〇命さえ 行方も分からぬ 忌まわしき 小さなこの世界で

旧ひぐらしならSSRの赤坂でさえむしろ自分を殺す犯人となったわけで、まあこういう表現になりますわな。

 

〇絆はずっと 離れたくない 君のその 真っ直ぐな瞳

沙都子→梨花の話だろうが、前回述べたように羽入→梨花というベクトルもありえる。

 

〇変えられる 新しい明日 理想並べ(不安を) かき消したいだけ

これは「昭和58年」を生き延びようとする梨花のムーブを指してるのかな?ただ、沙都子とも重ね合わせることができるように思う。

 

〇真実を知らぬまま 沢山の想い出と 風強く 吹きつける 大いなる海へ出る

「大いなる海へ出る」は雛見沢の外の世界に行くことを意味するのだろう(「昭和58年」の外という可能性もあるが、今のところはそう解釈する必然性がない)。「真実を知らぬまま」ともあるから、これまでの自分の解釈からすれば沙都子が自身が両親を殺めてしまったことを知らない状態で梨花とともに聖ルチーア学園(ではないとしても雛見沢とは遠い所)に進学したということなのだろうか?

そしてそこで新しい環境に馴染めず、そこに何らかの形で真実を知ってしまった→沙都子の暴走が始まる、とか?

 

〇幼き動機の共鳴 結ばれた糸先は 狂気と惨劇の舞台へ 繋がってる

これは1番と同じだが、何回も繰り返されているあたり、非常に重要なフレーズだということがわかる。

前回はこれを羽生と沙都子の二人の共鳴か?と解釈したが、「幼き」という形容詞からすれば、あるいは梨花と沙都子がそれぞれ全く別の動機づけをもっていたのに、それが結果的に「昭和58年」を作り出してしまったという意味にも解釈できる。

一応言っておけば、郷壊し編冒頭の描写からは鷹野と「北条沙都子」を重ね合わせて描いていることを予測できるため、田無美代子と沙都子の動機づけ(ともに理由は違えど「梨花を殺す」ことを手段としてある目的を果たそうとしている)が共鳴してるという解釈もできなくはないが、鷹野がほとんど背景のような存在として描き続けられ、まして彼女の幼少期=田無美代子の話は一切描かれていないので、その二つが繋がっているという意味の歌詞だと考えるのは難しいだろう。


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