フラグメント245:AIの「奴隷」、ロシアとジャイアンリサイタル、学校であった怖い話

2024-03-09 16:50:17 | フラグメント
 
 
 
 
今回の覚書は3つとも何に繋がっているのかが自分でもトレースしやすく、1つ目の<舟木亨>は2019/01/01に投稿した「自由意思でAIの『奴隷』になっチャイナよ!」の元になったもの。
 
 
要するにAIが人間を支配するディストピアを云々みたいな話があるけど、仮にそれがあるとしても、それは「AIが自らの意思で」人間を支配するのではなく、それがシステムの根幹となる中で、勝手に人間がそれなしには生きられなくなる=自由意思で「奴隷」になる、という話。そもそも多様性や自由意思を尊重すべしという理念の元に運営される現代社会においては、『1984年』などで描かれる直接的に人間に指示を出し思い通りに動かす近代的なやり方よりも、環境を整備して相手が自由意思で動いていると思わせつつ、実はこちらの望むようにコントロールしているという生-権力的な支配が好まれる。
 
 
それはマックの椅子など様々な場所に取り入れられている訳だが、AIもまたアナリティクスを反映させて嗜好が合いそうなものだけ個々人の前に陳列するといった形でアーキテクチャー、つまり環境をそもそも作り変えるタイプのコントロールを行うのであり、その便利さ・快適さに乗っかっているうちに、もはやそのようなコントロールされざる環境の不快さ(ノイズ)にどんどん耐えられなくなっていくことなどにより、自由意思でAI的なるものの「奴隷」化していくだろう、という話である。
 
 
ただ、この段階では以下のような視点はまだ表れていない。すなわち、AIの「進化」に対する人間の反応や関わり方も多様であるため、それが今すでにある分断をさらに拡大していき、社会における共生をますます困難にしていくのではないか?そしてそのようにして実りが少なくなった他者との共生を厭わしく思い、AI的なものへと「退却」する人間がさらに増えていくことで、人間の「退化」がますます進んでいくのではないか?と。
 
 
2つ目はウクライナ戦争以降引っ張りだこになった小泉悠の2018年の動画の感想で、ロシアが周辺国を従え会議などに召集するあり様を「ジャイアンリサイタル」=誰も望んでないけど行かざるを得ないもの、として喩えていたのがあまりに秀逸で書き留めたもの。2019/01/02に「ロシアの世界戦略:その世界観と戦い方」という記事に当時まとめている(今思えば、旧共産国を従える大国主義をさらにブーストするものとして、ネオ・ユーラシア主義が影響していたということなのだろう)。
 
 
なお、共産主義が崩壊した旧共産国で自殺率が悲惨になったことは有名な話だが、これは共産主義が崩壊して急速に資本主義化することの中で生じたアノミー的要素に、貧富の差の拡大などが追い打ちをかけたものと思われる。この葛藤や混乱の様子は、『戦争は女の顔をしていない』のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチが聞き取りを記録した『セカンドハンドの時代-「赤い国」を生きた人々』などで生々しく記録されている(全くの余談だが、自分が「papers,please」をプレイした時素直に感銘を受けたのは、主人公が亡命する側になった時の交換可能性にまつわる秀逸な演出なども去ることながら、旧共産国のウズベキスタン旅行で感じた朝令暮改的指示を実体験したことだけでなく、こういう書籍での知識と重ね合わせることができたからだろう)。
 
 
3番目の「学校であった怖い話」に関する記事は2024年の年明けにも書いているので、まあ自分に与えた影響の大きさがうかがえるというものだが、ここでの覚書は2019/01/07の「学校であった怖い話の『傷痕』」という対話篇形式の記事にまとめている。おそらくここで題名を「傷痕」としたのは、前の記事での「ノスタルジー」という表現はいささか牧歌的に過ぎ、澱のように記憶の底へ沈んだ恐怖や不気味さなどもまたこの作品が印象深い理由なので、そのような側面も含めたこの文言を採用したように記憶している。
 
 
 
 
2018/12/31~2019/01/02
 
〈舟木亨〉
パロール、エクリチュール、メール。
 
時計に縛られる私達。しかし私達は自分を時計に支配されているとも、奴隷とも思わない。自由意思が担保されているからだ。すくなくとも、それがひどく毀損されているとは思わない。
 
スマートフォンならどうだろうか?SNS、地図、評価、動画、ゲーム。スマホの奴隷とは思わないが、それでも一寸迷った上で自由意思が担保されているからと答える。いくらデータ化のリスクを言っても、もはややめようなどとは思わない。
 
それは有り余る便利さも去ることながら、コミュニティから自動的に排除されてしまうからだ(SNSが使える人と使えない人の隔絶。電車の時間やルートなど「そんなもんスマホでしらべろよ」という言葉が象徴する、情報収集能力)。
 
