『ダンジョン飯』10巻ではラストに向けて話が動き始めた(終幕の舞台設定を整えている)感があったが、第9巻の感想を踏まえてそれを整理しようと思っているうちに時は過ぎ、いつの間にか11巻が発売されちまったでおやっさん(´;ω;`)
さて今回は、表紙が翼獅子ということもあり、いよいよクライマックスが近づいていることを否応なしに感じさせる(他に表紙を飾るものがあるとしたら、可能性としては全キャラ集合[=あと1巻]しかないし、あるとしても既存キャラが迷宮の主として変異したもの≒新キャラぐらいしか想定できない[=あと2巻])。
これから読むという人もいるだろうからここで詳しくは書かないが、一読して象に残ったのは二つである。
1.悪意なき行為のおそろしさ
これはシスル、翼獅子の両方で描かれているので多分意図的だろう。もう少し補足するなら、両者とも「わかりやすい悪」としては描かれていないのである。
そもそも九井諒子作品はわかりやすい二項対立的構造、つまり勧善懲悪や因果応報を描かない。たとえば「人魚禁漁区」(『竜のかわいい七つの子』所収)・「進学天使」・「現代神話」(ともに『竜の学校は山の上』所収)などは、「善意が必ずしもハッピーエンドを約束しないこと」を描いているし(「共生とは何か」と表現するのが正確か)、「帰郷」・「魔王」・「魔王城問題」(全て『竜の学校は山の上』所収)では、「敵ー味方という図式が相対的なものに過ぎないこと」を描いている(あるいはオフビート感のある作風とも言える)。こういった作風からすれば、さもありなんという印象ではある。
「悪」はいかにもな悪の顔をしては描かれないし、それゆえに「こちら側と交換可能な存在」なのである。
2.願望ってそんなものだったの?
シスルとカブル―の二人に共通して出てくる話なので多分意識していると思われる(前者はよーわからんけど)。これはライオスにも当てはまるのだが、これは「何でも望みうる」(代償がないとは言ってない)状況なのに、大きな欲望をかなえようとするわけでもなく、ささやなか願いを託して終わる、といった展開を暗示しているのかもしれない(最も極端な例で言えば、「魔法少女 まどか☆マギガ」のまどかの願い=究極の利他的行為だが、それは誰からも認知されない、のようなものかもしれないし、最もネタ的に言えば不老不死を願えるのに「ギャルのパンティお~くれ」と言ったnice pigを例に挙げることができるw)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます