ゆっくり解説には色々あれど、(特に)茶番を用いた軽妙な話運びという点では、「五回目は正直」と「右京大夫政元」が思い浮かぶ。前者はマスコットキャラ(笑)たるシャルル禿頭王のちょいちょい入る突っ込みや登場人物たちの和約を結ぶ際の「いいよ(怒)」などのセリフが秀逸(これほど動画を聞き流しでなく画面をちゃんと見ておきたくなるゆっくり解説はそう多くない)。後者は、同時代資料の『二水記』を「デスブログ」と呼んでみたり、当時の状況を歌にしてみたり(短歌や狂歌とは言ってない)とそのフリーダムさが魅力的と言える。
そして両社とも、ちゃらんぽらん洒脱なネタの応酬に見えてきちんと下調べをしており、無茶苦茶な掛け合いをしながらも、そのカオスっぷりが中世という世相をある意味適切に体現していているところが特に印象的である(この点、前回取り上げた「世界の奇書をゆっくり解説」と大きく性質を異にするが、独自性というその魅力という意味では類似するものがあると言える)。
とまあ二つのチャンネルを紹介&称揚したところでそのおもしろい動画をもう少し提示しておきたい。たとえば「右京大夫政元」の方では、「星空のディスタンス」を元にした「細川のディスタンス」が最近発表されている。
歌詞もよく考えられてる上に、歌がフツーに上手いのがもうねwwwてか「権権権勢」(前前前世)とか「忠義心」(羞恥心)とか、替え歌の年代幅が広すぎるwwwしかしこれらは、「政治風刺(笑)」という意味では、川柳や狂歌のエートスを受け継いだ作品と言えるだろう(・∀・)
次に「五回目は正直」の初期動画であるこちら。
「中世の下手な絵」というわかりやすいネタから入りながら、それを古代・近世と比較しつつ、そもそも私たちの価値観、すなわち「写実的=上手い=価値がある」というものの見方に問いを発するというなかなか興味深い動画となっている。
このような問題提起にはいささか驚かれるかもしれないが、例えば漫画を例に考えてみるとよい。「写実的であることがそんなに重要なら、どうしてカイジは売れたのか?つげ義春は?」といった具合に。
すると多くの人は「物語性や心理戦、精神世界の描写に価値を見出すのであって、現実の模写であることを要求してないから問題ない」と答えるのではないだろうか。
まさにその通り。つまり、我々の多くは「絵画」やもっと広く「芸術」と呼ばれるものは写実性を尊ぶのが自明と思っているが(まあ多少知っている人はピカソとかマティスを反証に挙げるだろうけど)、その枠から少し外れてみると、「絵」に写実性を求めない例など今日でさえいくらでもあるのだ。
では、中世の絵画がまさに先の物語性云々の話で述べたような目的で描かれているのだとしたら、つまり動画内でも言われているように、聖書のある場面であることが伝わればそれでよいと考えられているとしたら・・・という風に考えてみると、私たちの価値観を省みるよい機会になるのではないだろうか'(これは以前描いたホイジンガの『中世と秋』やコスモロジーの話にもつながる。また、さっきはピカソやマティスの例を挙げたが、その他に印象派や表現主義、あるいはデュシャンの泉などを連想するのも容易いはずだ)。
私も比較的最近のドイツ旅行の記事で中世の絵を散々ネタにしたが、ステンドグラスの効果や近世の絵画との比較記事など含め、今述べたような内省とともに見返せば、また違ったおもしろさがあるのではないか・・・と過去記事を宣伝しつつ(笑)この記事を終えることにしたい。
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