感想:『日本人のしつけは衰退したか』

2005-10-14 14:41:52 | 本関係
1999年講談社現代新書。著者は教育史・社会史を専門とする広田照幸氏。

「家庭のしつけが衰退している」…そんな現代の認識の虚実を、データを利用しながら農村・都市という区分や階層にも目を向けつつ分析している。例えば老人からの聞き取りにもとづき、「昔は家庭のしつけがしっかりしていた」という認識が誤りで、家庭ではしつけに関して放置・無関心という状況で、若者組などといった地域共同体がしつけをする役割を担っていたことが明らかにされている。さらに、現代の「教育する家庭」(しつけ・受験等に熱心な家のこと)が明治期の新中間層に端を発していることを紹介しているが、当時の家庭教育の本や受験の心得みたいなものが、余りに現在と共通していてのには苦笑した。

また、学校が、特に農村においては村の風習・しつけなどと対立する存在であったこと、そこでは「読・書・算」だけやっていればいいと考えられていたこと(=しつけとはほとんど無関係)は大分イメージと違っており驚いた。

こういった傾向が、戦前・戦後・高度経済成長期という時代の流れの中でどのように変化していったのか、それはどのような実態の変容に伴うものなのかということをデータなども利用し明らかにしているのだが、一言で言えばそれは「地域・階層といった差異の縮小」であった[地域区分や階層といった視点を設定していたことによってこの変化がよくわかるようになっている]。

結局のところ、「家庭のしつけの衰退」という認識は、しつけを行ってきた家庭が衰退したからではなく、家庭にしつけを求める傾向が一般化してきたことから生じているのであった。このあたり、学校に多くを求めたり、習い事をさせたりする親の精神性といったものも分析されており興味深い。また、そのような認識と「総中流化」が相まって非行の問題が大きくクローズアップされ、それが全ての親への危機感としてフィードバックされていくという構造も勉強になった。

ただ、多くのデータを利用しているが、数値の差異を誇張しているように感じられる部分が散見されたのは気になった。また著者の専門でないためか、えらく描写が平板になっている時代もあった。とはいえ、「しつけの衰退」という認識の虚実を実証的に分析し、「昔の家庭での厳しいしつけ」というものが過去の理想化に伴う「回顧の誤謬」であることを証明するとともに、そのような理想化がなぜ現れてきたのかということまで目を向けている点はすばらしい。教育関係に携わる人もそうでない人も一読する価値があると言えるだろう。

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