このような歴史と現状を思う時、我々は「人工知能に支配される」のではなく、「自由意思でその奴隷になる」との予測は荒唐無稽なものではあるまい。
 
時計もスマートフォンも、我々を支配しようと意思しないし、ゆえに従わなかったからといって憤慨したりしないし、壊れるわけでもない。しかしそれにもかかわらず、我々はその示すところに粛々と従っているではないか。
 
これだけなら、塩の奴隷、水の奴隷では?という反論。人間の動物性に注目するという意味では正しい。自由意思があって選択できている、ということが奴隷ではない証?それは愚かな誤りだ。
 
端的にいえば、人工知能の発達した未来を思う時、我々は専らパノプティコン的なものを誤って想像してしまっている。
 
しかし正しくは、マックの椅子が私達を生理的にコントロールするように(そこでは我々は自由意思が毀損されたとは思わない)、人工知能は我々が自由意思を侵されたと思うことなく、我々をコントロールするのである。
 
 
〈ロシア=ジャイアンリサイタルの喩えが秀逸〉
 
小泉動画。
共産主義崩壊。自殺率が大変なことになった。
 
ロシアのプレゼンス拡大。トランプのシリア撤兵、ブレグジットの混乱、米中対立。原油価格の下落は相変わらずきついが、サウジなどの政策もあって戻る可能性?ラトビアの話。またロシアが侵攻してきた時の備え。ハンガリーやチェコと違い、ロシアの悪夢に何度も苦しめられたポーランドはゴムウカが民主化運動を沈静化させ、軍事介入を防いだ。それはたった60年前のことなのだ。そしてウクライナ問題。
 
ロシアが世界をどう見ているかの話が極めて説得的でおもしろい(これは肯定ではない。しかしゲームの対戦相手の思考・志向・嗜好を知るのは定石中の定石だ)。一つの地域の自立はもぐら叩きの始まり。中国も同じ問題を抱える。だから自立傾向は承認しないし、どころか積極的に叩き潰しにいく。これを元に北方領土の交渉も考える必要がある。ロシアによほどの旨味がないと無理。「正論」言えばわかってくれる、なんてのはウェーバー的に言えば政治的未熟児と同じだ(正論を言うことが正当性を担保する、即ちこちらの立場を強化する材料として重要であるのと、だから相手もそれをわかってくる、受け入れてくれる、ということの間には巨大な溝がある)。
 
ソルジェニーツィンの話は非常におもしろい(愛国者であるがゆえに政権の腐敗を批判する)。複雑性に目を向けろと最近よく書いているが、まさにこういうこと。私が想起するのはアメリカの核開発とソ連のスパイ。上手くいった理由は、左派的な発想を持っていたり、アメリカが帝国化することを懸念したフックスなどの研究者たちが情報を流したから。フリッツ・ハーバーのような愛国者ばかりというわけでは無論ない。いやむしろ、「アメリカのためにもそう行動した」というのが真実なら、「そも愛国とは何か?」とすら考えさせられる一件。
 
 
〈無題〉
新堂、風間、荒井を足して3で割らない。雫と同じ。mythでありながら、同時にそれを否定する構造をも内包した稀有な作品。スーファミの最高傑作。他はロマサガとドラクエ。圧倒的なMYTH 。学怖は同時にそれが ~に過ぎないことを示す。隠しシナリオ2を出すために繰り返し繰り返しプレイする中でメタ視点が身に付いていったという意味で、自分に大きな影響を与えた作品でもある。
 
無印とSの違い。
学校という共通の記憶。
ホラーの舞台。海外ではほとんど見ない。
七不思議。トイレ、公衆電話、プール、屋上、理科室、
こういったアーカイブを元にしている。
ドラゴンボールやガンダムネタと同じ。
さて、今の視点が妥当とすると、無印の方が受け入れられる理由は容易く説明できる。
画像の粗さ、クラシック。対してSはケミカル、ノスタルジックより近未来(アパシーも同じ。生理的嫌悪感を催す話が増えたが、記憶にまとわりついてくるようなものは少ない)。音楽も同じ。
仮面の少女とその曲。
ノスタルジーと言うけどスンバラリア星人は?「ウルトラマン的懐古」で説明できる。最もよく表れているのは、エンディング。無印の名曲。スタッフロールだから長いというのもあるが、おどろおどろしさがない交ぜになった郷愁。これこそが無印の~そのもの。どっちのエンディングでも画像が違うだけで曲は同じ。どのような意図があるかは不明。しかし受け手としては、生き残ろうが死のうが、そこには複雑な感情と、それら全てを内包した郷愁があると印象付けられるのではないか。
一方で、Sは生き残るか死ぬかで曲が違う。それはいい。しかし、どちらもあまりに複雑さを欠くという意味において安っぽい。死亡はスプラッター映画。生還は郷愁誘ってますよ~なもの。複雑な はそこにはない。明らかに狙った安っぽさにうんざりする。
 
無印がいいというのは、最初にそちらをプレイしたからでも懐古廚でもなく、話の内容に即した根元的な理由が関わっているのではないか?そのように思うのである。

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