フラグメント242:文書行政、MRI、ストレートネック

2024-03-03 16:40:23 | フラグメント
今のスマホを買ったのが2018年6月だが、覚書をちょいちょい記録しているうちに755件も溜まってしまったので、君死に給わぬうちに即ち放出してみんとてするなりと。ちなみに3件ずつまとめても250以上になるという事態で、2日に1件書いても1年以上持つとかもうこれ意味わかんねーな( 。∀ ゜)。
 
 
なお、前のフラグメントは3年半前のコロナ禍真っただ中で、なぜこれから期間が空いてしまったのか我ながら謎だが、とりあえず2018年に行った「フリーザ様を超えるドッグ」の話=2018/12/19の続きとなる。
 
 
最初の「文書行政」は旧ソ連時代の記録の話かな?ただ文書行政とか言いながら、何で「記憶し続ける」みたいな話になっているのか意味がわからん。あるいはもしかすると、『戦争は女の顔をしていない』とかに絡めてオーラル・ヒストリーなんかのことを言おうとしたのだろうか?仮にそうだとすると、「記憶と記録」みたいな話なのかもしれない。
 
 
ところで、私が前述の本で最も印象的だったものの一つは、「帰ってきた女性兵たちへの侮蔑の眼」である。私はこれに対し、全身の血が沸騰するような怒りを覚えたことをいまだに記憶している。「命をかけて戦ったわけでもないお前ら銃後の人間が、いったいどの口で彼女たちを愚弄するのか」と。そして「もし彼女たちを冷笑する資格のある者がいるとしたら、それはともに命がけで戦った戦士たちか、または命がけで反戦運動を行った者達のどちらかでしかない」と。
 
 
お前らは単に、状況が変わったことでそれを皮肉れるだけの、恥ずべき日和見主義者に過ぎない。それは日本で言えば、戦中は「鬼畜米英」に乗っかりながら、敗戦するやいなや「アメリカさんありがとう」とのたまい、その薄汚い舌で帰還した元特攻兵たちを罵る連中のようなものだ。
 
 
なるほど失敗や悲劇を繰り返さないためにも、冷静にかつ厳しく分析していくことは必要だが、それは当事者たちに向ける馬鹿げた嘲笑を何ら正当化はしない。
 
 
そして先人たちが起こした行動の軌跡を戒めとして知るためにも、記録とは極めて重要なものである(だから例えば、『日本海軍はなぜ過ったのか』などで取り上げられる「海軍反省会」の記録・証言などが重要だったりするわけだ)。それをなおざりにする組織には、堕落と衰弱死あるのみというのは、2023年の閉鎖的組織の腐敗ぶりの数々を見れば、思い半ばに過ぎるというものだろう。
 
 
 
〈文書行政〉
ロシアの話。「忘れないこと」。人は忘れる。ちゃんとしていることのバロメーター、記憶し続けることの大切さ。
 
森友。外交文書捨てた。医学部入試操作。今の社会がデタラメの上に成り立っていることにまず気づけや。
 
今さら変えられないならいいじゃん、だって?それが今を、そして未来を拓くかもしれないことに気づかない。
 
思うに、「日本大スキー」などとのたまっている連中の多くは、実は日本が大事と思ってるのでも、日本が好きなんでもない。「他に何もない」から、「ただそこにしがみついてるだけ」で、でもそれだと不安だから、それを正当化する欲望にかられるのである。だからこそ、それを否定されると、感情的反発をする。蓑田胸喜や原理日本社。なるほど狭い世界しか見ないとこんな思い違いをするな、という格好のサンプル。
 
 
〈MRI〉
音がおもしろい。ファミコン。クールベ先生による高速石割り
 
内視鏡検査。イラマチオ。異がキレイ。大腸。ヴァージニアは失われた
 
 
〈無題〉
ストレートネック対策、脂質代謝異常、ヘルニアではない。やや動脈硬化の兆候あり。

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